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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第10章:ヴェリタスの天秤4 希望を知る者

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第8話:Last Action Hero

主題歌:ラスト・アクション・ヒーロー/Big Gun

https://youtu.be/nLsXJitaiVo?si=gWLkFTnHTFQT_cMy

歴史書は嘘をつく。

勝者が書き換え、生存者が美化し、そして凡人が都合よく解釈するからだ。

「王都興亡史」を紐解けば、そこには三人の英雄が記されている。

戦士ナラティブ。

聖女アリシア。

賢者エラーラ

人々は問う。

「誰が最強だったのか?」と。

ある者は、学力のエラーラだと言う。

ある者は、武力のナラティブだと言う。

ある者は、愛のアリシアだと言う。

だが、断言しよう。

それらは全て間違いだ。

暗黒時代から、黄金時代を経て、終末の地獄に至るまで。

一貫して最強であり、常に自由であり、そして誰よりも「ヴェリタスの天秤」を完璧に使いこなしていた種族がいた。

人々は彼らを蔑みを込めてこう呼んだ。


「狂人」と。


彼らこそが、この物語の真の主役であり、あの三人の女神たちが到達したくてもできなかった「完成形」だったのだ。


まず、認めなければならないことがある。

ヴェリタスの三人は、確かに偉大だった。彼女たちは、それぞれの領域において「全てをなげうつ」覚悟を持っていた。


エラーラ・ヴェリタスは、全てをなげうってでも学ぶ学者。

彼女は知性の探求者だった。自らの肉体を実験台にし、倫理を無視し、家族すらもデータとして扱った。その姿勢は、凡人から見れば狂気そのものだ。だが、彼女は「保身」を捨てきれなかった。


ナラティブ・ヴェリタスは、全てをなげうってでも戦う戦士。

彼女は暴力の求道者だった。骨が砕けようが、血が流れようが、拳を振るい続けた。その闘争本能は獣を凌駕していた。だが、彼女は「情」を捨てきれなかった。


アリシア・ヴェリタスは、全てをなげうってでも愛する思想家。

彼女は愛の独裁者だった。家族を殺し、自らの寿命を削り、全人類を洗脳してでも平和を実現した。三人の中で最も狂気に近かった彼女が一応の勝利者となったのは必然だ。だが、彼女でさえ「善意」を捨てきれなかった。


彼女たちは、99%まで到達していた。

だが、残りの1%――「自分自身すらどうでもいい」という究極の虚無と衝動という「狂気」を持てなかったがゆえに、彼女たちは単なる「専門家」の枠を出ることができなかった。


対して、狂人たちはどうだ?

彼らは、学ぶためなら自分の脳をスプーンでかき回す。

彼らは、戦うためなら自分の腕を噛みちぎって武器にする。

彼らは、遊ぶためなら燃え盛る家の中でワルツを踊る。

彼らは、愛するためなら相手の喉笛を食い破って一体化する。

彼らには、「学者」「戦士」「芸術家」「思想家」という肩書きはない。

なぜなら、彼らは「最初から全てができている」からだ。

彼らにとって、学びも戦いも遊びも愛も、すべては等価だ。


「今、これをやりたいからやる」


その衝動の前には、命も、倫理も、未来も、過去も、塵芥に等しい。

エラーラが何年もかけて計算した結論に、彼らは直感で一秒で到達する。

ナラティブが修行の末に手に入れた「死を恐れぬ拳」を、彼らは生まれた時から振るっている。

アリシアが命を削って示した「無償の愛」を、彼らは道端の石ころに対してすら向けることができる。

食べたい時に食べる。

学びたい時に学ぶ。

死にたい時に死ぬ。

努力も、修行も、葛藤もいらない。

彼らは、生まれた瞬間から「完成」しているのだ。


だからこそ。

この世界のあらゆる「専門家」たちは、狂人を避ける。

極道は、命知らずを気取るが、狂人の目を見て道を譲る。極道には「メンツ」や「組織」という守るべきものがあるが、狂人にはないからだ。

騎士は、忠義を尽くすが、狂人の前では剣を下ろす。騎士の剣は「守るため」にあるが、狂人の暴力には「理由」がないからだ。

道化師すらも、狂人を見て震え上がる。道化師は「笑わせるため」に狂ったふりをするが、狂人は「自分が笑いたいから」世界を壊すからだ。演技は、本物には勝てない。


学者も、戦士も、思想家も。

彼らが狂人を避けるのは、単なる嫌悪ではない。

それは「恐怖」だ。

自らが一生をかけて追い求めている「到達点」に、何の苦労もなく、泥遊びの延長で立っている存在に対する、生物としての根源的な敗北感だ。

本能が告げているのだ。

命を惜しまずに生きている者には「勝てない」と。

積み上げたロジックも、鍛え上げた筋肉も、磨き上げたセンスも、練り上げた思想も。

「衝動」というたった一つのエネルギーの前では、紙細工のように無力だと。


やがて訪れる破滅の時代でさえも、狂人たちは、歓喜していた。

彼らは、狂犬病の魔獣に素手で挑み、食いちぎられた自分の腕を見て爆笑した。これはナラティブが目指した「死を超越した戦い」だ。

彼らは、自分の腹が裂けても、その断面を興味深そうに観察した。これはエラーラが目指した「執着なき学び」だ。

彼らは、死に至る病すら抱きしめた。これはアリシアが目指した「差別なき愛」だ。

彼らにとって、王都の崩壊は悲劇ではない。


今、三人の女神たちは、あの世の庭園で、地上の様子を見下ろしているとしよう。

彼女たちは、自分たちの作った世界が滅び、獣と病魔が跋扈する様を見て、嘆くだろうか?

いいや。

彼女たちの目は、廃墟の中を笑いながら駆け回る「狂人たち」に釘付けになっているはずだ。

ナラティブ・ヴェリタスは、腹を抱えて大笑いする。

エラーラ・ヴェリタスは、感嘆の息を漏らす。

そして、アリシア・ヴェリタス。

彼女は、かつてないほど優しく、聖母のような微笑みを浮かべる。

アリシアは、地獄の荒野をスキップする狂人たちを指差す。


「彼らは……『ヴェリタスの天秤』の、究極の体現者ですわ」


三人は顔を見合わせる。

そこにあるのは、嫉妬でも軽蔑でもない。

自分たちが命を賭けても到達できなかった「真理」を、泥遊びのように軽々と体現する者たちへの、心からの称賛と、憧れだ。


「乾杯しましょうか」


エラーラが言う。


「我らが愛しき、理解不能な隣人たちに」


三人の女神は、見えないグラスを掲げる。

王都は死んだ。

歴史も、文明も、愛も、知性も、暴力も、すべては土に還った。

だが、狂気だけは死なない。

廃墟の風に乗って、彼らの笑い声が聞こえる。

それは、あらゆる束縛から解き放たれた、自由の賛歌だ。

彼らは今日も、明日も、その先も。

学びがあるなら地獄へ飛び込み、学びがないなら天国を蹴り飛ばし、永遠に狂い続けるだろう。

それこそが、最も美しく、最も正しいハッピーエンドなのだから。

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