第2話:最期の葛藤!
「うわああああああああッ!!」
夜空に、ナラの咆哮が響く。
彼女は、戦場の真っ只中へ……エラーラの元へと走ったのではない。
彼女が向かったのは、王都の片隅。
かつて全員で暮らしていた、あの「ヴェリタス探偵事務所」……元・獣病院だった。
ガランとした探偵事務所。
埃の被った机。
誰もいないリビング。
ナラは、ドアを蹴破って中に飛び込み、そして崩れ落ちた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
ここには、もう誰もいない。
エラーラの実験道具も、アリシアのティーセットも、リウの絵の具も。
ただ、冷たい空気だけが漂っている。
ナラは、震える手で、デスクの上に伏せられていた写真立てを起こした。
そこには、笑顔の4人がいた。
白衣を着て不機嫌そうだが満更でもないエラーラ。
純白のドレスで優雅に微笑むアリシア。
スケッチブックを抱えて楽しそうなリウ。
そして、その真ん中でピースサインをする、泥だらけのナラティブ。
あの日の記憶が、蘇る。
血の繋がらない家族。
でこぼこで、歪で、でも世界で一番温かかった場所。
「う……うあぁぁぁ……ッ!」
ナラは、写真を胸に抱いて慟哭した。
どうしてこうなった。
どうして、愛し合っていたはずなのに、殺し合わなきゃいけないんだ。
姉さんの正義も分かる。お母様の意地も分かる。
でも、その先に「家族の死」があるなら、そんな正義なんてクソ食らえだ。
「……止める!」
ナラは、涙を拭った。
その目に、鬼神の光が宿る。
「あたしが止める。……魔法も、権力もない。あたしにあるのは、この拳だけだ」
ナラは立ち上がった。
彼女は、エラーラを止めるための「ある装備」を探しに、埃まみれの武器庫へと向かった。
殺さずに止める。
誰も死なせない。
それが、ナラティブ・ヴェリタスの選んだ「第三の道」だった。
一方その頃。
国防教育省、長官室。
ナラが出て行った後、室内には重苦しい沈黙が漂うかと思われた。
だが、違った。
アリシアは、すでに戦況モニターから目を離し、手元の魔導端末で別の資料を見ていた。
そこに表示されていたのは、戦後の「復興計画書」と「新都市開発案」だった。
「……リウ。ここの区画ですが、戦後は公園にしましょうか」
アリシアは、まるで明日のランチの相談でもするように、淡々と言った。
「え……? アリシア? 戦況は……エラーラさんは……」
リウが戸惑う。
アリシアは、優雅にカップを口に運んだ。
「見ての通りですわ。王都軍の勝利は揺るぎません。エラーラの軍勢は、あと2時間で壊滅します」
「ですが、エラーラさんご本人が出てきたら……あの方の魔法は、軍隊では止められませんわ」
「ええ。ですが、問題ありません」
アリシアは、リウの方を向き、にっこりと微笑んだ。
その笑顔には、一点の曇りも、不安もなかった。
「わたくしは、エラーラをどう倒すかになど、興味がありませんの」
「……はい?」
「だって、必ず倒せますもの」
アリシアは断言した。
それは、過信ではない。
未来が見えているかのような、絶対的な確信だった。
「エラーラは、過去に囚われています。自分の論理、自分のプライド、失った時空魔法……。過去を見ている者に、『未来』が負ける道理がありません」
アリシアは、窓の外、炎上する戦場を見下ろした。
「それに……あの『計算外の変数』が、必ず動きます」
アリシアは知っていた。
ナラティブが飛び出した理由を。
そして、彼女が何をするつもりかを。
「わたくしの手は汚れません。……いいえ、汚す必要すらありませんの。すべては、わたくしの描いた『愛のシナリオ』通りに進みますわ」
