第漆刻 〈旧校舎には入ってイケナイ理由〉
がしゃり、という音が耳元で聞こえるのと、けひひ、という嗤い声が後ろから聞こえるのはほぼ同時だった。
「けひひ、オ前は本当に運が良いねェ」
可笑しそうに嗤うソレは、親しげに黎に歩み寄ってきた。――いや、ソレの目的は黎ではない。黎の隣にいる、何者かだった。
「コイツに出会えるなんて、そうアルことじゃないヨ」
けひけひ嗤う少女は、嬉しそうに目を細めている。
その表情があまりに絵になるので、黎は思わず少女の顔に魅入ってしまった。
すると、ソレは不機嫌そうな顔になって黎の方を向いた。
「なんだい、餓鬼。おれの顔に何かツいてるのカ?」
「……あ、いや、何でもない」
黎は慌てて首を振る。
仮にも相手は異形のモノ。心を奪われるなど、あってはいけないことだ。
魅入ったり魅入られたりすれば、人間は簡単に死ぬ。殺すまでもなく、自然にころりと逝くのだ。
頭では分かっていながらも、“連れて”行かれた者は数え切れないほどいたという。
黎も自分に喝を入れ直して少女と対峙した。
「おい、ここにいるのは何だ」
「ひひ? オ前、視えてないのカ?」
少女は少しがっかりしたように首をかしげる。
肯定するのは癪だが、事実なのだから仕方ない。
「そう……だよ」
「けひひ……。人間は所詮、その程度なんだネ」
コクリと頷いて一人で納得した様子のソレに、早く教えろと詰め寄った黎。
少女は答えを口にはせず、代わりに床を見るようにあごをしゃくって示した。
「……っ!?」
窓から入り込む月明かりによって映しだされた黎の影には、黎より頭一つほど背の高い骸骨のシルエットが寄り添うような形でくっきりと現れていた。
これにマントを被せて鎌を持たせれば立派な死神だ。
黎は自分に寄り添うモノに畏怖しながらも、ゆっくりと自分の周りに結界を張ろうとする。
「無駄無駄。結界なンて、意味が無いヨ」
黎の必死の抵抗をいとも簡単にあざ笑った少女に、黎は何も言い返すことができなかった。
「コイツはココの主ダ。主に逆らおうなんて甘いネ。甘すぎるヨ」
「主……だと?」
そんなの、勝てるわけが無いじゃないか。
一瞬絶望に襲われるが、黎の相手は骸骨ではなく目の前に確かに見えている少女だったことを思い出す。しかし、主と何らかの関係を持っているとなれば、黎の不利は明らかだ。
ここに入るときに感じたあの嫌な予感はこれだったのだと理解したが、もう既に遅すぎた。