第肆刻 〈いつの間にか出られなくなっていた〉
闇から浮上した時、おれは元の住宅街にいた。
力の入らないおれの身体を、愛しい人が抱きかかえてくれている。至福の瞬間であるが、おれには彼女のぬくもりが感じられなかった。
――そこまで弱っちまったとはナ。
内心毒づくが、そんなことでおれの体力が戻ってくるわけもなく、うっすらと瞳を開くだけでも難儀だった。
これ以上彼女に心配はかけられない。
そうは思うのだが、体が言うことを聞かなかった。仕方がないので彼女の言葉に耳を傾けていると、どうやらあの少年と言い争いをしているらしいことが分かる。
「……けひ、いがみ合いは醜いヨ」
何事もないかのように嗤いながら、おれは二人を諌めた。
しかし、その声もかなり掠れていたかもしれない。
「お前、さっきはよくも……」
「……すまなイ。そういう事をする気はなかったんダ」
怒り、詰め寄ってくる少年。それもそのはずだ。おれは謝罪することしかできなかった。
――おれの警戒が足りなかったばっかりニ……。
後悔の念が募るが、それを言葉にするほどの体力も残っていない。彼女の腕の中で、項垂れるようにぐったりとしていることしかできなかった。
そんなおれの態度に腹を立てたのか、少年はおれを摘み上げる。
それにすら無反応なおれは、少年の言葉を一字一句とて聞き逃すまいと耳をそばだてていた。
「お前の言い分を聞いてやる。簡略に話せ」
「けひ、言われなくとも分かってるサ。……おれも、もう永くない」
そう告げた時、彼女の心に悲しみが湧き上がるのを感じた。
――ああ、離れていても心は通じるのカ。
少しだけ、喜びを感じる。それと同時に、申し訳なさもあった。
けれども、これが事実なのだ。
彼女にも伝えておかねばならない。
薄目を開けて彼女を見遣った時、全身の毛が逆立つのを感じた。
そこに、真っ黒な鳥がいる。――一つ目の、鴉だ。
それに気づいた少年は「大丈夫だ」と声を掛けてくるが、おれは大丈夫ではなかった。
あんなもの、今のおれにとっては脅威以外の何ものでもない。
地面に横たえられた後も、彼女の腕に再び抱かれてからも、逆立った毛が元に戻ることはなかった。
おれがようやく落ち着いたのは、その鳥が紙っぺらに変わってからだ。
だが、安心できたのも束の間で、少年は彼女に鳥を託すとここを離れていってしまった。
――待テ! これを置いていくナ……。
叫ぼうにも声は出ず、おれは意識を手放すことで恐慌から逃れることにした。




