表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【2位】ヴェリタスの最終定理3アリシア・ヴェリタス  作者: LIU WANPAI
●第10章:真理の証明

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/51

第4話:希望を知る者(4)

「遅かったな、アリシア。……教育的指導だ。君の愛した『黄金の世界』が、いかに脆いか……理解できたかね?」


エラーラは、掌に残る硝煙を払い、冷ややかにアリシアを見下ろした。

アリシアは、放心していた。

目の前で、愛する人が消えた。

自分の名前を呼びながら、自分のために戦って、ゴミのように捨てられた。

傲慢。

冷酷。

これこそが、最強の魔導師エラーラ・ヴェリタスの真の姿。

アリシアの心の中で、何かが完全に壊れ、そして、どす黒い何かが生まれた。

だが。

その時だった。


「……ぐ、ぅ……?」


エラーラが、不意に胸を押さえてよろめいた。

膝が震え、立っていられなくなる。

視界が霞む。

体内の魔力回路が、急速に凍り付いていくような感覚。


「……これは……?」


エラーラは、自分の首筋に手をやった。

そこには、小さな刺し傷があった。

先ほど、リウが吹き飛ばされる直前。

あの魂を砕く一言を言われ、動揺し、吹き飛ばされたその刹那。

リウは、本能だけで動いていた。

折れた剣ではなく、隠し持っていた「注射器」を、すれ違いざまにエラーラの首筋に突き立てていたのだ。


「ま、さか……あの時……!」


エラーラの顔色が蒼白になる。

あれは攻撃ではなかった。

芸術家としてのプライドを砕かれてもなお、愛する人を守るために残した、最後の「一筆」。


『魔力枯渇剤』。


かつてエラーラ自身が開発し、あまりに危険すぎるとして「南都」の基地局に封印したはずの劇薬。

それを、ナラが持ち出し、アリシアに託していたのか。


「く……そ……。やって、くれる……!」


エラーラの身体から、力が抜けていく。

100万のキメラを操る魔力も、時間を戻す力も、立っているための体力さえも。

世界最強の怪物が、たった一人の画家の、命と引き換えの色彩によって、塗り潰された。

エラーラが、瓦礫の上に倒れ込む。

意識が遠のく。


「お母様ッ!」


ナラが駆け寄る。

戦場には、静寂が戻った。

燃え続ける炎の音だけが響く。

リウはいない。

エラーラは倒れた。

残されたのは、二人の姉妹。

アリシアは、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、涙はなかった。

あるのは、リウを奪われた虚無と、それを上書きするほどの、絶対零度の冷徹さ。

彼女は、倒れたエラーラと、それを抱き起こすナラを見据えた。


「……ナラティブ!」


アリシアの声が、鈴の音のように、しかし死刑宣告のように響く。


「そこを退きなさい!」


ナラは、震えながら顔を上げた。

涙でぐしゃぐしゃになった顔で、姉を睨み返す。

その瞳には、姉への愛と、それ以上の「拒絶」が宿っていた。


「……嫌だ……」


ナラは、動かないエラーラを背に庇い、仁王立ちになった。


「リウを殺したのはお母様だ。……でも、殺させたのは、姉さんだ!」


ナラが拳を構える。

魔力はない。武器もない。

あるのは、傷だらけの拳と、引き裂かれた魂だけ。


「ここから先へは行かせない。……お母様を殺すなら、あたしを殺してからにして!」


