第拾刻 〈暗い夜道で喰らいたい〉
ワタシは彼と一緒に歩いている。マスクもなしで。
口裂け女のようなワタシが人と手を繋いで歩ける日が、ましてマスクなしで外出できる日が来るなど、一体誰が想像しただろう?
あまりの歓喜に、今にも踊りだしてしまいそうだった。
「鞠奈」
彼の甘い呼び声に、私は足を止めて彼を見た。
すると、その瞬間唇を奪われる。
驚きと恥ずかしさでワタシが真っ赤になっていると、彼はいたずらっぽく笑ってワタシの手を引いて歩き出した。
彼と出会ってすぐの頃は並んで歩くことさえ嫌がっていたワタシは、たった一ヶ月ばかりで大きく変わった。
顔を合わせるたびに「キレイだよ」と囁かれ、街灯の少ない道ならわかりやしないよ、という言葉に誘われて、ついにワタシは深夜の公園へマスクなしで出て行ったのが最初だった。
彼の言う通り、夜の公園には誰もおらず、ワタシは人目をはばかることなく過ごすことができた。
そのことで自信のついたワタシは、どんどん積極的になっていった。
とはいえ、まだ昼間にマスクなしでの外出はできないが。
コツリ、コツリとワタシのハイヒールが一定のリズムを刻む。その隣には、優しい彼が寄り添ってくれている。
これが幸せというものなのだと、ワタシは久しぶりに思い出していた。
「鞠奈」
再び彼が私を呼ぶ。ワタシもさっきのことで学習していたので、少し警戒しながら振り向いた。
すると、彼はにっこりと笑いながらワタシに顔を近づけてくる。
――やっぱり。
ワタシがツンと顔を逸らすと、彼が小さく口を開くのが見えた。
がぶり。
彼の歯が、ワタシの耳たぶを噛む。
「ひあっ!?」
驚きのあまり、あられのない声が出てしまった。
その声に耳まで真っ赤になっていると、彼が低く囁いた。
「鞠奈、ほんと可愛い。食べちゃいたいな」
けひひ、といういつもとは違う笑い声に、ワタシは少し違和感を覚えた。
けれど今はそんな野暮ったいことなんて考える暇もなく、ワタシと彼は絡み合う指をきつく握り締め合って夜の公園を歩く。
「ワタシ、あなたになら食べられてもいいよ」
――なんてね、冗談。
そう続けようとしたが、その前にワタシの口は塞がれていた。ワタシは反射的に目を閉ざす。
頬に当てられていた彼の手が、ゆっくりと下へ降りてきて首元で止まった。そして、時が進むにつれて彼の興奮も高まってきたのか、その手に段々と力がこもり始めた。
されるがままにしていたが、段々と息が苦しくなってくる。
ねえ、苦しっ……。
ワタシが薄目を開けて彼を見るが、思考が追いつくよりも早く目の前が闇に包まれる。
最後にワタシの瞳に映ったのは、赤く光る彼の目だった。
「――いただきます」
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