第2話:救済される隣人(2)
ナラは、鉄扇を開いた。
「言葉で分からないなら……。痛みで分からせて差し上げますわ!」
ナラは鉄扇を開き、四人の「成功者」たちに立ち向かった。
相手は腐っても権力者。隠し持っていた護身用の魔導具や、卑怯な武器を取り出す。
「死ねぇッ!」
マンモンが、魔導ステッキから火球を放つ。
「熱いですわ!」
ナラは、鉄扇で火球を薙ぎ払った。
炎が霧散する。
その煙の中から、ナラが飛び出す。
「まずはあんた! 不倫野郎!」
ナラは、マンモンの腹に、鉄扇の柄を深々と突き入れた。
「ぐえぇぇッ!?」
「奥さんの痛み……。その脂肪で受け止めなさい!」
マンモンが転がる。
ナラは勝利を確信し、次の標的、ヴァニティに向き直った。
だが、その時。
「……甘いな、小娘」
倒れたはずのマンモンが、不気味な笑みを浮かべていた。
彼の手には、いつの間にか小さなリモコンが握られている。
「なっ……?」
「私のボディーガードを甘く見ないことだ! ……来い、『鉄壁』!」
広場の地面が震動した。
マンモンの影から、黒い甲冑に身を包んだ巨大なゴーレムが出現する。
それは、マンモンが裏で開発させていた、違法な自律兵器だった。
「うそっ……!?」
ナラは反応しようとしたが、遅かった。
ゴーレムの巨大な拳が、ナラを横から薙ぎ払った。
「きゃああっ!!」
ナラはボールのように吹き飛ばされ、広場の噴水に叩きつけられた。
水しぶきが上がる。
全身が濡れ、ドレスが重くなる。
鉄扇を取り落としてしまう。
「どうだ!これが金の力だ!」
マンモンが起き上がり、勝ち誇る。
ヴァニティも、毒の香水を振り撒きながら近づいてくる。
「お似合いよ、泥水がお風呂なんて!」
グリードが魔法の鎖を構え、ベネフィットが短剣を光らせる。
四人が、完全にナラを包囲した。
「……くっ」
ナラは、水の中で立ち上がろうとするが、足がふらつく。
ゴーレムの一撃が効いている。
絶体絶命。
このままでは、嬲り殺しにされる。
(……やるしかない)
ナラは、覚悟を決めた。
彼女は、懐に隠し持っていた「切り札」に手を伸ばした。
それは、エラーラが開発した、一時的に身体能力を限界突破させる魔薬『オーバー・ドライブ』。
副作用で数日は動けなくなるが、今はこの状況を打破するしかない。
「……後悔なさい」
ナラは薬を噛み砕いた。
瞬間、体中を灼熱が駆け巡る。
筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。
「うおおおおおッ!!」
ナラは水面を爆発させ、飛び出した。
超高速の動き。
彼女は素手でゴーレムの拳を受け止め、そのままねじり折った。
「鉄屑がァッ!!」
ゴーレムの腕が砕ける。
マンモンたちが悲鳴を上げる。
「ひぃッ!? バケモノか!」
ナラは止まらない。
ヴァニティの毒霧を肺活量だけで吹き飛ばし、グリードの鎖を引きちぎり、ベネフィットの短剣を素手でへし折った。
「形勢逆転よ!……さあ、お仕置きの時間だわ!」
ナラは、四人を一箇所に追い詰める。
勝った。
薬の反動が来る前に、決着をつける。
ナラは、最後の一撃のために大きく振りかぶった。
「まとめて吹き飛びなさいッ!!」
だが。
ナラの膝が、唐突に折れた。
力が抜ける。視界が歪む。
「え……?」
「……ふふふ。残念だったな」
ベネフィットが、ニタリと笑った。
彼の手には、空になったスプレー缶が握られていた。
「それは……?」
「『鎮静ガス』だ。……暴れる『商品』をおとなしくさせるために、常備しているんでね」
さっき、短剣をへし折った一瞬の隙。
ベネフィットは、至近距離でナラにガスを噴射していたのだ。
『オーバー・ドライブ』で活性化した代謝が、皮肉にもガスの回りを早めてしまった。
「う……動け……ない……」
ナラはその場に崩れ落ちた。
薬の副作用と、ガスの効果。ダブルパンチで、指一本動かせない。
切り札を使ったことが、完全に裏目に出た。
「ハハハ!自滅だ!」
「いい気味ね!」
四人の成功者たちが、倒れたナラを取り囲む。
彼らの顔は、勝利の喜悦と、サディスティックな欲望に歪んでいた。
「さあ、どうしてくれようか」
「私の靴を舐めさせようか」
「いや、もっと面白いショーができるぞ」
絶望。
ナラは、泥水に顔を浸しながら、唇を噛み締めた。
負けた。
完敗だ。
「……ごめんなさい、お母様……」
意識が遠のく。
これが、ナラティブ・ヴェリタスの最期なのか。
その時。
乾いた音が響いた。
ナラを蹴ろうとしたグリードの足元に、石が飛んできたのだ。
「……痛っ! 誰だ!」
四人が振り返る。
