第1話:爆弾と疑心と過信(1)
王都の北区画、閑静な文教地区に位置する『王立第二小学校』。
白亜の校舎。手入れの行き届いた芝生。そして、制服に身を包んだ無垢な児童たち。
平和と規律の象徴であるはずのその場所が、今は「最前線」と化していた。
「――状況は?」
私、ナラティブ・ヴェリタスは、黄色い規制テープをくぐり抜けながら、出迎えた校長に問うた。
校長は、震える指で校舎の3階を指差した。
「3年B組の教室です。……生徒の一人が、教室を『制圧』しました」
「せいあつ?」
「はい。強力な結界を展開し、誰も寄せ付けないのです。そして……『世界を壊す爆弾』を持っていると」
私は眉をひそめ、隣を歩く相棒――白衣の魔女、エラーラを見た。
彼女は冷徹に言い放つ。
「10歳の子供が結界だと?馬鹿げているぞ。市販の魔導具の誤作動か何かだろう」
「それが……我々教師陣の解呪魔法が、一切通用しないのです」
校長の言葉に、エラーラの目の色が変わった。
プロの解呪を弾く10歳児。
それはもはや、ただの悪戯ではない。
私たちは階段を駆け上がった。
廊下には、避難した児童たちの泣き声と、重装備をした王都警備兵の怒号が響き渡っている。
だが、3年B組の前だけは、奇妙な静寂に包まれていた。
そこには、異様な光景があった。
教室の扉と窓が、紫色の揺らめく「膜」のようなもので完全に覆われている。
机と椅子がバリケードのように積み上げられた中心に、一人の少年が座り込んでいた。
名はテオ。
虚ろな目で宙を見つめる彼の手元には、「黒い球体」が鎮座している。
「……本気か!?」
エラーラが息を呑んだ。彼女が懐から取り出した魔力測定器の針が、レッドゾーンを振り切って暴れている。
「なんてことだ。……ナラ、これは『遊び』ではないぞ!」
私たちは即座に現場指揮所を設置し、分析を開始した。
相手は子供だと思って舐めていた。だが、目の前にあるのは、熟練のテロリストが仕掛けたような「要塞」だ。
「エラーラ、解析結果は?」
私が尋ねると、エラーラは端末を高速で操作しながら、戦慄の表情で答えた。
「信じられん。……あの結界、位相がズレている」
「位相?」
「ああ。通常の防壁魔法ではない。空間そのものを断裂させ、こちらの干渉を『認識の外側』へと滑らせている。……これは、古代語魔法の応用だ」
エラーラは、結界の表面に走る微細なノイズを指差した。
「見てみろこの複雑怪奇な魔力パターンを。カオス理論に基づいたランダムな波長だ」
エラーラは、教卓の上の赤黒い球体を拡大表示した。
「内部から漏れ出るエーテルの波動が、臨界点に近い。……あれはただの爆薬じゃない。起爆すれば、この学校はおろか、半径5キロメートルが地図から消える」
私は、背筋が凍るのを感じた。
10歳の少年が、なぜそんなものを?
