第7話:After the war
主題歌:ア・ホーマンス/AFTER '45
https://youtu.be/SoPzl7POeGs?si=jyb0MEpgS8dp95ZE
王都の空を切り裂くようにそびえ立つ、大時計塔。
その最上階、巨大な歯車が時を刻む吹きさらしのバルコニーに、強風が吹き荒れていた。
そこに、純白のドレスを纏ったアリシアが立っていた。
彼女の姿は、この世の終わりの風景にあってなお、残酷なまでに美しかった。白銀の髪は後光のように輝き、透き通るような肌は陶磁器のように滑らかだ。昨日、首席で卒業したばかりの才媛。
だが、その胸には、無骨で醜悪な機械式爆弾がしっかりと抱かれていた。
「……ごきげんよう、おかあさま。ナラティブさん」
アリシアは、優雅にカーテシーをした。
それは、自分を捨てた母と、居場所を奪った妹への、最期の挨拶だった。
階段を駆け上がってきたエラーラとナラは、息を切らしてその姿を見上げた。
エラーラが一歩踏み出す。
「アリシア!その爆弾をよこせ!お前の知性があれば、自爆などという非論理的な選択が過ちだとわかるはずだ!」
「論理……?」
アリシアは、可哀想な子供を見るような目で、稀代の天才を見下ろした。
「やはり。あなたは何もわかっていませんのね」
アリシアは、自分の美しい顔にそっと手を添えた。
「この顔。この体。そして『魔力がない』という事実。これが、この社会でどういう意味を持つか、あなたの自慢の頭脳で計算できましたか?」
アリシアの声は、風に乗って冷たく響いた。
「学校を一歩出れば、わたくしを守る結界はありません。賢者の娘という肩書きも、あなたが否定したことで消滅しました。魔力のないエルフなど、羽をもがれた蝶と同じ。どれほど勉強ができても、どれほど美しくても……通りすがりの下級魔術師一人にすら抵抗できない」
エラーラの顔色が蒼白になる。
「そ、そんなことは法が許さない……」
「法?誰が守るのです?誰が訴えるのです?魔力のない者の言葉など、誰も聞きはしませんわ」
アリシアは、起爆スイッチに指をかけた。
「逃げ場所など、どこにもありません。この美貌は目立ちすぎます。この知性は、絶望を理解するのに役立つだけ。唯一の希望は、あなたが迎えに来てくれることでした。最強の賢者の娘として、あなたの威光で守ってもらうことだけが、わたくしが人間として生きる唯一の道でした。……でも、あなたは来なかった」
アリシアは微笑んだ。
「誰かの玩具にされるくらいなら……わたくしは、自分の意志で、この街ごと消え去ります」
「待て!」
エラーラが叫んだ。彼女は震える手で、懐から手帳を取り出した。
「アリシア、一つだけ聞かせてくれ。手紙は……読まなかったのか?」
「手紙?来ていませんわ」
「送った!毎月だ!お前が『怖い』と言っていた社会から守るための、防御魔導具も同封して!お前の進路についての相談の手紙も! 毎月だ!」
「嘘をおっしゃい!郵便受けはいつも空でした!」
「嘘ではない!発送ログがある!ほら、ここだ!」
エラーラは手帳を掲げる。そこには確かに、毎月の発送記録があった。
だが、アリシアの冷たい目は変わらない。
「では、なぜ届かないのです?」
エラーラは、ふと手帳の隅に書かれた小さなメモに目を落とした。
そして、凍りついた。
口が動き、声にならない音を漏らす。
「……まさか……あの学校の校則……!?」
「……は?」
「『身分不相応な外部接触、および国家機密レベルの政治的リスクのある郵便物は、テロ対策のため校長権限で……本人に通知することなく、焼却処分とする』……?」
時が、止まった。
風の音だけが鳴り響く。
エラーラは「賢者」だ。国家の最高機密そのものだ。
そんな人物からの手紙が、一般生徒に、検閲なしで届くはずがなかった。
学校側は、テロや勧誘、あるいは詐欺を疑い、全ての手紙を機械的に「焼却」していたのだ。
「……燃やされて……いたのか?」
エラーラは、膝から崩れ落ちた。
手帳が手から滑り落ち、風に舞う。
彼女は呆然と、自分の両手を見つめた。
「……知らなかった。私は……郵便システムは絶対だと……確認すればよかった。会いに行けばよかった。返事が来ないのは、お前が……私を嫌っているのだと……勝手に……」
アリシアは、爆弾を抱いたまま、立ち尽くしていた。
「……送って……いた……?」
「送っていた! 毎月だ! 忘れた日などない!」
エラーラは顔を上げ、涙を流しながら叫んだ。
それは、賢者の言葉ではなかった。ただの、愚かな、失敗した母親の絶叫だった。
