第参刻 〈ナニカが近付く気配がした〉
片手で簡単に持ち上がるその狐には、質量がない。霊体であるのだから当然なのだが、柔らかな毛皮の感触と相まって不思議な感覚を湧き起こらせた。
「お前の言い分を聞いてやる。簡略に話せ」
「けひ、言われなくとも分かってるサ。……おれも、もう永くない」
目を細め、ぐったりとしたまま狐が答える。そこへ、一羽の鴉が飛んできた。
その鴉は、夜空の色に溶け込むような黒さで、顔の中心に大きな目玉を一つだけ有している。くりくりとした大きな一つ目を黎に向けると、数度まばたきをして黎の元へ舞い降りた。
それを感知した狐の毛が逆立ち、体積が大きく増す。どうやら、黎の元へ訪れた鴉に対して過敏に反応しているようだ。
「大丈夫だよ、敵じゃない。僕の師の式神だ」
黎は狐に言うと、その体をアスファルトの上に横たえ、肘を直角に曲げて鴉を止まらせた。
鴉は黎のことをじっくりと見回して、本人であると確認してから煙へと変わる。
元は鴉であったその煙の中から、一枚の紙がひらひらと落ちてきた。
その内容に目を通した黎は、軽く舌打ちをして走り出そうとする。
「待って! どこへ行くつもり?」
黎が地面へ降ろした狐を再び抱き上げた少女が、鋭く黎を見据えていた。
「師の所だ。ついて来たいわけ?」
苛立った様子の黎に、少女まで不満げな顔をする。
「……違うわ。私はここを離れられないもの」
「ならそこに居るといい」
「戻って……来てくれる?」
不安げな調子で問われて、黎は背を向けたまま頷いた。
「何かあったらこいつを飛ばして」
何食わぬ顔で言いながら、先ほどの鴉よりも一回り小さな鳥を少女に託す。
鳥は、その小さな羽を羽ばたかせて移動すると、少女の肩へ止まった。
これまでの冷たい対応を気にしているのか、黎は少女と目を合わせようとはしない。
「これが来たら僕はすぐに戻るよ」
「……はい」
「じゃあ」
「はい」
少女は小さく返事をして腕の中の狐へと視線を戻した。