アリシアは、無表情のまま、懐から小型の魔導銃を取り出した。

リウが命を賭して作った、最初で最後の好機。

これを逃せば、エラーラはいずれ目覚め、世界は終わる。


「……分かりました」


アリシアが銃口を向ける。


「残念ですわ、ナラティブ。……貴女も、痛みから何も学ばなかったのですね」


標的は、最愛の妹。


「……撃ちごらんなさいよ、姉さん」


ナラは、血と煤にまみれた拳を構え、吼えた。

その背には、意識を失った母、エラーラがいる。

彼女は今、世界の敵であり、姉の敵であり、そして守るべき唯一の家族だった。


「その銃で、あたしの心臓を撃ち抜いてみなさいよ!愛だの希望だの言っておきながら、結局は暴力で解決するんでしょ!?」


ナラの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

彼女は絶望していた。

リウが死んだ。お母様が倒れた。

そして大好きだった姉さんが、冷酷な処刑人となって目の前に立っている。

アリシアは、無表情のまま銃口を向けていた。

だが、ナラの絶叫を聞いた次の瞬間。


カラン……。


乾いた音が響いた。

アリシアは、手にした魔導銃を、無造作に放り捨てたのだ。


「……え?」


ナラが呆気にとられる。


「必要、ありませんわ」


アリシアは、純白のドレスの裾を裂き、動きやすい長さに短くした。

そして、ハイヒールを脱ぎ捨て、裸足で熱い瓦礫の大地に立つ。


「貴女の心臓を撃ち抜くには、道具になど、頼りません。……わたくしのこの手で、貴女のその歪んだ魂ごと抱きしめ、そして……砕きます」


「な……何を言って……」


ナラは混乱した。

姉さんは魔力がない。武術の心得もない。

ただの「か弱い聖女」だ。

いくら気合が入っていても、素手で、「最強の戦士」である自分に勝てるはずがない。


「ナラティブ。……来なさい。まさか、怖いのですか?」


アリシアが、静かに挑発した。


「……舐めるなァァァッ!!」


ナラの堪忍袋の緒が切れた。

姉さんは狂った。自分を愚弄している。

なら、叩きのめして目を覚まさせてやる。

ナラが地面を蹴る。

音速を超える踏み込み。

彼女の拳は、岩をも砕き、鋼鉄をも貫く必殺の槍だ。

避けることは不可能。防ぐことも不可能。


「終わりよ、姉さァァン!」


拳が、アリシアの顔面を捉える――その直前。

ナラの視界から、アリシアが消えた。


「なっ!?」


空振りした拳が空を切る。

勢い余ってつんのめるナラ。

その背後に、いつの間にかアリシアが立っていた。


「――ッ!?」


ナラが振り返ろうとした瞬間。

衝撃が走った。

アリシアの拳が、ナラの鳩尾に突き刺さっていた。


「ガ……ッ……!?」


ナラの時が止まる。

痛い。

いや、痛いどころではない。

呼吸が止まるほどの重い一撃。

信じられなかった。

姉さんの細い腕に、これほどの力が?

いや、違う。これは筋力ではない。


「反応、できませんでしたか?」


アリシアは、拳を引かずに淡々と言った。


「当然ですわ。……わたくしは、貴女のすべてを計算し、貴女の意識の『死角』に滑り込んだのですもの」


「けい……さん……?」


「ええ。『最適化』です」


アリシアの碧眼が、冷たく輝く。


「わたくしはこの数年、ただ書類に判を押していたわけではありません。……エラーラの『学』と、ナラティブの『武』。貴女たちを、一番近くで観察し、解析し、そしてわたくしの肉体で再現できるよう、再構築しました」


