第5話:善意の撮影(4)
王都の喧騒から隔離された、鬱蒼たる森に抱かれた学び舎。全寮制学園「聖アフェランドラ女学院」。
白亜の壁とステンドグラスに彩られたその場所は、王都の混乱など露ほども知らないかのような静寂に包まれていた。
だがその日、学院の重厚な鉄門を、数台の黒塗りの警察車両がくぐり抜けた。
ドイルを失い、最強の知能アガサまでもが絶望の淵に沈んだ今、王都警察に残された最後の「希望」は、学園の奥深くに隠棲する一人の少女であった。
「……失礼いたします。アリシア様」
学院の最奥、百合の花が咲き乱れる温室で、警察長官を含む幹部たちが深々と頭を下げた。
そこにいたのは、陽光を透かすような金髪を優雅に波立たせ、最上位階級エルフの証である長い耳を持った、絶世の美少女だった。
彼女は白いティーカップを口元に運び、視線すら上げずに冷然と言い放った。
「あら?無能な官憲が束になって、わたくしの神聖なティータイムを汚しに来るなんて。……控えめに言って万死に値しますわよ」
その声は鈴を転がすように美しいが、刃物のような鋭さを秘めていた。
アリシア。エルフの名家に生まれながら、魔法を一切使えないという特異体質。だが、それを補って余りある……いや、世界を膝屈させるほどの知性が、彼女をこの学園の「支配者」たらしめていた。
「申し訳ありません! ですが、アガサ先生でも解けなかった『善意の殺人』の真相を、アリシア様の智慧でどうか……!」
「アガサ? ああ、あの計算機のような男ですわね。論理に縛られ、事象の表面をなぞることしかできない凡庸な知性。……彼が敗北したのは当然ですわ。世界は数字だけでは動いておりませんのよ」
アリシアは立ち上がり、窓の外を見つめた。彼女はこの学園都市から一歩も出たことがない。だが、その瞳は王都で起きているすべての「物語」を、紙の上に書かれた文字のように読み取っていた。
「事件の資料を見せなさいな。……触るのは嫌ですから、そこでめくってちょうだい」
長官が震える手で写真を提示する。ドイルの埋葬。アガサの墜落。そして、カイトを殺した犯人ジャックの異常な死。
アリシアはそれらを数秒間眺めると、ふっと溜息をついた。
「あまりにも単純すぎて、あくびが出ますわ」
「た、単純……!?我々は何一つ手がかりを……」
「動機は怨恨。それも、この世から『偽善』を消し去りたいという、ひどく独りよがりで傲慢な正義感ですわね。……おそらく、彼は大切な誰かを不条理に失ったのでしょう。その欠落を埋めるために、世界を自分の望む『平和』という色に塗り替えようとしている。……救いようのない、ロマンチストの犯行ですわ」
長官たちは言葉を失った。アリシアは現場にすら行っていないのだ。
「そして、凶器。……これはカメラですわね」
「やはり……! 我々もそう推察していましたが、どのようにして殺害を?」
「光学的な、命の分配ですわ」
アリシアは自らの指先を見つめた。
「魔法が使えないわたくしには、エネルギーの等価交換がよく分かりますの。犯人は、カメラというレンズのフィルターを通じ、自身の『生命力』を他人に分け与えているのですわ。……それも、一方的な、暴力的なまでの『善意』のエネルギーとして」
「生命力を……分ける?」
「ええ。人間には、誰かを助けたい、正しくありたいという本能的な欲求があります。犯人は、自分自身の寿命——つまり生命エネルギーを、撮影という行為によって対象の脳へダイレクトに流し込んでいるのですわ。注ぎ込まれたエネルギーは、対象の『善意』という感情を異常増幅させ、理性というリミッターを焼き切る。……その結果が、あのおぞましい『慈悲の処刑』です。彼は運命を書き換えているのではありません。自分の命を削って、無理やり他人の脳を『幸せ』という名の狂気に染めているだけですわ」