アリシア・ヴェリタス。
彼女はもう、戦場にはいない。
彼女の視線は、エラーラの死体を超えて、その先に広がる「完全なる平和な世界」だけを見ていた。
その冷徹なまでの先見性と、揺るぎない自信。
リウは、震えるほどの畏怖と、そして逃れられない魅力を感じていた。
「……分かりました、マイ・レディ。では、公園のデザイン案を考えておきますわ」
「ええ。……噴水には、四人の女神像を立てましょうね」
アリシアは、写真の中の4人を思い浮かべる素振りも見せず、未来のモニュメントの話を楽しげに続けた。
外では、100万の命が散っていく。
その悲鳴をBGMに、女王は優雅にお茶会を続けていた。
王都の下層、旧スラム街「希望区」。
アリシアの施策により、最も劇的に生まれ変わり、最も多くの笑顔が咲いていたはずのその場所は、今、血と瓦礫の泥濘に沈んでいた。
「……酷い……。あんまりよ……」
ナラは、崩れ落ちた孤児院の残骸の前で立ち尽くしていた。
彼女の足元には、子供たちが大切にしていた絵本や、アリシアが配った「勉強セット」が泥にまみれ、キメラの爪痕によって引き裂かれている。
ここには、ナラが個人的に護身術を教えていた子供たちもいたはずだ。
ここにあるのは、異形の怪物たちが肉を食む咀嚼音と、鼻を突く死臭だけ。
「これが……お母様の言う『進化』なの? これが『痛みからの学び』なの?」
ナラの拳が震える。
彼女は、未来の荒廃した世界を知っている。だからこそ、この惨状が「自然淘汰」などという綺麗な言葉で飾れるものではないことを、肌で知っていた。
これはただの、理不尽な蹂躙だ。
「――そうだよ、ナラティブ。これは淘汰だ」
灰色の空から、冷徹な声が降ってきた。
ナラが弾かれたように見上げると、瓦礫の山の上に、白衣を纏ったエラーラが立っていた。
その背後には、護衛のように控える数体の巨大キメラ。
だが、エラーラの瞳は、かつてないほど深く、暗く沈んでいた。
「お母様……ッ!」
ナラは跳躍し、エラーラと同じ瓦礫の上に立った。
彼女は武器を持っていない。だが、その拳には岩をも砕く怒りが込められていた。
「今すぐやめて! キメラを止めて! ……これ以上やったら、あたしは本当にお母様を……!」
「……殺すのかい?」
エラーラは、寂しげに笑った。
「出来るはずがない。君は優しい子だ。……そして何より、君は『こちらの側の人間』だ」
「……え?」
エラーラが一歩近づく。
「アリシアの世界は美しい。無菌で、清潔で、誰も傷つかない。……だが、ナラ君。君はその世界で、息苦しさを感じていなかったかい?」
ナラの動きが止まる。
図星だった。
平和な王都で、彼女は「英雄」として持て囃された。だが、戦うことしか知らない彼女は、心のどこかで自分の存在意義を見失っていた。
姉の作る「愛の世界」には、暴力装置である自分は、もう、不要なのではないか。
そんな不安を、エラーラは見透かしていた。
「君は戦士だよ。血と硝煙の中でしか生きられない。……アリシアの隣に、君の居場所はもうないんだよ」
エラーラが手を差し伸べる。
それは母親としての、残酷な抱擁への誘いだった。
「来なさい、ナラティブ。……私と共に、世界を『敵』に回そう。私たちが悪になればなるほど、アリシアの正義は輝く。……それが、私たちが彼女にしてやれる、最後の教育だ」
ナラは、エラーラの手を見た。
その手は震えていた。
100万の命を奪い、世界中から憎まれ、それでも「痛み」という真実を突きつけようとする、孤独な科学者の手。
(……ああ、そうか)
ナラティブの中で、何かが折れ、そして繋がった。
姉さんは強い。リウもついている。姉さんはもう、一人で歩ける。
でも、この人は?