アリシア・ヴェリタスは、魔力を持たない。

だが、彼女は天才的な頭脳を持っていた。

彼女は、自身の肉体操作を極限まで科学的に突き詰めたのだ。

最小のエネルギーで最大の破壊力を生む角度。

敵の反射神経の隙間を縫うタイミング。

物理法則と心理学を融合させた、完全なる「戦闘の方程式」。


「文武両道。……それが、支配者たるわたくしの到達点です」


「はああああ!?……ふ……ふざけるな……ッ!」


ナラは、痛みをこらえて跳躍した。

地上では分が悪い。

彼女は、瓦礫の山を駆け上がり、まだ辛うじて残っていた時計塔の最上部へと退避した。


「そこから見下ろすつもりですか?でも……無駄ですわ」


アリシアは、追わなかった。

ただ、地面をじっと見つめ、瓦礫の中に埋もれていた一本の太い鉄パイプの露出部分に、裸足の足を乗せた。


「……崩れなさい」


アリシアが、軽く足を踏み下ろした。

それだけだった。

だが、その衝撃は、正確に計算された振動波となってパイプを伝わり、地盤の共振周波数と一致した。


「あえ……?」


時計塔の上にいるナラが、足元の異変に気づく。

揺れている。

地震ではない。建物自体が、悲鳴を上げている。


「まさか……嘘でしょ!?」


時計塔の支柱が、アリシアの送った振動によってへし折れた。

巨大な石造りの塔が、積み木のように崩壊を始める。


「わあああああッ!?」


ナラは空中に放り出された。

足場を失い、落下の重力に捕まる。

だが、彼女は空中で体勢を立て直し、落下してくる巨大な瓦礫を掴んだ。


「これでもッ!!」


ナラは、石塊を、アリシアめがけて投げつけた。

隕石のような質量兵器。

避ければ背後のエラーラに当たる。防ぐには重すぎる。

アリシアは、動かなかった。

彼女は、自分のすぐ横にあった、焼け焦げた大木に手を触れた。


「……守りなさい」


アリシアが、木の幹の「節」の部分を、指先で突いた。

たったそれだけの入力。

だが、すでに火災で脆くなっていた巨木は、その一点の刺激によってバランスを崩し、轟音と共に、アリシアの前へと倒れ込んできた。

ナラが投げた石塊は、倒れてきた巨木の幹に直撃した。

木は粉砕されたが、石塊の軌道は見事に逸れ、アリシアの数センチ横を掠めて地面に激突した。

砂煙が舞う中、アリシアは髪一本乱さずに立っていた。


「な……なんで?……ずるい……」


ナラが地面に着地する。

彼女は戦慄していた。

魔法じゃない。

姉さんは、ただ「木の幹を突いた」だけだ。

それが、あのタイミングで、あの角度で倒れてきて、完璧な盾になるなんて。

偶然? いや、違う。

姉さんは、木の燃え方、風向き、石塊の軌道、そのすべてを瞬時に計算し、「最適解」を選んだのだ。


「言ったはずです。……わたくしは、すべてを学んだと」


アリシアが歩み寄ってくる。

その姿は、もはや人間ではない。

世界の物理法則そのものを味方につけた、絶対的な捕食者。


「エラーラの科学的思考。ナラティブの野生的本能。……その二つを統合し、『愛』という目的のために運用する。貴女に………………勝ち目はありませんわ!」


ナラは後ずさった。

勝てない。

力でも、技でもない。

「次元」が違う。

姉さんは、あたしたちが遊んでいる間に、たった一人で、人間を超越するほどの努力を重ねていたのだ。


「く……くそがよぉぉぉッ!」


ナラは吠えた。

勝ち目がない?知ったことか。

あたしはナラティブ・ヴェリタスだ。

未来の地獄の生き残りだ。

計算?最適化?

そんな綺麗な理屈で、あたしの「根性」が折れてたまるか!


「うおおおおおおッ!」


ナラは突っ込んだ。

防御など考えない。

捨て身の特攻。

アリシアが反応する。正確無比なカウンターが、ナラの顔面を捉える。

ナラの鼻が折れる。血が舞う。

だが、止まらない。


「捕まえたぁぁぁッ!!」


ナラは、被弾の衝撃を利用して回転し、瓦礫の山を蹴って加速した。

アリシアの計算の外側。

合理的判断ではない。

純粋な狂気。

アリシアの目が、わずかに見開かれた。

ナラの拳が、アリシアの腹部に突き刺さる。


「が……ッ!?」


アリシアが初めて声を漏らした。

ドレスの腹部が破れ、衝撃が内臓を貫通する。

致命傷になりかねない一撃。

だが。

アリシアは倒れなかった。

彼女は、衝撃の瞬間、内臓の位置をわずかにずらすことで、衝撃を分散させていたのだ。

それでも、口からは鮮血が溢れた。


「やった……!?」


ナラは確信した。

姉さんも人間だ。血が出る。痛がる。

なら、倒せる!


「うあああああああッ!!」


ナラの拳が唸る。

左右のフック、アッパー、ボディブロー。

涙と鼻水と血にまみれた、泥臭い連撃。

技術も何もない。ただの暴力。

アリシアは、それを避けなかった。

最適化すれば、すべて回避できたはずだ。

カウンターでナラの首を折ることもできたはずだ。

だが、彼女は足を止め、その全てを「受けた」。


「な!?……なんで!なんでよ姉さん!」


ナラが泣きながら殴る。


「なんであたしたち、こんなことしなきゃいけないの!」


殴るたびに、ナラの拳が割れる。

殴られるたびに、アリシアの肌が青く腫れ上がり、骨が軋む。


「あんたが……あんたが完璧すぎるから!」


「あたしもエラーラも、居場所がなくなったんじゃない!」


「寂しかった!怖かった!置いていかれるのが嫌だった!」


ナラの拳には、殺意ではなく、悲しみだけが詰まっていた。

アリシアは、倒れそうになる身体を意志の力だけで支え、その悲しみの雨に打たれ続けた。


(……痛い)


