第肆刻 〈ナニもいなかった〉
黎の手から放たれた札は、一直線に闇の中を進んでいく。
「けひっ」
嘲笑するような嗤い声と共に空間に電流が走り、紙製の札が発光を始めた。――いや、札が燃え始めたのだ。
あっという間に燃え尽きたお札は、はらりと儚く地に落ちた。
その光景を見つめる黎の表情に、驚きはない。
これまでの流れを鑑みる中で、この程度のことは想像の範囲内だったのだろう。
「オ前、マサカこれで終わりジャないよナ?」
「けっ、分かってんだろ」
言うなり、黎の手から複数の札が生成される。それは、先ほどウエストポーチから取り出したものとは若干異なるようだが、黎は気にする様子もない。
手を軽く振ると、その札が拡散しながらナニかを包囲しようとした。
その間も、黎は少女を守ることを忘れない。
その少女はと言えば、目の前で繰り広げられる常識を超えた戦いに、驚愕を通り越して興奮すら覚えているようだった。大きな瞳を輝かせ、手を胸の前で組み合わせている。
軽く触れたその指先は、硬く組み合わせられて熱がこもっていた。
元気そうな彼女の様子にひとまず安心しながら、黎は正面の空間を睨みつける。
バン、と大きな音が響き、一瞬にして札が弾け飛んだ。
風に舞った札の切れ端は、黎の元まで飛ばされてくる。
「まだまだぁッ!」
黎は、声を張り上げて自分に喝を入れ直した。
先ほど以上の数の札を生み出すと、目の前の空間が揺らいだ。
「けひひ……。数で何とかしようなんて、愚かしいヨ」
空間の揺らぎは、ソレが肩を震わせて嗤ったことによるものであるようだ。
しかし、それが本心からの言葉なのか黎の心を揺さぶって作戦を変えさせるための虚言なのかは分からない。
黎はしばし考えるような素振りを見せ、手の上の札に視線を落とした。
両掌の間に札を挟んで合掌すると、フッと短く息を吐く。次の瞬間、両手の間から光が溢れた。
す、と手を開けば、そこには一枚の輝く札が姿を現した。
一転、場の空気が張り詰める。
札は黄金の鳥に姿を変え、細く開いた鋭いくちばしから甲高い啼き声を上げて迷いなく突き進んでいく。
しかし、光の鳥は途中で動きを止め、困ったように辺りを見回す。
訝しく思って黎が目を凝らすが、その空間には何も見えない。これまでの禍々しい雰囲気さえも消え失せている。そこには、もうナニも居なかった。
「……どういうことだよ」
「逃げた……?」
ぽつり、少女の漏らした声に、黎はゆるゆると首を振った。
「そんなはずないよ。アイツほどの力があるなら、逃げる必要はない」
「ううん。アイツ、あなたが考えてるほど凄くないと思う」
思案顔で零した少女に、黎は眉をひそめた。




