北方祝祭戦線
後世、この戦いは
「北方祝祭戦線」
と呼ばれるようになった。
それは戦線名であると同時に、
帝国が祈りよりも判断を優先した最初の事例を指す歴史用語でもある。
北方祝祭戦線において、帝国軍は勝利した。
これは事実であり、修正の余地はない。
ヴァルド公国軍は指揮系統を失い、宗教的混乱と補給遮断によって戦線を維持できず、開戦から二十七日後に事実上の崩壊を迎えた。
帝国側損耗は想定の七割以下。
作戦目的はすべて達成された。
輸送列車は、東へ向かっていた。
窓の外では、北方の雪がいつの間にか途切れ、
乾いた平原が広がり始めている。
「……北方祝祭戦線、ですか」
向かいの座席で、ミハイド・セリエ中尉が、
資料束を膝に載せたまま言った。
「帝国史編纂局が、もう仮称を付けたそうです」
「早いな」
クレインは窓から目を離さない。
「勝利は名前を欲しがる」
それは皮肉でも、誇りでもなかった。
通路側の席で、
方面軍司令部付きのヴァイス大佐が低く咳払いをする。
「……あの戦線は、長く語られるだろう」
列車の揺れに合わせて、軍帽の影が揺れた。
「勝ったから、ではない」
「ああいう勝ち方が可能だ”と、世界に示したからだ」
そう。――問題は、その勝ち方だった。
祝祭中の先制攻撃。
聖堂・礼拝所・巡礼路を「指揮通信拠点」と再定義した爆撃。
捕虜交換の延期。
すべて合法だった。
少なくとも、帝国法と当時の国際慣習法の範囲では。
だが、この戦線以降、
「帝国は神を尊重しない」という認識が、周辺諸国に明確に共有されることになる。
北方祝祭戦線とは、
一つの公国を打ち倒した戦いであると同時に、
帝国が世界に性格を示した宣言だった。
ミハイドが思わず口を挟む。
「周辺国の反応が、異常に早いですね」
「当然だ」
ヴァイスは言った。
「祈りを戦場から排除した国は、信用されない」
クレインは、そこで初めて振り返った。
「信用されないのは、弱いからですか」
「いや」
大佐は即答した。
「強すぎるからだ」
沈黙が落ちる。
北方祝祭戦線――
この名は多くの人間に深く刻まれた。
⸻
列車は停車し、
臨時司令部の設営地が近づく。
「東方戦線では、宗教的制約はありません」
ミハイドが報告を読み上げる。
「敵は世俗国家。条約を重視します」
「条約を信じる国ほど、計算を誤る」
クレインは、淡々と答えた。
「北方では、彼らは“撃たない理由”を持っていた」
「東方では、“撃つ理由”しか持たない」
ヴァイス大佐が、苦笑する。
「……お前は、本当に同じ戦争を二度しないな」
「戦争は常に違います」
「だが、人の判断は再利用できる」
ミハイドは、その言葉に引っかかった。
「再利用、ですか」
「成功した判断は、原理になる」
「……倫理は?」
列車が再び動き出す。
クレインは、少し間を置いてから答えた。
「倫理は、状況依存だ」
「原理にはならない」
ミハイドは、それ以上何も言わなかった。
⸻
数日後、東方国境。
参謀会議の最中、
若い将校が言った。
「北方祝祭戦線のような作戦を、再度――」
「同じにはならない」
クレインが遮る。
「だが、同じ考え方は使える」
地図の上で、線が引かれる。
北から東へ。
祝祭から条約へ。
北方祝祭戦線は、
もはや一つの戦いではない。
帝国の戦争様式になりつつあった。
⸻
ミハイドは、会議後にふと思う。
この男は、過去を反省しない。
だが、忘れてもいない。
(……前の戦線は、もう“試運転”だったのか)
彼女は補佐官として、
この合理性の隣に立ち続ける。
それが、止めるためなのか、
記録するためなのか――
ミハイド自身にも、まだ分からない。
列車は進む。
次の戦線には、まだ名前がない。
だが、
必ず名前は付く。
そして、必ず敵を圧倒する作戦をクレイン中佐は考えるだろうと、ミハイドは確信していた。