アリシアは思った。

身体の痛みではない。

拳を通して伝わってくる、ナラの魂の叫びが、痛い。


(これが、貴女の痛み。貴女の孤独。……そして、貴女の愛なのですね)


ナラティブ・ヴェリタスは、アリシアを憎んでなどいなかった。

ただ、愛したかった。役に立ちたかった。家族でいたかった。

でも、アリシアの作る「正しい世界」には、自分の「汚れ」は相応しくないと思い込み、暴走したのだ。


(ごめんなさい、ナラティブ。……わたくしが、早く気づいてあげるべきでした)


わたくしは、世界を救うことに夢中で、一番近くにいる家族の心を見ていなかった。


「痛みから守る」と言いながら、貴女に一番深い痛みを与えていたのは、他ならぬわたくしでした。


「ハァ……ハァ……ッ!」


ナラの拳が止まった。

息が切れる。腕が上がらない。

目の前のアリシアは、ボロボロだった。

美しい顔は腫れ、ドレスは血まみれだ。

それでも、彼女は立っていた。

そして、優しく微笑んでいた。


「……気が、済みましたか? ナラティブ」


「……う、うう……」


ナラは、戦意を喪失していた。

殴っても、殴っても、姉さんは倒れない。

それどころか、殴るたびに、姉さんから「愛」が溢れてくるのを感じた。

全部、受け止めてくれている。

あたしの汚い感情も、暴力も、すべてを。

アリシアは、血のついた手で、ナラの頬を撫でた。


「痛かったでしょう。……寂しかったでしょう」


「姉、さん……」


「もう、大丈夫ですわ。……この痛みは、わたくしがすべて引き受けます」


アリシアが一歩、踏み込んだ。

その動きは、先ほどまでの「戦闘」の動きではない。

優雅で、滑らかな一歩。


「ありがとう、ナラティブ」


アリシアが、指を揃えた。


「貴女の痛み、貴女の強さ、貴女の愛。……すべて、わたくしが背負って生きます」


「あ……」


ナラは、避けようとしなかった。

姉さんの瞳があまりに美しくて。

そこにあるのは、底なしの慈愛だけだと、分かってしまったから。


「そして、さようなら。……愛しき妹よ」


アリシアの一撃が、ナラの心臓を、寸分の狂いもなく貫いた。

衝撃はなかった。

痛みもなかった。

ただ、熱い何かが胸に広がり、そして全身の力がふわりと抜けていく感覚だけがあった。

ナラの瞳から、光が消えていく。

その最期の瞬間に、彼女は見た。

アリシアの背後に、黄金の翼が広がっている幻影を。

そして、その翼の下で、リウが、お母様が、そして自分自身が、安らかに眠っている光景を。


(ああ……そっか……)


ナラの口元に、笑みが浮かぶ。


(姉さんは……あたしを、殺したんじゃない)


(あたしを……この「悲しい役目」から、解放してくれたんだ……)


戦士である必要はない。

強がる必要もない。

ただの、大好きな姉さんの妹に戻れる。


「……ありが、と……ねえ、さ……」


ナラティブ・ヴェリタスの身体が、ゆっくりと崩れ落ちた。

アリシアは、その身体を抱きとめた。

まるで、眠りにつく子供を抱きしめるように。

戦場に、静寂が戻った。

アリシアは、腕の中で動かなくなった妹を見つめた。

その顔は、戦士の険しさが消え、憑き物が落ちたように穏やかだった。


「……おやすみなさい、ナラティブ」


アリシアの瞳から、一筋の涙がこぼれ、ナラの頬に落ちた。

それは、勝利の涙ではない。

世界で一番重い、「愛」という名の罪を背負った、女王の血の涙だった。

アリシアは、妹の亡骸をそっと地面に横たえた。

そして、立ち上がった。

背後には、気絶したままのエラーラがいる。

アリシアは、母の元へと歩き出した。

その足取りは重く、傷だらけだったが、決して揺らぐことはなかった。


「……終わらせましょう、おかあさま」


アリシアの声が、夜明け前の空に溶けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