第3話:最期の対峙!
「退きなさい、リウ!!」
アリシアが叫ぶ。銃口がリウに向けられる。
だが、リウは動かなかった。
「退きません。……今の貴女を行かせるわけにはいきません」
「あいつは!あの女はわたくしの全てを焼いたのですよ!わたくしの友を、記憶を、二度も殺したのです!」
アリシアが泣き叫ぶ。
その涙は、怒りと絶望で濁っていた。
「殺してやる……!殺さなきゃ、わたくしの心が死んでしまう!」
「ええ。……だからこそ、私が、止めるのです」
リウは、静かに歩み寄った。
銃口が胸元に突きつけられても、彼女は微笑んでいた。
「アリシア。……もし貴女が、怒りに任せて実の母親を殺せば……貴女は一生、その『痛み』を背負うことになる。エラーラさんの呪いに、永遠に囚われることになる」
「構いません!悪魔は地獄へ送って……!」
「いけません!」
リウは、アリシアの手首を掴み、銃口を逸らした。
そして、強引に、しかし優しく、アリシアの身体を引き寄せた。
「……貴女の手は、世界を救うためにあるのです……」
リウの顔が近づく。
アリシアが抵抗しようとする間もなく。
リウの唇が、アリシアの唇を塞いだ。
それは、深く、哀しい口づけだった。
「……んっ……!?」
アリシアの身体から力が抜ける。
殺気が霧散し、代わりに、どうしようもない不安が胸に広がる。
唇が離れる。
リウは、今までで一番美しく、そして儚く微笑んでいた。
「……リウ? な……何を……?」
アリシアが後ずさる。
リウの手にある軍用端末。
その画面には、『座標固定:聖アフェランドラ学園・中庭』の文字が点滅していた。
それは、使い捨ての、軍事用緊急転送装置。
「……まさか」
アリシアの顔色が蒼白になる。
「リウ……待って……。何をする気ですの……?」
「私の愛する、気高き女王陛下」
リウは、一歩下がった。
そして、騎士のように恭しく敬礼をした。
「貴女の描く未来図に、血の赤は……似合いません」
「やめて……!嫌……!」
アリシアが手を伸ばす。
リウが何をしようとしているか、悟ってしまった。
彼女は、アリシアの代わりに、あの地獄へ行く気だ。
魔力も武力もない、ただの画家が。
最強の魔導師と、最強の戦士が待つ、死地へ。
「エラーラさんも、ナラティブも……私の大切な友人です。……だから、私が引導を渡してきます」
「嘘よ!死ぬ気でしょう!?貴女が行っても、殺されるだけですわ!」
「ええ。……命に変えても、『止めて』みせます」
リウの尻尾が、ふわりと揺れた。
「行かないで!!」
アリシアが叫ぶ。
聖女の仮面などかなぐり捨てて、ただの少女のように泣き叫ぶ。
「愛しています、アリシア!」
リウは、スイッチに指をかけた。
「貴女に出会えて……私の世界は、黄金色でした」
閃光。
空間が歪む。
アリシアの手が空を切り、リウの姿は、光の粒子となって消失した。
残されたのは、静まり返った長官室と、床に落ちたアリシアの涙だけ。
・・・・・・・・・・
炎上する聖アフェランドラ学園。
崩れ落ちる時計塔の下、エラーラとナラが立っていた。
彼女たちは待っていた。
怒りに狂ったアリシアが、軍勢を引き連れて現れるのを。
そして、この悲劇の幕を引くのを。
だが。
転送の光と共に現れたのは、アリシアではなかった。
一本のサーベルを持った、金髪の半獣人。
「……リウ?」
ナラが目を見開く。
「な……なんで?……なんでだよッ!……なんであんたが来るのよッッッ!」
炎と煙の中で、リウ・ヴァンクロフトは煤けた顔を上げ、二人の怪物に向かって不敵に笑った。
「ごきげんよう、悪役のお二人さん。……主役の登場を期待していたでしょうが、しかし……生憎……代役ですわ!」
リウは、サーベルを構えた。
相手は100万のキメラと、世界最強の母娘。
勝算など、万に一つもない。
燃えさかる校舎の中庭。