そこには、あの薄汚れた少年が立っていた。
手には、まだ石を握りしめている。
震える足で、それでもしっかりと立って。
「……お姉ちゃんを、いじめるな!」
少年が叫んだ。
そして、その後ろから、路地裏に隠れていた他の子供たちも、石や棒切れを持って飛び出してきた。
「やめろー!」
「帰れー!」
子供たちの反撃。
物理的な力は弱い。
だが、その純粋な怒りは、四人の成功者たちを怯ませるのに十分だった。
「な、なんだこのガキどもは!」
「シッシッ! 汚らわしい!」
彼らが子供たちに気を取られた、その一瞬。
ナラの体内で、エラーラが仕込んでおいた『緊急解毒プログラム』が作動した。
「……ガハッ!」
ナラは、肺の中の毒素を吐き出した。
力が戻る。
「……ありがとう、みんな」
ナラは、ゆらりと立ち上がった。
その瞳は、先ほどよりも深く、静かに燃えていた。
「さあ……。第二ラウンドよ」
ナラは、落ちていた鉄扇を拾い上げた。
もう、油断はない。
慢心もない。
ただ、目の前の「悪」を、確実に、冷徹に排除する意思だけがあった。
「……覚悟はよろしくて?」
四人が振り返った時、そこには修羅が立っていた。
「ひぃッ!?」
「じゃあ、罰金ですわねッ!!」
今度こそ、ナラの一撃が炸裂した。
四人は星になって、広場の噴水へとドボンと落ちた。
「……ふぅ。スッキリしましたわ」
ナラは、鉄扇をしまい、乱れた髪を直した。
そして、震えている少年の元へ戻った。
「……お待たせ」
ナラは、少年の前にしゃがみ込んだ。
そして、水浸しになった四人の方を指差した。
「おい、クズども。……聞こえてるわよね?」
四人が、噴水から顔を出す。
「は、はい……」
「パンを出しなさい」
ナラは、手のひらを広げた。
「無いなら、金を出しなさい。……今、ここで!」
「だ、出します! 全部出します!」
四人は、慌てて財布を取り出し、中身を全てナラに渡した。
ジャラジャラと、金貨や宝石がナラの手のひらに、そして溢れて地面に落ちる。
ナラは、さらに自分の財布を取り出し、その上に乗せた。
「あたしも出すわ。……今日は、あたしの奢りよ」
ナラは、集まった金とパンを、少年に渡した。
少年の細い腕では抱えきれないほどの量だ。
「……これ、全部?」
少年が目を丸くする。
「ええ。……あんただけじゃないわ。仲間もいるんでしょう?」
ナラは、路地裏に隠れて様子を見ていた、他のストリートチルドレンたちにも手招きをした。
「みんなで食べなさい。……そして、大人になったら」
ナラは、噴水で震えている四人を親指で指した。
「あんな風にだけは、なるんじゃないわよ」
「……うん!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
子供たちが歓声を上げ、パンにありつく。
その笑顔は、どんな宝石よりも輝いていた。
広場の人々からも、拍手が巻き起こる。
「よくやった!」
「スカッとしたぜ!」
ナラは、照れくさそうに鼻をこすり、ドレスの裾を払った。
「……帰りましょう」
ナラは、人混みをかき分けて歩き出した。
背後で、ベネフィットたちが「風邪ひく……」「寒い……」と情けない声を上げている。
獣医院への帰り道。
エラーラが、電柱の陰から現れた。
「やあ、ナラ君。……素晴らしい『物理的説教』だったね」
「見てましたの? ……性格が悪いですわね」
「ふふ。君の活躍を記録するのは、私のライフワークだからね」
エラーラは、ナラの肩に自分の上着をかけた。
「……疲れたろう」
「ええ。……変な筋肉を使いましたわ」
ナラは、エラーラの上着を羽織り、その匂いを嗅いだ。
薬品と、珈琲の匂い。
そして、ほのかな温もり。
「お母様」
「ん?」
「あたし……。あいつらを見て、思ったんですの」
ナラは、夜空を見上げた。
「幸せって……。持っているものの多さじゃないわね」
金があっても、地位があっても。
自分自身が見えていなければ、それはただの虚飾だ。
鏡を見れなくなったら、人間はおしまいだ。
「あたしは……。あんたと一緒に、焦げたトーストを食べてる方が、ずっと幸せですわ」
「……そうか」
エラーラは、嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、明日の朝は……焦げ目なしのトーストに挑戦しようか」
「無理しないでくださいまし。……黒くても、食べますから」
二人は笑い合った。
月明かりが、二人の影を一つに重ねる。
欲張りな矛盾は消え、泥だらけのパンが輝く夜。
ナラティブ・ヴェリタスは、今日もまた一つ、自分の「物語」に確かな一行を書き加えたのだった。




