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ヴェリタスの最終定理 PART3/ヴェリタスの天秤【9位】  作者: 王牌リウ
●第7章:ヴェリタスの天秤1 痛みを知る者

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第7話:After the war

主題歌:ア・ホーマンス/AFTER '45

https://youtu.be/SoPzl7POeGs?si=jyb0MEpgS8dp95ZE

王都の空を切り裂くようにそびえ立つ、大時計塔。

その最上階、巨大な歯車が時を刻む吹きさらしのバルコニーに、強風が吹き荒れていた。

そこに、純白のドレスを纏ったアリシアが立っていた。

彼女の姿は、この世の終わりの風景にあってなお、残酷なまでに美しかった。白銀の髪は後光のように輝き、透き通るような肌は陶磁器のように滑らかだ。昨日、首席で卒業したばかりの才媛。

だが、その胸には、無骨で醜悪な機械式爆弾がしっかりと抱かれていた。


「……ごきげんよう、おかあさま。ナラティブさん」


アリシアは、優雅にカーテシーをした。

それは、自分を捨てた母と、居場所を奪った妹への、最期の挨拶だった。

階段を駆け上がってきたエラーラとナラは、息を切らしてその姿を見上げた。

エラーラが一歩踏み出す。


「アリシア!その爆弾をよこせ!お前の知性があれば、自爆などという非論理的な選択が過ちだとわかるはずだ!」


「論理……?」


アリシアは、可哀想な子供を見るような目で、稀代の天才を見下ろした。


「やはり。あなたは何もわかっていませんのね」


アリシアは、自分の美しい顔にそっと手を添えた。


「この顔。この体。そして『魔力がない』という事実。これが、この社会でどういう意味を持つか、あなたの自慢の頭脳で計算できましたか?」


アリシアの声は、風に乗って冷たく響いた。


「学校を一歩出れば、わたくしを守る結界はありません。賢者の娘という肩書きも、あなたが否定したことで消滅しました。魔力のないエルフなど、羽をもがれた蝶と同じ。どれほど勉強ができても、どれほど美しくても……通りすがりの下級魔術師一人にすら抵抗できない」


エラーラの顔色が蒼白になる。


「そ、そんなことは法が許さない……」


「法?誰が守るのです?誰が訴えるのです?魔力のない者の言葉など、誰も聞きはしませんわ」


アリシアは、起爆スイッチに指をかけた。


「逃げ場所など、どこにもありません。この美貌は目立ちすぎます。この知性は、絶望を理解するのに役立つだけ。唯一の希望は、あなたが迎えに来てくれることでした。最強の賢者の娘として、あなたの威光で守ってもらうことだけが、わたくしが人間として生きる唯一の道でした。……でも、あなたは来なかった」


アリシアは微笑んだ。


「誰かの玩具にされるくらいなら……わたくしは、自分の意志で、この街ごと消え去ります」


「待て!」


エラーラが叫んだ。彼女は震える手で、懐から手帳を取り出した。


「アリシア、一つだけ聞かせてくれ。手紙は……読まなかったのか?」


「手紙?来ていませんわ」


「送った!毎月だ!お前が『怖い』と言っていた社会から守るための、防御魔導具も同封して!お前の進路についての相談の手紙も! 毎月だ!」


「嘘をおっしゃい!郵便受けはいつも空でした!」


「嘘ではない!発送ログがある!ほら、ここだ!」


エラーラは手帳を掲げる。そこには確かに、毎月の発送記録があった。

だが、アリシアの冷たい目は変わらない。


「では、なぜ届かないのです?」


エラーラは、ふと手帳の隅に書かれた小さなメモに目を落とした。

そして、凍りついた。

口が動き、声にならない音を漏らす。


「……まさか……あの学校の校則……!?」


「……は?」


「『身分不相応な外部接触、および国家機密レベルの政治的リスクのある郵便物は、テロ対策のため校長権限で……本人に通知することなく、焼却処分とする』……?」


時が、止まった。

風の音だけが鳴り響く。

エラーラは「賢者」だ。国家の最高機密そのものだ。

そんな人物からの手紙が、一般生徒に、検閲なしで届くはずがなかった。

学校側は、テロや勧誘、あるいは詐欺を疑い、全ての手紙を機械的に「焼却」していたのだ。


「……燃やされて……いたのか?」


エラーラは、膝から崩れ落ちた。

手帳が手から滑り落ち、風に舞う。

彼女は呆然と、自分の両手を見つめた。


「……知らなかった。私は……郵便システムは絶対だと……確認すればよかった。会いに行けばよかった。返事が来ないのは、お前が……私を嫌っているのだと……勝手に……」


アリシアは、爆弾を抱いたまま、立ち尽くしていた。


「……送って……いた……?」


「送っていた! 毎月だ! 忘れた日などない!」


エラーラは顔を上げ、涙を流しながら叫んだ。

それは、賢者の言葉ではなかった。ただの、愚かな、失敗した母親の絶叫だった。


「愛している!当たり前だろう! 私が初めて『娘』と呼んだ人間だぞ!魔力がなくたって関係ない! お前が生きていてくれるだけでよかったんだ!だから……だから、遠くても大丈夫だと……!」