「……退きなさい。三流。」
炎の向こう側。
エラーラは、白衣姿で立っていた。
武器は持っていない。
両手をだらりと下げ、完全に無防備な姿勢。
だが、そこから放たれるプレッシャーは、背後に控える100万のキメラよりも重く、熱かった。
「退きませんわ。……ここを通れば、貴女はアリシアを殺すでしょう?」
「殺しはしない。教育するだけだ。」
「それが!……一番タチが悪いのですッッッ!」
リウが吠えた。獣人の脚力が地面を砕く。
鋭い踏み込みからの斬撃。
画家とは思えない速度。愛する者を守るという執念が、彼女の身体能力を限界を超えて引き上げていた。
だが。
エラーラは動かなかった。
剣先が喉元に迫った瞬間、彼女はほんの数センチ、首を傾けただけだった。
刃が空を切る。
「……」
「ッ!?」
リウが返す刀で横薙ぎにする。
エラーラは一歩踏み込み、リウの懐に潜り込んだ。
魔法ではない。障壁もない。
純粋な体術。
「ガハッ……!?」
エラーラの掌底が、リウの腹部に突き刺さる。
内臓が潰れるような衝撃。リウの身体がくの字に折れ、後方へと吹き飛ばされた。
「リウ!」
離れた場所で見ていたナラが叫ぶ。
「やめてお母様!まさか……殺す気!?」
ナラは介入しようとしたが、エラーラの鋭い視線に釘付けにされた。
リウは瓦礫の中に転がり、咳き込みながら立ち上がった。口端から血が流れている。
「……魔法を、使わないのですか」
「三流には、必要ない。」
エラーラは、軍服の埃を払いながら冷ややかに言った。
「そもそも。君は、何か……勘違いしているようだね。私が『魔法しか使えない科学者』だと」
エラーラが構えを取る。
それは魔導師の構えではない。
古流剣術、あるいは騎士の徒手空拳の型。
「私はかつて、王宮騎士団の筆頭教官を務めていたこともある。……魔法など、私の引き出しの一つに過ぎない。殺しも、専門分野の一つだ。」
絶望的な事実。
この怪物は、魔法を封じてもなお、近接戦闘において達人級だったのだ。
「……上等ですわ」
リウは血を拭い、再び剣を構えた。
「私は画家です!……キャンバスがどんなに強固でも、色を重ね……」
「……三流の話など、いま、聞く必要はない。」
「……それでも、私は!」
リウが再び突っ込む。
嵐のような連撃。
突き、払い、斬り上げ。獣人の本能と反射神経で、死に物狂いの猛攻を仕掛ける。
だが、当たらない。
エラーラは、まるで舞踏でも踊るかのように、最小限の動きですべてを回避していた。
「無駄だよ。君の剣には『殺意』はあるが、『理』がない。もう、帰りたまえ。」
エラーラが、リウの蹴りを片手で受け止める。
そのまま手首を返し、リウの軸足を払う。
リウが背中から地面に叩きつけられる。
追撃の踏みつけ。
リウは転がって避けるが、脇腹を強烈に蹴り上げられた。
肋骨が折れる嫌な音が響く。
「ぐぅッ……!」
リウは悲鳴を噛み殺し、立ち上がる。
ドレスは破れ、金色の髪は灰と血で汚れ、美しい肢体はボロボロだった。
それでも、彼女の目は死んでいなかった。
「……なぜだ?」
エラーラが問う。
「なぜそこまでする?君はナラティブの親友だろう?彼女を裏切り、私に挑み、命を散らす。……アリシアは、君にそこまでさせる価値があるのか?」
「……ありますわ!」
リウは、ボロボロになったサーベルを杖代わりに、ふらふらと立ち上がった。
「貴女たちには分からないでしょうね。……論理で生きる貴女にも、力で生きるナラティブにも!」
リウは笑った。血に染まった歯を見せて、誇らしげに。
「アリシアは……私の『光』なのです。灰色だった私の世界に、黄金の色をくれた。……彼女の作る未来が見たい。彼女が笑う世界を……」
「だから。三流の話は、聞く必要がない。早く帰りなさい。」
エラーラは話を遮り、哀れむように目を細めた。
そして、無造作に歩み寄る。
