第漆刻 〈見えなかったのは幸か罪か〉
「……それは、どういうことだ?」
あれほどに恐ろしい化物を大したことはないと言ってのけた少女に、黎の眉間の皺は深まるばかりだ。
「……私は、アレを中に入れていたから分かる気がするの。アレは化物でも何でもない。ただ、寂しいだけ」
「寂しいって……。だからってあんなことをするのか?」
言い終えて目を伏せた彼女に、黎の思考は更に迷宮に入り込む。
「うん。きっと」
「寂しいからって命を狙われたら、たまったものじゃないぞ」
「……あ、いや、違うの。アレはあなたの命を狙ったんじゃなくて、ただ遊び相手が欲しかっただけなんだよ」
「遊び……?」
そういえば、そんなことを言っていた気がしないでもない。
だが、小さな子供でもあるまいし、強引にもほどがあるだろう。
「どこ……、行っちゃったんだろう……」
辺りをきょろきょろと見回す彼女の服を、黎が強く引く。
「あんな奴、気にしなくていい」
「……よくないよ。ワタシも寂しいんだ」
弱々しく微笑んだ彼女の目には、涙が浮かんでいた。そこからは、本当に辛くてたまらないということがありありと見て取れる。
「あっ……、ごめん、そういうつもりじゃ……」
女の子を泣かせるという慣れないシチュエーションに、黎は本当に困ったように慌てふためく。
すると、彼女は小さく噴き出して目元に溜まった涙を拭った。
「ワタシこそ、ごめんなさい。もしかしたら、ずっと一緒にいたせいでアイツの感情が伝染したのかも」
「あー……。ありえないことではないね」
「えっ?」
黎の相槌が肯定の意を表すものだったことに、少女は驚きの声を漏らす。
そんな反応が返ってくるとは夢にも思わなかった黎も、彼女のきょとんとした表情を鏡が映し出したような表情を見せていた。
「何? 僕が何でも否定すると思った?」
図星だったのか、少女が罰の悪そうな顔をする。
その時だった。
何もない、真っ黒な空間が弾けた。
四方八方に飛散するように、闇の中に光が生まれる。
何が起こっているのか分からずに顔をしかめて光を遮る少女を横目に見ながら、黎は現在起こっていることを理解した。
「空間が……崩壊を始めてる」
「えっ……?」
元はといえば、ここは少女の中にいたモノが創り出した空間。創造主がいなくなった空間は消滅するのが常なのだ。
世の理に従って崩壊を始めたこの場所から、何とかして外へ出なければいけない。
さもないと、この崩壊に巻き込まれる。
巻き込まれれば、命はそこで絶えることになるだろう。
その時、必死で脱出方法を考えていた黎が少女の足元に纏わり付いていたひと塊の闇に気付かなかったのは、幸か、罪か――。