アリシアの言葉は、まるでその場に犯人がいるかのような、確信に満ちたものだった。
アリシアの指摘を受けた警察は、直ちに王都最高峰の学者たちを招集した。
アガサの死体に残された微細な「バイタル・エネルギー」の残滓。そして、ドイルを埋めたコンクリートから検出された、通常の人間からは考えられないほど高純度の「生命子」の反応。
「……信じられない。アリシア様の仰った通りだ」
最先端の魔導計測器を操作していた学者が、驚愕に震えた。
「被害者たちの脳内、特に多幸感を司る部位が、物理的に焼き切れるほどの過剰なエネルギーを浴びています。これは魔法ではありません。純粋な『生命の熱量』そのものです。……アリシア様は、データも見ずにこの事象を言い当てたのか」
捜査本部に激震が走る。
同時に、アリシアの言葉には、学園の運営に対する鋭い警告も含まれていた。
「いいですか、お役人様。このまま犯人を野放しにすれば、王都の生命体バランスが崩れ、数年後には深刻な『魂の枯渇現象』が起きますわ。そうなれば、アカデミーの予算削減どころか、この学園の維持さえ危うくなります。わたくしの静かな生活を脅かす者は、速やかに排除していただかなくては困りますの」
「は、はい! 直ちに犯人を……!」
だが、アリシアは窓の外を見つめたまま、冷たく微笑んだ。
「……しかし、もうその必要はありませんわ」
「と、申しますと?」
アリシアは、金髪のウェーブをかき上げ、その美しい瞳を細めた。
彼女の世界一の回転速度を誇る脳は、犯人の「寿命」をすでに計算し終えていた。
「犯人は、そろそろ生命力が切れて死にますわ」
アリシアのその一言に、部屋中の空気が凍りついた。
「死ぬ……? 犯人が、ですか?」
「当然でしょう? ああも派手に、他人のために自分の命をバラ撒いているのですもの。……本来なら数十年生きるはずの命を、彼はこの短期間に、たった数人の『偽善者』を殺すために使い切ってしまった。現在の王都に漂う、彼のエネルギーの減衰率から計算するに……。彼の心臓は、あと数回シャッターを切れば、止まりますわね」
アリシアは、ティーカップの底に残った茶葉を眺めた。
「自らの命を削って世界を救おうとした結果、自分が真っ先に消えてしまう。……なんとも滑稽で、愚かで……そして、少しだけ美しい悲劇ではありませんか」
その頃、王都の地下。
レイ・アクトは、かつてないほどの疲労感に襲われていた。
視界がかすみ、指先は氷のように冷たい。
(……あと一人。あと一人だけ、あの悪人を撮れば……)
レイは、震える手でカメラを握りしめた。
彼は気づいていなかった。アリシアという「観測者」が、彼の死のカウントダウンをすでに始めていることに。
「アリシア様……。もし犯人が自滅するのだとしたら、我々はどうすれば……」
「見守ればよろしいのではなくて? どうせ、止めても無駄ですわ。正義の味方は、自分が死ぬことよりも、自分の物語が未完成であることを恐れるものですから。どうしてもというのなら、どこかの『探偵』にでも任せておけばよろしくてよ」
アリシアは、警察長官たちに背を向けた。
「さあ、お帰りなさい!わたくし、これから午後の読書を楽しみたいのです。」
「は、はっ! 承知いたしました!」
長官たちは、アリシアの圧倒的な風格と知性に圧倒され、這々の体で学園を後にした。
警察たちが去った温室で、アリシアは一人、静かに立ち上がった。
彼女は、かつて失った親友のことを思い出していた。
事故。不条理な死。そして、自分に浴びせられた疑いの目。
親から絶縁され、自分を引き取った『大賢者』からも見捨てられ、この学園という檻に閉じ込められた自分。
学園卒業後に、命を狙われ始める、自分。
「……3日後に卒業式……ですわね」
アリシアは、優雅に髪をかき上げた。
その透き通るような白い肌が、陽光を受けて輝く。