「愛している!当たり前だろう! 私が初めて『娘』と呼んだ人間だぞ!魔力がなくたって関係ない! お前が生きていてくれるだけでよかったんだ!だから……だから、遠くても大丈夫だと……!」
真実が、暴かれた。
1年半の孤独。絶望。殺意。
魔力なき少女が味わった、地獄のような日々。
その全てが、ただの「確認不足」と「行き違い」によって生まれた悲劇だった。
アリシアの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「……あ……ああ……」
嬉しかった。母は自分を愛していた。
自分は「欠陥品」として捨てられたのではなかった。
でも、遅すぎた。あまりにも、遅すぎた。
その時。
低い、地の底から響くような声がした。
「……ふざけんな!」
ナラティブ・ヴェリタスだった。
彼女は、血走った目でエラーラを睨みつけていた。
全身から、どす黒い殺気が噴出している。
「ふざけんなああああああああああああッ!」
ナラは、崩れ落ちているエラーラの白衣を掴み、無理やり引きずり立たせた。
そして、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
「ぐぇっ!?」
エラーラが吹き飛び、時計塔の石柱に激突する。
石柱にヒビが入るほどの衝撃。
エラーラは地面に転がり、口から大量の血を吐いた。
だが、ナラは止まらなかった。
獣のような咆哮と共に、倒れた母親に馬乗りになり、その顔面に拳を振り下ろした。
「痛いかい?痛いだろう?痛いでしょうね!でもね、あの子の痛みはこんなもんじゃないのよ!」
ナラは泣き叫びながら殴り続ける。
自分の拳の皮が裂け、骨が見えても、止まらない。
「あんたのミスよ!あんたの怠慢よ!あんたが『送ったつもり』になって満足してた間に!この子は!姉さんは!『自分は誰からも守られない』って震えてたのよ!美貌も知性も、全部が自分を不幸にする呪いだと信じ込んで!たった一人で!地獄を這いずり回ってたのよ!」
エラーラの顔が変形していく。
鼻が折れ、歯が砕け、目が塞がる。
彼女は世界最強の魔術師だ。防御障壁一つでナラを弾き飛ばせる。
だが、エラーラは抵抗しなかった。
魔力を一切使わず、生身の体で、娘の鉄拳を受け入れ続けた。
「……すまない……」
血の泡を吹きながら、エラーラが呻く。
「私が……無知だった……。あの子を……殺そうとしていたのは……私か……」
ナラは、血まみれのエラーラの胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「謝れ!あたしにじゃあ!ない!あの子にだ!死ぬ気で謝りなさいよ!」
アリシアは、その光景を見ていた。
ボロボロになった母が、自分への愛を叫び、妹に断罪されている。
(ああ……愛されていた……)
その事実は、彼女を救うと同時に、彼女に止めを刺した。
愛されていたのに、自分は母を疑い、殺そうとした。
妹を巻き込んだ。
もう、この優しい家族に戻る資格など、自分にはない。
「……ありがとうございました」
アリシアは微笑んだ。
それは、硝子細工のように儚く、美しい笑顔だった。
彼女は、爆弾のコードを引きちぎり、それを床に置いた。
「ナラティブさん。お母様を……許してあげて」
「え……?」
殴り疲れたナラが顔を上げる。
アリシアは、時計塔の縁に立った。
強風が、彼女の純白のドレスを煽る。
わたくしは、愛された記憶と共に……逝きます」
彼女は、背中から空へ身を投げた。
「アリシアァァァッ!」
エラーラが、ナラを跳ね除けた。
血まみれの体で、地面を蹴る。
魔力回路は殴られてズタズタだ。飛行魔法は間に合わない。
それでも、彼女は飛んだ。
論理も、計算も、保身も捨てて。
ただの母親として、娘を追って、空へ。
落下するアリシア。
その美しいドレスが、風に煽られて花のように開く。
(綺麗なままで、終わりたい)
だが、その上から、血まみれの塊が降ってきた。
「離すもんか!」
エラーラだった。
空中でアリシアを抱きしめる。
その顔は腫れ上がり、見る影もないが、瞳だけは力強く燃えていた。
「おかあさま!? なぜ……!」
「死なせない!お前が地獄を見るなら!私がこの命に代えても、世界中を敵に回しても守り抜く!それが母親だ!」
地面が迫る。
このままでは二人とも死ぬ。
エラーラにはもう、二人を浮かせるだけの魔力は残っていない。
エラーラは、アリシアの頭を自分の胸に押し付け、背中を地面に向けた。
そして、自らの生命力を燃料とする術式を展開した。
【対象:アリシア・ヴェリタス】
【術式:因果置換】
