第6話:再来の姉!
完結篇。
前作「君の名を呼ぶ」を読んだほうが良いかも。
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それから更に1週間後。
ナラは、裏路地で、ターゲット「レイ・アクト」の顔面をアスファルトに叩きつけていた。
「……ふん。口ほどにもない!あの『善意の撮影事件』の犯人というのに、弱すぎるじゃないの!」
精密なカメラがナラの粗暴な鉄拳により粉々に砕ける。
鉄扇についた血を振るい落とし、獣病院への帰路につこうとした、その時だった。
汚濁にまみれた路地裏に、不釣り合いなほど優雅な拍手が響いた。
ナラは瞬時に鉄扇を構え、闇を睨む。
「……誰?」
闇の中から姿を現したのは、この掃き溜めにはあまりにも不釣り合いな、圧倒的な「光」だった。
「……お見事ですわ。さすがは、あの方が選んだ『唯一の娘』さん」
そこに立っていたのは、一人のエルフの少女。
彼女は、まるで舞踏会へ向かうかのような、純白のドレスを身に纏っていた。それは昨日行われた名門校の卒業式で着用される、首席卒業生だけが許された特別な正装だった。
月光を紡いだような白銀の髪。宝石職人が一生をかけても再現できないであろう、完璧な造形の顔立ち。
それは「美しい」という言葉すら陳腐に聞こえるほどの、神々しいまでの美貌だった。
だが、ナラは戦慄した。
この完璧な美貌を持つ少女からは――魔力の気配が、一滴も感じられなかったからだ。
エルフであり、この美貌を持ち、名門校の首席制服を着ている。
なのに、魔力がない。
ナラの背筋に、冷たい汗が伝う。
(……なんてこと。この子は……『無防備な宝石』だ)
「はじめまして、妹さん。わたくしの名はアリシア。魔力を持たぬ『欠陥品』のエルフにして……あの方に拾われ、弄られ、そして飽きられて捨てられた、ゴミですわ」
「……捨てられた?」
ナラは警戒を解かずに問う。
「人違いじゃない? うちの母親は……」
「エラーラ・ヴェリタス賢者。あの方がわたくしの養母です」
アリシアは、懐から湿った封筒を取り出し、ナラの足元に投げた。
『養子縁組届出書』。日付は1年半前。エラーラの筆跡。
ナラが書類を拾い上げると、アリシアは雨に打たれながら、静かに語り始めた。
「わたくし、聖アフェランドラ魔導学院を卒業しましたの」
ナラは驚愕した。
「魔導学院!?……魔力がないのに?」
「ええ。魔術実技はゼロ点でしたが、筆記、歴史、魔導理論、芸術、礼法……その他全ての科目で満点を取りましたわ。必死でしたの。わたくしには魔力がない。だから、知性で補うしかなかった。『完璧な娘』であれば、お母様が迎えに来てくださると信じて」
しかし、その努力こそが、彼女を地獄へ突き落とす要因となった。
「想像できますか?ナラティブさん。魔力がすべてのこの社会で、魔力のない女が、王女のような美貌と、誰よりも優れた知性を持ってしまった末路を」
アリシアは、自嘲気味に微笑んだ。その笑顔は、ガラス細工のように今にも砕け散りそうだった。
「『極上の獲物』……それが、社会がわたくしにつけた値札です」
魔力がないということは、結界も張れず、抵抗もできないということ。
それなのに、見た目だけは国宝級に美しい。頭も良い。
それは、鍵の掛かっていない宝箱を、盗賊の群れの中に放置するようなものだ。
「学校にいる間は、『ヴェリタス賢者の養子』という肩書きが、唯一の盾でした。教師も、貴族の子弟たちも、賢者を恐れて手出しはできなかった。……しかし、卒業と同時に、その盾は消滅しました」
アリシアの瞳から、光が消える。
「先日、テレビを見ましたの。あの方は、インタビューで笑っていましたわ。『娘はこのナラティブ一人だけだ』と」
その瞬間、アリシアを取り巻く世界は一変した。
『賢者の娘』という盾が、賢者自身の言葉によって粉々に砕かれたのだ。
周囲の視線が変わった。
「腫れ物」を見る目から、「値踏み」をする目へ。
「卒業パーティーのあと……わたくしは、複数の貴族の商人に囲まれました。彼らは言いましたわ。『賢者に捨てられた無力な美女。これは高く売れる』『知能が高いなら、躾ければ良い愛玩奴隷になる』『魔力がないなら、逃げ出す心配もない』」
ナラは、吐き気を催した。
アリシアの美しいドレスが汚れている理由。足から血が出ている理由。
彼女は、自分を「商品」として見つめる獣たちから、必死に逃げ回っていたのだ。
「逃げ場所など、どこにもありません。この美貌は目立ちすぎます。この知性は、絶望を理解するのに役立つだけ。わたくしは……ただ、怯えることしかできない『高級な人形』なのです」
アリシアは、雨に濡れた顔で微笑んだ。
「あなた、幸せそうですわね。その力も。その居場所も。あなたを守る『母の愛』という最強の盾も。……本来は、すべて、わたくしのものでしたのに」
ナラは、獣病院へ走った。
心臓が凍りついていた。
(お母様……あんた、何をしたかわかってるの!?)
(あの子を……あんな、硝子でできた無防備な子を、狼の群れの中に放置したの!?)
