第漆刻 〈廃病院に居る看護婦〉
黎の院内の探索は呆気ないほどにすぐ終わった。
真っ暗だった院内も、あのスイッチ一つで全体の電気が灯されている。先の学校では、相手がすごく凝った空間を創造するように思われたのでいささか拍子抜けしてしまった。
廊下は二十メートルほどしかなく、後は先が見えない闇がぽっかりと口を開けて侵入者を待ち構えている。
ここへたどり着くまでの廊下にあった扉は五つ。その内、廊下の右側に位置している三つの扉は入り口から先が廊下と同じく無限の闇となっていた。
つまり、黎が進むべき部屋は二つのうちどちらかに絞られている。
ガラガラガラガラ……、と台車を押すような音が闇の奥から聞こえた。
黎が目を凝らせば、向こうから薄いピンク色のナース服を着た女性が進んできている。
――あれが、その看護婦か? それにしては、随分と呆気ない。
黎が訝っていると、看護婦の手から台車が離れた。
台車と思われたそれは、近づいてくるほどに手術室へ向かう患者を乗せる車輪付のベッドらしいと分かった。
ベッドは予想以上に早い速度で迫ってくる。
黎が慌ててベッドの軌道から逃れても、どのような仕組みになっているのかそのベッドは正確に礼を追跡してきた。
すんでの所で左手の扉を開け、その中へ飛び込む。
ベッドが扉にぶつかり、扉とベッドが大きな悲鳴を上げるのが聞こえた。
その後、廊下は静かになる。どうやらベッドは止まってくれたらしい。
黎がほっと一息ついた時だった。風を切る音が聞こえ、頬が焼ける。
「……っ、」
頬に手を当てれば、出血していることが分かった。
がしゃんという音と共に、後ろの壁に何かがぶつかる。正面には、あのナースがいた。
どうやら、左手の二つの部屋は繋がっていたらしい。
虚ろな目をしたナースは何かを黎に向けて投げつける。
ダーツの的を狙うようにして投げられるそれは、蛍光灯の光を受けて小さく輝いた。
――注射器だ。
中身は空の、ガラス製の注射器。先端の針だけが異様に長く鋭い。黎の頬を切り裂いたのもこれだろう。
「あいつっ……」
こんなやつを相手にどうしろというのだ。
看護婦は、黎の唯一の攻撃手段である札の生成をする隙すらも与えてはくれない。
かわすことだってままならないほどだ。
彼女の服のポケットからは、無尽蔵に注射器が現れる。それを、目にもとまらぬ速さで飛ばし続けていた。
妙に釣れないあの様子といい、この看護婦といい、何かがおかしかった。
詳しいことは本人に聞かなければいけないが、この状況をうまく切り抜けられるかどうかに全てがかかっていた。