この狂った母親は、たった一人で地獄へ落ちようとしている。
「この……クソババア!」
ナラは、涙を流しながら、エラーラの手を握り返した。
「あんた一人じゃ、地獄の釜の蓋も開けられないでしょ。……いいわよ。あたしが付き合ってやる」
ナラティブ・ヴェリタスは、堕ちた。
いいや、彼女は「戻った」のだ。
理屈ではなく、暴力で語る世界へ。
愛する姉の敵となり、愛する母の盾となる、修羅の道へ。
王都に、絶望のニュースが駆け巡った。
『速報!ナラティブ・ヴェリタス、エラーラ軍に合流!』
それは、単なる戦力増強ではなかった。
エラーラ・ヴェリタスという「最強の頭脳」に、ナラティブ・ヴェリタスという「最強の暴力」、さらにナラティブが裏社会で培ってきた「悪のコネクション」が加わったのだ。
空からは魔法爆撃。
地上からはキメラの軍勢。
そして裏からは、マフィアや傭兵団による攪乱工作。
逃げ場のない、完全なる悪の包囲網。
だが。
王都の民は、絶望しなかった。
「慌てるな!備蓄はある!」
「ナラティブ様が敵になった?関係ねえや!俺たちがアリシア様を守るんだ!」
「痛みに負けるかよ!生き残って、あの母娘に文句を言ってやる!」
アリシアが蒔いた「種」は、すでに強靭な「根」を張っていたのだ。
エラーラたちの圧倒的な「力」を前にしても、人々の心は折れなかった。
恐怖よりも、連帯が勝った。
暴力よりも、尊厳が勝った。
「……計算外だね」
上空の旗艦、魔導戦艦「プロメテウス」のブリッジで、エラーラはモニターを見下ろして呟いた。
彼女の想定では、民衆はパニックになり、崩壊するはずだった。
「すごいわね、姉さん。……あたしたちが束になっても、人の心までは折れないなんて」
隣に立つナラも、複雑な表情で地上を見つめる。
「ならば……へし折るまでだよ?」
エラーラは、冷酷な決断を下した。
彼女は、モニター上の座標を指し示した。
そこは、王都の郊外。
アリシア・ヴェリタスが卒業し、彼女の原点であり、亡き友人たちとの思い出が眠る場所。
『聖アフェランドラ学園』。
「目標、聖アフェランドラ学園。……全魔導砲門、開放」
「お母様!? そこは……!」
ナラが驚愕する。そこは民間施設だ。しかも、アリシアにとっての聖域だ。
「知性が、知性を焼く。……これ以上の『痛み』はないだろう?」
エラーラは、無表情でトリガーを引いた。
空が裂けた。
降り注ぐ焼夷魔導弾の雨。
学園の美しい時計塔が、図書館が、講堂が、紅蓮の炎に包まれる。
数千冊の蔵書が燃える。
歴史ある絵画が炭化する。
かつてアリシアが友人たちと語り合った教室が、灰へと変わっていく。
それは単なる建物の破壊ではない。
アリシア・ヴェリタスという人間の「心」の破壊だった。
「…………ッ!」
国防教育省、長官室。
アリシアは、モニターに映る炎上する母校を見て、言葉を失っていた。
「……あ……ああ……」
彼女の喉から、かすれた音が漏れる。
燃えている。
セラフィナが弾いた聖琴が。
ロザリンドが座っていた席が。
ライラの絵が飾られた廊下が。
カエリアと歩いた中庭が。
記憶を取り戻し、ようやく「肯定」できた大切な過去が、実の母親の手によって、無慈悲に焼かれている。
『――聞こえているかい、アリシア』
燃え盛る学園の映像に被さるように、エラーラの通信が入る。
背景には、炎に包まれる校舎があった。エラーラは、戦艦から降り立ち、わざわざその業火の中心に立っていたのだ。
『私はここで待つ。……この、君の甘っちょろい思い出が灰になる場所で』
エラーラは、広がる火の粉を手で払いながら、挑発した。
『この痛みに耐えられるか? それとも、愛でこの炎を消してみせるか? ……来たまえ、娘よ。その痛みを、終わらせてみろ』
通信が切れた。
長官室の温度が、急激に下がった。
アリシアが立ち上がった。
「……許さない」
アリシアの手が、デスクの引き出しを開ける。
そこに入っていたのは、護身用の小型魔導銃。
彼女はそれを鷲掴みにし、安全装置を外した。
「許さない……許しませんわ……!エラーラ・ヴェリタス!」
アリシアの形相は、もはや聖女のものではなかった。
復讐の鬼。
大切なものを踏みにじられた、一人の女の激怒。
「わたくしが……この手で!殺してやります!」
アリシアはドアに向かって走った。
護衛も、軍隊もいらない。
ただ行って、あの女の頭を撃ち抜かなければ気が済まない。
理性が消し飛び、感情だけが彼女を突き動かしていた。
だが。
「……なりません」
ドアの前。
一人の人影が、立ちはだかった。
リウ・ヴァンクロフト。
金色の髪と、大きな尻尾を持つ画家。
彼女は、いつものスケッチブックを持っていなかった。
代わりに、その手には一枚の、小さな軍用端末が握られていた。