それは、対象が受けるすべてのダメージを術者の肉体に100%転送し、対象を「無傷」に固定する魔法。
つまり、二人分の致死ダメージを、エラーラ一人が引き受ける自殺行為。
「愛しているぞ、アリシア!」
広場の石畳に、隕石が落ちたような轟音が響いた。
噴水が砕け散り、水しぶきと土煙が高く舞い上がった。
土煙が晴れていく。
クレーターの中心。
アリシアは、目を開けた。
痛くない。どこも痛くない。ドレスに埃ひとつついていない。
彼女は、誰かの腕の中にいた。
「……おかあ……さま?」
彼女を抱きしめているエラーラは、動かなかった。
背中から地面に激突した体は、ありえない方向に折れ曲がっていた。
全身の骨が砕け、内臓は破裂し、白衣は鮮血で真っ赤に染まっている。
それでも、その腕だけは、鋼鉄のように固くアリシアを守り、その顔は、安らかな微笑みを浮かべていた。
「……いや……」
アリシアの手が震える。
エラーラの胸に耳を当てる。
音が、しない。
「いやああああああああああああッ!」
アリシアの絶叫が、広場に響き渡った。
「起きて!起きてください!おかあさま!わたくしが悪かったのです! わたくしが勝手に絶望して……!嫌だ!返事をして!手紙を読むんでしょう!?一緒に帰るんでしょう!? おかあさまぁぁぁぁッ!」
遅れて階段を駆け下りてきたナラが、その惨状を見て崩れ落ちた。
「……嘘でしょ……」
最強の魔術師が。自分勝手な天才が。
たった一人の、魔力なき娘を守って、とうとう、自害して肉塊になっている。
「……バカよ……あんた、本当に大バカよ……」
ナラは泣きながら、動かないエラーラの手を握った。
その手は、まだ微かに温かかった。
「……死なせない。あたしが地獄から引きずり戻してやる」
――それから、一週間後。
王都中央病院、集中魔力治療室。
無数のチューブと魔力パイプに繋がれ、培養液の入ったカプセルの中で、エラーラは眠っていた。
「……奇跡ですねえこれ……」
担当医が、疲れた顔で告げた。
「全身の骨格粉砕。内臓破裂。魔力回路のショート。普通なら即死ですや。やー、十回死んでいてもおかしくないね。……彼女を生かしているのは、もうこれ、医学ではありませんよ。執念です」
ガラス越しに、ナラとアリシアが寄り添って立っている。
アリシアの瞳には、かつての「怯え」はない。「知性」で戦う準備を始めた、強き女性の光が宿っていた。
「……でもうん、心臓は動いている。脳波もあるね」
担当医が微笑む。
「そろそろ、目を覚ます頃ですね」
その時。
カプセルの中のエラーラが、ピクリと指を動かした。
魔力モニターの波形が、力強く跳ね上がる。
培養液が排水され、カプセルが開く。
「……ん……ぐ……」
エラーラが、かすれた声で呻き、ゆっくりと目を開けた。
「お母様ッ!」
「おかあさまッ!」
二人の娘が、病室に飛び込み、エラーラに抱きついた。
激痛が走るはずだが、エラーラは顔をしかめながらも、二人を抱きしめ返した。
「……騒々しいな……。ここは冥府か?」
「バカ!生きてるわよ!」
ナラが泣きながら怒鳴る。
「あんたが死んだら、誰があたし達のご飯作るのよ!」
アリシアは、涙を拭いて、一枚の便箋をエラーラに見せた。
それは、1年半かけて彼女が書き溜めた、誰にも出せなかった手紙への返事だった。
「おかあさま。……ただいま戻りました」
エラーラは、包帯だらけの顔で、不器用に笑った。
「……おかえり。アリシア」
・・・・・・・・・・
一ヶ月後。
ヴェリタス獣病院のリビングは、以前よりもずっと騒がしくなっていた。
「こらナラ!アリシアの肉を取るな!彼女は成長期なんだぞ!」
全身にギプスを巻き、車椅子に乗ったエラーラが叫ぶ。
「早い者勝ちよ! ぼーっとしてる姉さんが悪いの!」
ナラが肉を頬張る。
「あら、ナラティブさん。わたくしの皿に手を出した代償は高くつきますわよ?」
アリシアは優雅に微笑みながら、ナラの死角からサラダの皿を奪い取った。
その動きには無駄がない。魔力がなくとも、彼女の知性はすでにナラの行動パターンを完全に予測していた。
「……ふふ」
エラーラは、騒ぐ娘たちを見て、満足そうにコーヒーをすすった。
そのコーヒーは泥のように不味かったが、今まで飲んだどんな高級品よりも、甘く感じられた。
不器用な天才と、最強の武闘派と、最美の頭脳派。
凸凹な三人は、ようやく「本物の家族」になった。
魔力がなくても、世界が残酷でも。
この絆がある限り、彼女たちはもう、何も怖くない。
獣病院の窓から、今日も騒がしい笑い声が、王都の空へ響いていく。