真実が、暴かれた。

1年半の孤独。絶望。殺意。

魔力なき少女が味わった、地獄のような日々。

その全てが、ただの「確認不足」と「行き違い」によって生まれた悲劇だった。

アリシアの目から、大粒の涙が溢れ出した。


「……あ……ああ……」


嬉しかった。母は自分を愛していた。

自分は「欠陥品」として捨てられたのではなかった。

でも、遅すぎた。あまりにも、遅すぎた。

その時。

低い、地の底から響くような声がした。


「……ふざけんな!」


ナラティブ・ヴェリタスだった。

彼女は、血走った目でエラーラを睨みつけていた。

全身から、どす黒い殺気が噴出している。


「ふざけんなああああああああああああッ!」


ナラは、崩れ落ちているエラーラの白衣を掴み、無理やり引きずり立たせた。

そして、渾身の右ストレートを叩き込んだ。


「ぐぇっ!?」


エラーラが吹き飛び、時計塔の石柱に激突する。

石柱にヒビが入るほどの衝撃。

エラーラは地面に転がり、口から大量の血を吐いた。

だが、ナラは止まらなかった。

獣のような咆哮と共に、倒れた母親に馬乗りになり、その顔面に拳を振り下ろした。


「痛いかい?痛いだろう?痛いでしょうね!でもね、あの子の痛みはこんなもんじゃないのよ!」


ナラは泣き叫びながら殴り続ける。

自分の拳の皮が裂け、骨が見えても、止まらない。


「あんたのミスよ!あんたの怠慢よ!あんたが『送ったつもり』になって満足してた間に!この子は!姉さんは!『自分は誰からも守られない』って震えてたのよ!美貌も知性も、全部が自分を不幸にする呪いだと信じ込んで!たった一人で!地獄を這いずり回ってたのよ!」


エラーラの顔が変形していく。

鼻が折れ、歯が砕け、目が塞がる。

彼女は世界最強の魔術師だ。防御障壁一つでナラを弾き飛ばせる。

だが、エラーラは抵抗しなかった。

魔力を一切使わず、生身の体で、娘の鉄拳を受け入れ続けた。


「……すまない……」


血の泡を吹きながら、エラーラが呻く。


「私が……無知だった……。あの子を……殺そうとしていたのは……私か……」


ナラは、血まみれのエラーラの胸ぐらを掴んで揺さぶった。


「謝れ!あたしにじゃあ!ない!あの子にだ!死ぬ気で謝りなさいよ!」


アリシアは、その光景を見ていた。

ボロボロになった母が、自分への愛を叫び、妹に断罪されている。


(ああ……愛されていた……)


その事実は、彼女を救うと同時に、彼女に止めを刺した。

愛されていたのに、自分は母を疑い、殺そうとした。

妹を巻き込んだ。

もう、この優しい家族に戻る資格など、自分にはない。


「……ありがとうございました」


アリシアは微笑んだ。

それは、硝子細工のように儚く、美しい笑顔だった。

彼女は、爆弾のコードを引きちぎり、それを床に置いた。


「ナラティブさん。お母様を……許してあげて」


「え……?」


殴り疲れたナラが顔を上げる。

アリシアは、時計塔の縁に立った。

強風が、彼女の純白のドレスを煽る。

わたくしは、愛された記憶と共に……逝きます」

彼女は、背中から空へ身を投げた。


「アリシアァァァッ!」


エラーラが、ナラを跳ね除けた。

血まみれの体で、地面を蹴る。

魔力回路は殴られてズタズタだ。飛行魔法は間に合わない。

それでも、彼女は飛んだ。

論理も、計算も、保身も捨てて。

ただの母親として、娘を追って、空へ。

落下するアリシア。

その美しいドレスが、風に煽られて花のように開く。


(綺麗なままで、終わりたい)