私の探偵としての脳細胞が、最悪のシナリオを構築し始める。
「……単独犯じゃないわね?」
私は低い声で言った。
「背後に『組織』がいるわ」
「組織?」
「ええ。家庭環境を調べさせて。……親は? エリート官僚? 企業の重役?」
「父親は魔導省の局長だ」
私は確信した。
「なるほど!つまり、彼は『道具』にされたのよ。親への反発心、学校への疎外感……そういう子供の心の隙間に、反体制組織が付け込んだ。彼を洗脳し、高度な技術と兵器を与え、この国を破壊させるための『自爆テロ要員』に仕立て上げたのよ」
辻褄が、合う。
天才的な結界術。未知の爆弾。そして、虚ろな目をした少年。
これは、現代社会の闇が凝縮された、極めて政治的で凶悪な事件だ。
「……救うわよ、エラーラ。彼もまた、大人の論理に潰された被害者だわ」
「ああ。……だが、時間は少ない。あの爆弾の明滅周期が早まっている。タイムリミットは、あと30分といったところか」
私たちは頷き合い、それぞれの武器を構えた。
私は「交渉」を。
エラーラは「解除」を。
私は鉄扇を腰に差し、結界のギリギリまで近づいた。
拡声器は使わない。そんな無機質なものでは、閉ざされた心は開かない。
「テオ君。……聞こえる?」
私の声に、教室の中のテオがビクリと肩を震わせた。
こちらを見た。その瞳は、怯えと、深い絶望に彩られている。
「怖がらなくていいわ。私は敵じゃない。……君をそこまで追い詰めた『世界』が憎いのよね?」
テオが目を見開く。
図星だ。
「わかるわ。親の過剰な期待、教師の欺瞞、息苦しい教室のルール……。君は自由になりたかった。だから、全てを壊そうと思ったのよね?」
私は、自分の過去の痛みと重ね合わせながら、優しく、しかし力強く語りかけた。
犯罪心理学に基づいた、完璧な信頼形成のアプローチだ。
「でもね、テオ君。ここで死んだら、奴らの思う壺よ。君を利用した大人たちが、影で笑うだけだわ」
テオが、ゆっくりと首を横に振った。
その口が動く。結界越しに、微かな声が聞こえた。
「……ちがう」
「違わないわ。君は被害者よ。……出てきなさい。私たちが、君の復讐を手伝ってあげる。その爆弾を作らせた『黒幕』を、一緒に追い詰めましょう」
私は手を差し伸べた。
さあ、手を取って。こっち側へおいで。
だが、テオの反応は、私の予想を裏切るものだった。
彼は顔を歪ませ、両手で頭を抱え、絶叫したのだ。
「ちがうッ!お姉さんは何も分かってない!もう遅いんだ!」
強烈な拒絶。
結界がビリビリと振動し、紫色の火花を散らす。
「遅くはない! 私たちなら、君の罪ごと揉み消せるわ! 君には未来があるのよ!」
「未来なんてない! だって、もう壊れちゃったんだもん……! 元には戻らないんだぁぁぁ!」
テオが泣き叫びながら、爆弾にしがみつく。
壊れた?
精神がか? それとも、起爆装置の安全装置が外れてしまったのか?
「くっ、情緒不安定だ。交渉決裂か」
後ろで待機していたエラーラが、舌打ちをする。
「ナラ、下がれ。……論理的説得が通じないなら、物理的介入で止めるしかない」
エラーラが前に出た。
彼女は携帯端末と、数本の魔導ロッドを展開し、結界の解析を開始した。
「聞け、テオ君。君の術式は見事だ。だが、私の演算能力の前では児戯に等しい」
エラーラは高速で呪文コードを打ち込みながら、不敵に笑う。
「空間断裂の位相係数に、逆位相の魔力をぶつけて中和する。……3分で裸にしてやる」
エラーラの放った解呪コードが、結界に接触する。
だが。
結界は消えるどころか、むしろ奇妙な反応を示した。
解呪コードを「吸収」し、さらに複雑怪奇な波長へと変化させたのだ。
「なっ……ななななな!?」
エラーラが目を見開く。
「馬鹿な……! 私の解呪パターンを学習して、リアルタイムで構造を組み替えただと!? まるで生き物だ!」
端末の画面に『エラー』の文字が並ぶ。
「いかん、この結界……定数がない! 全てが変数だ! 物理法則を無視したデタラメな数式で構成されている! これを解くには、既存の魔導理論を一度捨てて、ゼロから再構築しなければ……!」
冷や汗が、エラーラの頬を伝う。
世界最強の魔導師が、たった一人の少年の術式に翻弄されている。
「……天才か。あるいは、本当に悪魔の仕業か」
エラーラの手が止まる。
爆弾の明滅が、さらに激しくなる。
破滅へのカウントダウン。
「ナラ。……打つ手がない」
エラーラが、敗北を認めるように呟いた。
「私の論理では、この『カオス』を解き明かせない。……強行突入すれば、爆弾が誘爆する。詰みだ……」
廊下の空気が凍りつく。
警備兵たちが、絶望的な顔で顔を見合わせる。
私たちは、無力だった。
テオは、泣いている。
爆弾を抱え、世界を拒絶し、孤独の中で震えている。
その姿は、あまりにも痛ましく、そして遠かった。
誰か。
誰か、この複雑に絡み合った因果の糸を解ける者はいないのか。
この、深淵よりも深い闇を照らせる者は。
その時だった。
「た、大変だぁぁぁーッ!テオくぅぅぅーん!」
廊下の向こうから、場違いなほど間抜けな声が響いてきた。




