消費しきれない
第1章 おとの軽蔑
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夕焼け色の草むらに、女性カマキリたちの柔らかな咀嚼音が響いていた。
おとは、目の前の男を静かに食べていた。前脚で押さえつけられた男は、既に頭部を失っている。それでも下半身だけは執拗におとの身体へしがみつき、交尾を続けていた。
ぬらついた腹部が痙攣する。おとはそれを見下ろし、冷たく笑った。
「ほんと、男って下半身に脳みそが付いてるのね」
周囲にいた女性たちが、小さく笑う。
「また始まった」
「でも本当じゃない」
「食べられてる最中くらい、やめればいいのに」
草むらの奥では、他の男たちが怯えたように後退っていた。だがその視線は、おとの身体から離れない。
恐怖している。それでも欲望を向けている。
おとは心底うんざりした。
女性を性的に消費したいくせに、自分が食料として消費されるのは嫌がる。結局、男という穢れた生き物は自分のことしか見ていない。
おとは最後の一口を飲み込み、残骸を見下ろした。もう動かない。ただ、生殖器だけがしばらく痙攣を続けていた。
「結局みんな同じ」
おとはそう思い、顔を上げる。
その時だった。
群れの後方に、一人の男がいた。
逃げていない。だが、欲望の目もしていなかった。ただ静かに、おとを見ている。
奇妙な視線だった。おとは思わず眉をひそめる。
「……何あれ」
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第2章 おとの傷
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それは、まだおとが若かった頃の記憶だった。
産卵を終えたばかりのおとは、ぼろぼろだった。腹部は重く裂けるように痛み、脚にも力が入らない。
それでも、おとは満たされていた。愛した男との子供たちだった。葉の裏に産みつけられた卵を、おとは静かに抱きしめるように守っていた。疲れている。でも幸福だった。
そこへ、草を揺らして一人の男が近づいてきた。おとは顔を上げる。彼だった。おとは少しだけ笑った。
(来てくれた)
そう思った。だが男は、おとの顔を見るなり言った。
「次はいつ交尾できる?」
おとは、意味が分からなかった。
身体は痛い。命懸けで卵を産んだ。今も必死に守っている。それなのに、この男はまた欲望を向けてくる。自分を見ていない。苦しみも、疲労も、幸福も。何も見ていない。
おとの視線が、ゆっくりと男の下半身へ落ちる。そこだけが、生き物みたいに熱を持っていた。
「男って、下半身に脳みそが付いてる」
その瞬間、おとの中で何かが壊れた。もしあの時、交尾の最中に食べてしまっていたら、こんな風にはならなかったのだろうか。
「あの時、食べておけばよかった」
現在。おとは別の男を躊躇なく食べていた。頭を噛み砕く。男はやはり、最後まで交尾を止めない。おとは冷たく目を細めた。
その時、遠くから視線を感じた。あの男だった。他の男たちとは違う目。おとは無意識に苛立つ。理解できなかった。
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第3章 異常な男
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食事を終えたおとは、前脚についた血を舐め取った。
周囲では、男たちが怯えたように距離を取っている。それでも、おとの身体を盗み見ていた。欲望、恐怖、生殖。結局、全部そこへ戻る。
だが、その中を一人だけ真っ直ぐ歩いてくる男がいた。あの奇妙な男だ。おとは警戒する。
男は、おとの前で立ち止まった。
「あなたに、食べられたいんです」
沈黙が落ちた。周囲の空気が凍る。
おとはしばらく無言だった。やがて、吐き捨てるように言う。
「気持ち悪い」
普通の男なら逃げるはずだ。だが彼は逃げなかった。震えているくせに、動かない。
おとは目を細める。どうせ、他の男と同じように、もっと歪んだ欲望を隠しているだけだ。そう思った。
だが、その目には発情も、支配欲も、征服欲もなかった。それが逆に、おとには不気味だった。
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第4章 役に立てば愛される
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ともは昔から、小さかった。
弱く、目立たない男だった。群れの中で押しのけられ、餌も奪われる。誰も彼を見ていなかった。
けれど、誰かの役に立った時だけは違った。傷ついた仲間を舐めた時。危険を知らせた時。餌を譲った時。その瞬間だけ、優しく触れられた。名前を呼ばれた。
ともは学習した。
(役に立てば、愛される。全部あげれば、必要とされる)
成長したともは、女性へ献身する男たちを見ていた。その中でも、食べられながら交尾する男たちは異様だった。幸福そうだった。頭を失いながら、身体を千切られながら、それでも恍惚としていた。
「全部あげられるんだ」
ともはそう思ってしまった。そして、その考えに自分で怯えた。
そんな時、おとの姿を見た。食べる側なのに、どこか苦しそうだった。他の男たちは誰もそれを見ていない。だが、ともには分かった。
「あの人なら……」
ともは無意識に、自分の首へ触れる。噛まれる未来を想像するように。
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第5章 拒絶と接触
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おとは、目の前に佇むともを拒絶し続けていた。
「食べられたいなんて、やっぱり理解できない。結局あんたも、そうやって私を消費したいだけでしょ」
ともは静かに答えた。
「そうかもしれません」