「話をッ!聞けッッッ!」
リウが最後の力を振り絞り、サーベルを振り下ろす。
エラーラは避けなかった。
彼女は、振り下ろされる鋼鉄の刃を――素手で掴み取った。
金属音が響く。
エラーラの手袋が裂け、掌から血が流れる。だが、刃は完全に止まっていた。
人間業ではない握力。
「……何度も、言わせないでくれたまえ!」
エラーラが手首を捻ると、軍用サーベルの刀身が、飴細工のように粉々に砕け散った。
「あ……?」
リウの手には、折れた柄だけが残された。
武器を失った。
身体は限界だ。
勝てる要素など、最初から一つもなかった。
「……チェックメイトだよ。三流。さあ、帰りなさい。」
エラーラが、リウの胸倉を掴み、軽々と持ち上げる。
そのまま、燃え盛る校舎の壁へと投げ飛ばした。
壁が崩れ、リウが瓦礫の中に埋もれる。
「リウーーッ!」
ナラが叫び、駆け寄ろうとするが、エラーラが手を挙げて制した。
瓦礫の山が動いた。
リウが、這い出してきた。
全身血まみれ。左腕はへし折れている。
だが、その右手には、折れた剣の破片が握りしめられていた。
「まだ……です……!」
リウは、ふらつく足で、一歩、また一歩とエラーラに近づく。
「まだ……アリシアが……来ていません……!」
彼女の時間稼ぎ。
アリシアが、覚悟を決めてここへ来るまでの時間を稼ぐ。
そのためだけに、彼女は肉の壁となって立っていた。
「……ふむ?……まあ、それは良いから、早く帰りなさい。」
「嫌だあああっ……!」
エラーラは、ボロボロのリウを見つめ、静かに言った。
「まあいい。……一つだけ、教えてあげよう」
エラーラは、とどめを刺す前に、残酷なまでの「真実」を口にした。
それは、芸術家であるリウの魂を、肉体よりも深く切り裂く一言だった。
「君は、アリシアの世界を『黄金』だと言ったね。……痛みも、悲しみもない、完璧な世界だと。」
「……それが、私の理想……」
「だから君の絵は、いつまで経っても、つまらないんだよ!」
「……ッ!?」
リウの動きが止まる。
画家としての矜持。命よりも大切なアイデンティティ。
エラーラは、冷徹に告げた。
「痛みを排除した世界。影のない光。……それはね、絵画ではない。ただの『塗り絵』だろう!」
「……あ……」
「君はアリシアを、その退屈な塗り絵の中に閉じ込めようとしている。……成長も、変化もない。君が守ろうとしているのは『愛』ではない。……ただの『停滞』だ!」
リウの脳内で何かが崩れ落ちる音がした。
自分の愛は、アリシアを殺しているのではないか?
痛みを避けることは、生を否定することではないか?
その芸術家としての根源的な迷い。
魂の動揺。
それが、致命的な一瞬の隙を生んだ。
その時。
空間が歪み、光の粒子が弾けた。
戦場に、新たな影が現れる。
純白のドレス。金のケープ。
転送魔法で駆けつけた、アリシア・ヴェリタスだった。
「リウッ!」
アリシアが叫ぶ。
彼女の目に映ったのは、絶望的な表情で立ち尽くすリウと、その眼前に右手を構えるエラーラの姿だった。
リウが、愛しい人の姿を見て、我に返る。
だが、遅すぎた。
エラーラの指先から放たれた、圧縮魔力弾。
至近距離からの直撃。
芸術家としての魂を砕かれ、動揺したリウに、それを避ける術はなかった。
「がはっ……!」
リウの身体が、紙くずのように吹き飛んだ。
血しぶきが舞い、炎に照らされて赤く輝く。
リウは、燃え盛る校舎の崩落した床下――奈落のような地下空洞へと、吸い込まれていった。
アリシアの絶叫が木霊する。
リウの姿は、炎と闇の中に消えた。
生死など、確認するまでもない。あの一撃を食らって、あの高さから落ちて、助かるはずがない。
「あ……あぁ……」
ナラが、その場に崩れ落ちた。
親友が死んだ。
実の母親の手によって。
止められなかった。助けられなかった。




