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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第10章:ヴェリタスの天秤4 希望を知る者

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48/51

第5話:最期の勝利!

完結篇。

前作「君の名を呼ぶ」を読んだほうが良いかも。

https://ncode.syosetu.com/n8833lb/76

意識が、泥沼の底から浮上する。

耳鳴りがした。

いや、それは耳鳴りではなかった。風の音だ。

そして、何かを啜り泣くような、あるいは祈るような、数千、数万の人々のざわめき。

エラーラ・ヴェリタスは、ゆっくりと目を開けた。

視界が歪んでいる。瓦礫の山。燻る煙。

そして、その灰色の世界の中で、唯一鮮烈な色彩を放つ、純白のドレスと金のケープ。


「……目覚めましたか、おかあさま」


頭上から、冷ややかな声が降ってきた。

エラーラは身を起こそうとして、身体が動かないことに気づいた。魔力が枯渇している。リウが命と引き換えに打ち込んだ毒が、世界最強の魔導師をただの無力な「単なる人間」へと変えていた。


「……アリ、シア……?」


エラーラの視線が、アリシアの足元に吸い寄せられた。

そこで、思考が凍りついた。

そこに、横たわっていたからだ。

漆黒の戦闘ドレスを纏い、まるで眠るように目を閉じた、ナラティブ・ヴェリタスが。

その胸には、一撃で心臓を貫かれた痕跡があった。

動かない。息をしていない。

あの、時空を超えて荒野を生き抜き、どんな怪物も素手で屠ってきた最強の戦士が、物言わぬ肉塊となって転がっていた。


「……え……?」


エラーラの喉から、空気が漏れた。

理解が追いつかない。

ナラが、負けた?

あのナラティブが?

魔力も武力もない、本ばかり読んでいたあのアリシアに?


「嘘だ……。あり得ない……」


エラーラは、震える手でナラの方へ這いずろうとした。

だが、その視界の端に、もっと信じがたい光景が映り込んだ。

周囲を取り囲む、無数の人影。

王都軍の兵士たち。そして、避難命令を解除され、この決戦の地へと集まってきた王都の民衆たちだ。

彼らは、恐怖に逃げ惑ってなどいなかった。

武器を持ち、工具を持ち、あるいはただ互いに手を取り合って、「アリシア」を、静寂の中で見守っていた。

その目にあるのは、アリシアへの、「信頼」と「崇拝」だった。

その瞬間。

エラーラ・ヴェリタスの背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。

生まれて初めての感情だった。

ドラゴンと対峙した時も、世界の崩壊を目の当たりにした時も、彼女は笑っていた。すべては計算の範疇だったからだ。

だが、今は違う。

彼女は、アリシアを、完全に舐めていた。

魔力を持たない、頭でっかちの理想論者。

「痛みを知らない温室育ち」だと、見下していた。

だからこそ、ナラティブという暴力をぶつければ、必ず捕獲できると踏んでいた。

だが、現実はどうだ。

アリシアは、ナラティブを殺した。


「……どうして……」


エラーラは、目の前に立つ娘を見上げた。

逆光の中で、アリシアの表情は見えない。だが、その立ち姿は、あまりにも巨大だった。


「すべては、計算間違いですわ、おかあさま」


アリシアは、淡々と言った。


「貴女は、魔力と武力を持ちながら、それを『論理』で制御しようとしました。……ですが、わたくしは逆です。論理しかなかったからこそ、魔力と武力を『解析』し、それらを凌駕する『最適解』を導き出したのです」


それは、鏡だった。

かつて、エラーラが夢見た「完全なる人間」の姿。

感情に流されず、目的のために手段を選ばず、痛みすらも糧にして進化する。

エラーラが他者に強要するくせに、自らは体現しきれなかった理想を、アリシアは「愛」という名の燃料を使って、完璧に完成させていたのだ。


「貴女の学は、わたくしの愛に負けたのです」


アリシアは、ナラの亡骸を跨ぎ、エラーラの目の前に立った。

その手には、再び拾い上げられた魔導銃が握られている。


「……選びなさい」


アリシアは、慈悲深く、そして残酷な選択肢を提示した。


「一つ。……このまま、わたくしに処刑されること。貴女は『世界を滅ぼそうとした悪魔』として歴史に名を残し……貴女は、自らの死が何かの役に立ったのだと、勝手な妄想を掲げたまま逃げることができる」


アリシアの銃口が、エラーラの額に向けられる。


「もう一つ。……わたくしに抵抗し、無様に殺されること。貴女は最期まで『娘に殺されるなら本望だ』などという寝言を思い浮かべながら、自己満足の中で死んでいく。……それもまた、現実からの逃避ですわ」


エラーラは、唇を噛み締めた。

どちらを選んでも、アリシアの手のひらの上だ。

死んで礎になるか、死んで満足するか。

どちらも、アリシア・ヴェリタスという支配者が描いたシナリオ通りの「敗者の末路」に過ぎない。


「……君は、悪魔か」


「いいえ。……貴女が作った、最高傑作ですわ」


アリシアは微笑んだ。

その笑顔は、かつてエラーラが愛した、無垢で可愛い娘の笑顔そのものだった。

だからこそ、恐ろしかった。

この娘は、妹を殺し、母を殺そうとしているこの瞬間でさえ、自分が「正しい」と信じて疑っていない。

その狂気的なまでの「愛の正しさ」が、エラーラのちっぽけな「科学の正しさ」を、跡形もなく粉砕していた。


(……ああ、そうか)


