第玖刻 〈イタイ痛い居たいと泣く声〉
「……う、ぎ……っ?」
喉の奥から搾り出したような、奇妙にひしゃげた声が幼女の口から漏れた。そして、彼女の動きが止まる。
彼女の顔に目があったとしたら、大きく見開かれて驚きを示していたことだろう。
剥き出しになった歯をそのままに、幼女は一歩、二歩と後ずさる。当惑したような師の面持ちから、彼女の行動が師の攻撃とは関係のないものだということが窺えた。
幼女は胸と腹の境目辺りに手を当てると、低く呻きながら前かがみに姿勢を崩した。
呼吸が荒く、背負ったランドセルが大きく上下に揺れ動いている。空気を取り入れることで必死の口からは、唾液が糸を引きながら滴り落ちていた。
――何だ……?
どう見ても彼女は正常ではない。正常でないことは確かなのだが、一体何が彼女を苦しめているのかは全く以て分からなかった。
「ぎッ……、や、やめてッ」
幼女は悲鳴を上げて懇願した。何かに怯えている。だが、その対象が分からない。
「痛い、痛いッ! ごめんなさい……、ごめんなっ……いやァァァッ! ……ッグ」
ひときわ低く呻いたかと思うと、彼女の身体が光に包まれる。まるで、太陽にでもなったかのような眩さだ。
体の内側から溢れ出すような閃光に、目を開けていることさえも困難だった。
ひとしきり光の暴走が治まると、黎は恐る恐る目を開いた。
幼女がいたはずの場所には、彼女が背負っていたランドセルだけが残っている。
がしゃり。
聞き覚えのある音が聞こえた。黎の視界に、見覚えのあるシルエットが映った。
「主……?」
狐に連れて行かれた、あの学校で出会った影だけの骸骨だ。
――ここは彼の居場所ではないはずだが、なぜ?
疑問に思いながら、がしゃがしゃと動く骸骨の影を見つめた。骸骨は迷いもなく幼女の背負っていたランドセルに向かっていく。
「黎、あいつを知っとるのか」
いつの間にやら隣へ来ていた師が問いかけた。黎は骸骨の影から目を離さずに頷いた。
「さっきの狐、あれに連れられて行った場所で会いました。異空間の学校の、主だそうです」
「お前……、あんなところへ連れていかれたのか」
師の口調は何かを知っているようだった。黎がそのことについて聞こうとした時、がしゃり、という骸骨の音が黎の言葉を遮った。
骸骨は、ランドセルを拾い上げた。ランドセルのカバーが動き、中から何かが顔をのぞかせる。
骸骨は、それを素早い動きで再びランドセルの中へ押し込めた。中身が出ないように留め金をしっかりと留めると、ランドセルはふわりと宙へ浮いた。
地面に視線を落としていた黎は、骸骨がランドセルを背負うのを見た。彼の体躯にはいささか小さいようで、肩が大きく後ろへ引かれる姿勢になっている。しかし、そこは骨だけの身体の利点だろうか。骸骨は気に留める様子もない。
一瞬だけ見えた、ランドセルの中のモノ。あれがさっきの幼女の本体だと、黎は直感的に理解した。
がしゃり、がしゃり。
骨のぶつかる音がして、ランドセルを背負った骸骨の影は公園から去っていった。その姿は、少しだけ滑稽だった。
「……終わった?」
誰かが口にして、そこでようやく緊張が緩んだ。