おとは苛立つ。周囲の男たちは、相変わらず分かりやすかった。怯え、欲望を向け、逃げる。だがともだけが、静かにそこにいる。それが、おとには耐え難かった。
「どうせ、もっと歪んだ欲望を隠してるだけよ」
おとはともへ近づき、その鋭い前脚を、ともの首へかけた。
ともはびくりと震える。恐怖している。それでも逃げない。おとは違和感を覚えた。その目には、発情も支配欲もない。だが、別の何かがある。おとはそれを理解できない。
「……ほんと、気持ち悪い」
なのに、完全には切り捨てられなかった。
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第6章 君が嫌がることなんてしたくない
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「じゃあ、試してあげる」
おとはともを見下ろし、そのまま首筋へと牙を立てた。
ともは激しく震えた。恐怖、だが同時に、強烈な恍惚が押し寄せる。男としての身体が、本能的に反応しかける。
おとはそれを見て冷笑した。
「ほら。結局みんな同じ。そうやって下半身で動くんでしょ」
しかし、ともはその本能を拒んだ。必死に、涙を流し、震えながら、おとへの接触を耐えた。
おとは牙を向けたまま、動きを止める。
「……なんで?」
ともは苦しそうに息を漏らした。
「君が嫌がることなんて、したくない……」
沈黙。おとは理解できなかった。噛みついたまま、初めて動けなくなる。
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第7章 理解できない男
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おとは、ともを遠ざけようとした。だがともは、変わらず側にいた。
交尾を求めない。身体をいやらしい目で見ない。欲望を向けない。ただ、おとを見ている。
「なんなの、こいつ」
おとは苛立った。他の男を見る。彼らは分かりやすい。発情し、逃げ、欲望を向ける。おとは少し安心する。
「ほら。やっぱり男はこう」
だが、ともを見ると違った。ただ静かに、おとを見ている。それが怖かった。
「ほんと、気持ち悪い」
だがその言葉に、以前ほど確信がない。気づけば、おとは無意識にともを目で追っていた。自分で気づき、動揺する。
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第8章 見てほしかった
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ともは一人でいた。首の傷へ触れる。あの時、おとに噛まれた瞬間の恍惚を思い出す。だが同時に、その時のおとの怯えたような顔も思い出した。
その瞬間、ともは気づいた。
(違った)
役に立てば愛される。全部あげれば必要とされる。食べられれば愛される。そう思っていた。だが、おとに求めていたものは違う。
「見てほしかったんだ」
ともは初めて理解する。食べられたいのではなく、おとに自分自身を見つけてほしかったのだ。
だが同時に、本当の恐怖も理解した。
「……怖い」
食べられることが。死ぬことが。今までのともは「全部あげればいい」と命を軽視していた。だが今は違う。死にたくない。おとを失いたくない。
それでも。おとの前から逃げたくなかった。
「それでも、あの人に見てほしい」
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第9章 本性を表すはず
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おとは、ともを見ていた。
「男はみんな同じ」
そう思っている。だが、ともだけが違う。それが許せなかった。
「本当に食べ進めれば、絶対に本性を表す」
おとはそう決意し、ともへ近づく。
ともは恐怖した。逃げたい、生きたい。それでも逃げなかった。
おとは、ともを本格的に食べ始めた。激しい痛みと恐怖。ともの身体が何度も本能で反応しかける。おとはそれを見逃さない。
「ほら、やっぱり交尾したいんでしょ」
だがともは、それを頑なに拒み続けた。涙を浮かべ、震えながら、最後までおとにしがみつこうとはしない。
おとは初めて怖くなった。さらに食べ進める。ともの身体は次第に崩れていく。だが最後まで、彼は自分を性的に消費しようとしなかった。
おとは理解してしまう。
「この男、本当に……」
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第10章 消費しきれない
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あたりは静寂に包まれていた。
おとの前には、ほとんど食べ尽くされたともの残骸があった。最後まで、ともは交尾をしなかった。
おとは、その事実を突きつけられていた。
「本当に、私を消費しなかった」
そこにはもう、欲望も、支配も、征服もない。あるのはただ、おとに自分を見てほしかった男の、純粋な痕跡だけだった。
おとは初めて激しく動揺する。すべてを食べ終えようとして、手が止まった。
残された彼の生殖器が目に入る。
おとは思い出す。男は下半身に脳みそが付いている。あの時、食べておけばよかった。結局みんな同じ。そう思っていた。
だが、ともだけは違った。
おとは静かに、その残された生殖器へ触れる。
「男に、こんなに純粋な下半身があるなんて」
おとは、それを食料としては食べなかった。
この男は最後まで、自分を消費しなかった。だからこそ、これだけは「消費」ではなく、自分自身の意思で受け入れたかった。
ゆっくりと、自分の生殖器の中へ、ともの証を受け入れる。
目を閉じる。涙ではない。笑顔でもない。
ただ初めて、おとは誰かを「消費しきれなかった」のだと知った。
「……気持ち悪い」
だがその呟きは、もう軽蔑ではなかった。