エラーラは、瓦礫の上に座り込んだまま、空を見上げた。

夜が明けようとしている。

白み始めた空の下、燃え尽きた学園の煙が、高く昇っていく。

負けたのだ。

愛がなかったから、負けたのだ。

完敗だ。

私の「痛みからの学び」など、この子の「愛による支配」の前では、子供の遊びに過ぎなかった。

この子は、ついに、私を超えたのだ。

ならば、親として最後になすべきことは何か。

悪魔として処刑されることか?

それとも、被害者ぶって殺されることか?


(……違う)


エラーラは、科学者としての思考を捨てた。

論理ではない。計算でもない。

ただ、目の前の、悲しいほどに強く、そして孤独な怪物になってしまった娘のために、何ができるか。

彼女は、懐に手を伸ばした。

アリシアの目が鋭くなる。銃のトリガーに指がかかる。

だが、エラーラが取り出したのは、武器ではなかった。

一本の、古びた試験管だった。

中には、虹色に輝く液体が入っている。

『起源の魔力液』。

エラーラが体内に保有する膨大な魔力の、そのさらに根源となる生命エネルギーを抽出したもの。

これを飲めば、一時的に全盛期以上の魔力を取り戻せる。

アリシアを殺すことも、逃げることもできるかもしれない。

だが、同時に、その代償として肉体は崩壊する。


「……アリシア」


エラーラは、試験管の栓を親指で弾き飛ばした。


「君の言う通りだ。私は逃げていた。他人からも。自分からも。……科学という名の安全地帯へ。論理という名の鎧の中へ」


エラーラは、液体を一気に飲み干した。

全身から、黄金の光が噴き出す。

枯渇していた魔力回路が、悲鳴を上げながら再起動する。

リウの毒すらもねじ伏せる、圧倒的なエネルギーの奔流。


「おかあさま、何を……!?」


アリシアが警戒し、後ずさる。

エラーラは、立ち上がった。

その身体は光に包まれ、ヒビ割れていく。

彼女は、その膨大な魔力を、攻撃には向けなかった。

彼女は、両手を広げ、天に向かって掲げた。


「……術式展開、対象『王都全域』」


エラーラの声が、朗々と響き渡る。


「私の魔力、私の生命、私の存在……そのすべてを『修復』の触媒とする!」


「修復……!?」


「そうだ、アリシア!生き返らせるのではない!君の世界は美しいが、脆い!ナラが壊した街も、私が焼いた学園も、そして……失われた命も!傷跡を残したままでは、君の理想郷は完成しない!」


エラーラは、自らの命を燃やし尽くし、最後の魔法を紡いだ。

それは、時間を巻き戻す魔法ではない。

物質を、生命を、因果律を超えて「在るべき形」へと縫合する、奇跡の治癒魔法。


「馬鹿な……!そんなことをすれば、貴女は……!」


「消滅するさ。……それでいいんだ!」


エラーラは笑った。

それは、マッドサイエンティストの笑みではなく、憑き物が落ちたような、穏やかな笑みだった。


「私は、君の礎にはならない。……ただ、君が愛した世界の一部となって、消える」


光が、王都中に降り注ぐ。

崩れた建物が元に戻っていく。

瓦礫が花に変わる。

傷ついた人々が癒やされていく。

そして、足元のナラの胸の傷が塞がり、その頬に赤みが差していく。


(生き返らせることはできない。だが、せめて綺麗な姿で眠らせてやりたい……)


エラーラの身体が、足元から粒子となって崩れ始めた。

彼女は、最後にアリシアを見た。

銃を下ろし、呆然と立ち尽くす娘を。

私の愛した、最強の娘。

私が歪め、私が育て、そして私を乗り越えた、新時代の神。

アリシアが、万感の想いを込めて、叫んだ。


「……さよなら……さようなら!エラーラ・ヴェリタス!」


エラーラの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

アリシアの涙は、魂が流す、静かで、なぜだか温かい涙。

エラーラの涙は、罪と、過去への後悔と、そして、今この瞬間に初めて得られた、ほんのわずかな「救い」がぐちゃぐちゃに混ざり合った、熱い涙だった。

エラーラは泣きながら、絞り出すように叫んだ。

それは、真実を求める学者の声ではなく、ただ一人の、不器用な……母の声だった。


「エラーラ・ヴェリタスではないッ!」


アリシアは、涙を浮かべたまま、ただ静かに彼女を見つめ返す。その瞳は、エラーラの深い悲しみを、ただ、そっと受け止めていた。

エラーラは、その無垢な瞳に向かって宣言した。


「…………君を愛する、お母様だ!」


その叫びと共に、光が弾けた。

世界最強の魔導師、エラーラ・ヴェリタスの姿は、朝日の光の中に溶け、金色の粒子となって王都の空へと舞い上がっていった。

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