だが、その上から、血まみれの塊が降ってきた。


「離すもんか!」


エラーラだった。

空中でアリシアを抱きしめる。

その顔は腫れ上がり、見る影もないが、瞳だけは力強く燃えていた。


「おかあさま!? なぜ……!」


「死なせない!お前が地獄を見るなら!私がこの命に代えても、世界中を敵に回しても守り抜く!それが母親だ!」


地面が迫る。

このままでは二人とも死ぬ。

エラーラにはもう、二人を浮かせるだけの魔力は残っていない。

エラーラは、アリシアの頭を自分の胸に押し付け、背中を地面に向けた。

そして、自らの生命力を燃料とする術式を展開した。


【対象:アリシア・ヴェリタス】

【術式:因果置換】


それは、対象が受けるすべてのダメージを術者の肉体に100%転送し、対象を「無傷」に固定する魔法。

つまり、二人分の致死ダメージを、エラーラ一人が引き受ける自殺行為。


「愛しているぞ、アリシア!」


広場の石畳に、隕石が落ちたような轟音が響いた。

噴水が砕け散り、水しぶきと土煙が高く舞い上がった。

土煙が晴れていく。

クレーターの中心。

アリシアは、目を開けた。

痛くない。どこも痛くない。ドレスに埃ひとつついていない。

彼女は、誰かの腕の中にいた。


「……おかあ……さま?」


彼女を抱きしめているエラーラは、動かなかった。

背中から地面に激突した体は、ありえない方向に折れ曲がっていた。

全身の骨が砕け、内臓は破裂し、白衣は鮮血で真っ赤に染まっている。

それでも、その腕だけは、鋼鉄のように固くアリシアを守り、その顔は、安らかな微笑みを浮かべていた。


「……いや……」


アリシアの手が震える。

エラーラの胸に耳を当てる。

音が、しない。


「いやああああああああああああッ!」


アリシアの絶叫が、広場に響き渡った。


「起きて!起きてください!おかあさま!わたくしが悪かったのです! わたくしが勝手に絶望して……!嫌だ!返事をして!手紙を読むんでしょう!?一緒に帰るんでしょう!? おかあさまぁぁぁぁッ!」


遅れて階段を駆け下りてきたナラが、その惨状を見て崩れ落ちた。


「……嘘でしょ……」


最強の魔術師が。自分勝手な天才が。

たった一人の、魔力なき娘を守って、とうとう、自害して肉塊になっている。


「……バカよ……あんた、本当に大バカよ……」


ナラは泣きながら、動かないエラーラの手を握った。

その手は、まだ微かに温かかった。


「……死なせない。あたしが地獄から引きずり戻してやる」


――それから、一週間後。

王都中央病院、集中魔力治療室。

無数のチューブと魔力パイプに繋がれ、培養液の入ったカプセルの中で、エラーラは眠っていた。


「……奇跡ですねえこれ……」


担当医が、疲れた顔で告げた。


「全身の骨格粉砕。内臓破裂。魔力回路のショート。普通なら即死ですや。やー、十回死んでいてもおかしくないね。……彼女を生かしているのは、もうこれ、医学ではありませんよ。執念です」


ガラス越しに、ナラとアリシアが寄り添って立っている。

アリシアの瞳には、かつての「怯え」はない。「知性」で戦う準備を始めた、強き女性の光が宿っていた。


「……でもうん、心臓は動いている。脳波もあるね」


担当医が微笑む。


「そろそろ、目を覚ます頃ですね」


その時。

カプセルの中のエラーラが、ピクリと指を動かした。

魔力モニターの波形が、力強く跳ね上がる。

培養液が排水され、カプセルが開く。


「……ん……ぐ……」


エラーラが、かすれた声で呻き、ゆっくりと目を開けた。


「お母様ッ!」


「おかあさまッ!」


二人の娘が、病室に飛び込み、エラーラに抱きついた。

激痛が走るはずだが、エラーラは顔をしかめながらも、二人を抱きしめ返した。


「……騒々しいな……。ここは冥府か?」


「バカ!生きてるわよ!」


ナラが泣きながら怒鳴る。


「あんたが死んだら、誰があたし達のご飯作るのよ!」


アリシアは、涙を拭いて、一枚の便箋をエラーラに見せた。

それは、1年半かけて彼女が書き溜めた、誰にも出せなかった手紙への返事だった。


「おかあさま。……ただいま戻りました」


エラーラは、包帯だらけの顔で、不器用に笑った。


「……おかえり。アリシア」



・・・・・・・・・・



一ヶ月後。

ヴェリタス獣病院のリビングは、以前よりもずっと騒がしくなっていた。


「こらナラ!アリシアの肉を取るな!彼女は成長期なんだぞ!」


全身にギプスを巻き、車椅子に乗ったエラーラが叫ぶ。


「早い者勝ちよ! ぼーっとしてる姉さんが悪いの!」


ナラが肉を頬張る。


「あら、ナラティブさん。わたくしの皿に手を出した代償は高くつきますわよ?」


アリシアは優雅に微笑みながら、ナラの死角からサラダの皿を奪い取った。

その動きには無駄がない。魔力がなくとも、彼女の知性はすでにナラの行動パターンを完全に予測していた。


「……ふふ」


エラーラは、騒ぐ娘たちを見て、満足そうにコーヒーをすすった。

そのコーヒーは泥のように不味かったが、今まで飲んだどんな高級品よりも、甘く感じられた。


不器用な天才と、最強の武闘派と、最美の頭脳派。

凸凹な三人は、ようやく「本物の家族」になった。

魔力がなくても、世界が残酷でも。

この絆がある限り、彼女たちはもう、何も怖くない。

獣病院の窓から、今日も騒がしい笑い声が、王都の空へ響いていく。

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