獣病院の実験室。
エラーラは、いつものようにフラスコを揺らし、数式を呟いていた。
「ふむ、この反応速度は……」
平和で、知的で、清潔な空間。
あのアリシアが、ドレスを泥に汚して逃げ惑っていた地獄とは、あまりにも乖離した世界。
「……お母様」
ナラの声に、エラーラは振り向いた。
「なんだいなんだい。ずぶ濡れじゃないか。タオルならそこにあるぞ」
「アリシアって子、知ってる?」
エラーラの手が止まった。
数秒の沈黙。彼女は面倒くさそうに天井を見上げ、記憶の引き出しを探った。
「……ああ。そういえば、いたな。検体番号404……アリシアね」
そのあまりの軽さに、ナラの視界が赤く染まる。
「……いたな、って何よ。あの子、1年半も学校にいたのよ?昨日卒業したのよ?あんた、迎えに行ったの? 手紙は? 連絡は?」
エラーラは、心底不思議そうにナラを見た。
「行くわけないだろう?彼女は『魔力欠乏症』だ。外の世界は危険すぎる。だから、セキュリティの堅牢な全寮制学校に入れた。生活費は自動送金だ。衣食住は最高水準だ。彼女は安全な箱の中で、一生守られて暮らせる。魔力を持たない『弱者』に対して、これ以上論理的で完璧な『救済』があるか?」
エラーラの論理は完璧だった。
「衣食住」と「物理的な安全」。
だが、そこには致命的な欠落があった。
「社会的地位」と「尊厳」という、魔力なき者が生きるために最も必要な要素への配慮が、欠落していた。
「……あんたは、バカなの?」
ナラの声が震える。
「あの子はね……首席で卒業したのよ。魔力がないのに、必死で勉強して、完璧な成績をとって、完璧なレディになったのよ。あんたに認めてもらうために!あんたが迎えに来てくれると信じて!」
「ほう。それは優秀だな!なら、自分で仕事を見つけて生きているだろう」
「生きられるわけないでしょうがッ!!」
ナラが叫んだ。
「あの子はエルフよ!しかも絶世の美女よ!なのに魔力がない!抵抗できない!そんな子が……『賢者の娘』という盾を失って、社会に放り出されたらどうなるか!あんたのその優秀な脳みそで計算しなさいよ!!」
エラーラは、きょとんとした。
「……?法治国家だぞ?警察は市民の味方だ。それに、人身売買や拉致など、法で禁じられているはずだが?」
「今更この、地獄の王都でそれを言う!?……法なんて、力なき者には意味ないのよ!」
ナラの目から、涙が噴き出した。
この人は知らないのだ。
力なき者が、路地裏でどう扱われるか。
美しさが、弱者にとっては祝福ではなく、暴力を誘発する餌にしかならないことを。
自分が暴力に訴えてまで身を守ってきた理由を、この天才は、何も、一切、理解していなかった。
「あんたは……あの子を『最高級の餌』に仕上げて、猛獣の檻に投げ込んだのよ!1年半放置して!テレビで『娘じゃない』って宣言して!あの子の唯一の命綱を、あんた自身の手で切り落としたのよ!」
エラーラは、まだ理解しきれていない顔で、フラスコに目を戻そうとした。
「ナラ、落ち着け。後で調べる。今は実験が……」
ナラは、拳を握りしめた。
殴りたい。
この鈍感で、傲慢で、無知な母親の顔面を、形が変わるまで殴り飛ばしたい。
だが、できなかった。
拳が震えて止まらない。
あまりのショックに、怒りよりも先に、深い絶望が体を支配していた。
(……ダメだ。この人には、言葉が通じない)
ナラは、その場に崩れ落ちた。
「……あんたなんか……もう、母親じゃない……」
その時。
実験室の全てのモニターが、警告音と共に強制的に切り替わった。
映し出されたのは、王都の大時計塔。
その最上階に、純白のドレスを風になびかせる、アリシアの姿があった。
『ごきげんよう、愚かな王都の皆様』
モニター越しのアリシアは、この世のものとは思えないほど美しく微笑んでいた。
その胸には、複雑な配線が剥き出しになった、巨大な時限爆弾が抱かれている。
エラーラが顔を上げる。
「……アリシア?なぜ時計塔に……それにその爆弾は……」
エラーラが呼びかけても、アリシアは反応しない。
これは双方向の通信ではない。
一方的な、遺言の放送だ。
『わたくし、もう疲れましたの。魔力のない愛玩人形として怯えて生きるのも。届かない手紙を待つのも。誰かの欲望の対象として見られるのも』
彼女は、まるで舞踏会の手を取るように、優雅に手を差し出した。
『最後に、大きな花火を打ち上げます。これが、わたくしが自分の意志で選び取った、最初で最後の「抵抗」です』
「その爆弾の構造は……旧式の科学爆弾か!? 魔法による解除ができないタイプだ!馬鹿な! 自爆する気か!?」
エラーラは、まだ「現象」としてしか事態を見ていなかった。
なぜ彼女がそこまで追い詰められたのか。その「心」の計算ができていない。
アリシアは、カメラに向かって、妖艶に、そして悲しく微笑んだ。
『止めたければ、いらしてください。……いいえ、来てください。わたくしを捨てた「母」と、その席を奪った「妹」のお二人で。この時計塔の下で、わたくしの最期を見届けてください。あなたが作り上げ、そして見捨てた「最高傑作の失敗作」の末路を』
画面が砂嵐に変わる。
エラーラは立ち上がった。
「……行くぞ、ナラ。爆弾を解体する」
その声は冷静だった。まだ、「技術的なトラブル」だと思っている。
「……」
ナラは、ゆらりと立ち上がった。
その瞳には、暗い炎が宿っていた。
「爆弾なんてどうでもいい。……あんたには、あの子に殺される義務がある」




