第1話:救済される隣人(1)
王都の冬は、残酷なほどに格差を浮き彫りにする。
大通りのショーウィンドウには、魔法で保温された高価な食料が並び、そのガラス一枚隔てた向こう側では、薄汚れた少年が寒さに震えていた。
「……おじちゃん、パンを……」
少年が、通りがかりの男の服の裾を掴んだ。
男は、胸に『愛と平和の慈善活動家』というバッジをつけた、身なりの良い紳士だった。
名はベネフィット。
王都で「機会に恵まれない可哀想な人々」と「支援者」をマッチングするビジネスを手掛ける、著名な活動家だ。
「離せ! 汚らわしい!」
ベネフィットは、少年の手を乱暴に振り払っただけでなく、その小さな腹を革靴で蹴り上げた。
「ぐっ……!」
少年が泥水の中に転がる。
「自分の立場をわきまえろ、ゴミ屑が! 私はこれから『選ばれた弱者のための晩餐会』でスピーチがあるんだ! お前のような『絵にならない貧困』に構っている暇も、パンを与える慈悲もない!」
ベネフィットは、唾を吐き捨てて去っていった。
彼にとっての「弱者」とは、彼の名声を高めるためのアクセサリーであり、自分の靴を汚すようなリアルな貧乏人は、ただの害虫でしかなかった。
その光景を、路地の陰から見つめる二つの影があった。
「……不愉快ですわ」
漆黒のドレススーツに身を包んだナラティブ・ヴェリタスは、鉄扇を握りしめ、ギリギリと歯噛みした。
「あいつ、慈善家を名乗っておきながら……。目の前の子供を蹴りましたわよ?」
「ふむ。論理的矛盾だね」
隣で、白衣のマッドサイエンティスト、エラーラ・ヴェリタスが、携帯端末でベネフィットの背中をスキャンしていた。
「彼の脳内では、『自分は崇高な活動をしている』という自己認識と、『汚いものは排除する』という本能が、奇妙に同居している。……要するに、彼は『鏡』を持っていないのだよ」
「鏡?」
「ああ。自分の醜悪な姿を直視できないから、他者を下げることでしか自尊心を保てない。……この街には、そういう『見えない鏡』を割ったような連中が溢れている」
ナラは、泥だらけの少年に歩み寄り、ハンカチで顔を拭いてやった。
そして、懐から焼きたてのパンを取り出し、少年に握らせた。
「……食べなさい。そして、よく見ておきなさい」
ナラは立ち上がり、ベネフィットが消えた方向を睨みつけた。
「これから、あいつらに『特大の鏡』を突きつけに行ってきますわ」
「おや、カチコミかね? 興味深い。……人間の『認知の歪み』のサンプル採取について行こう」
エラーラが、嬉々としてついてくる。
ナラたちが向かったのは、ベネフィットが主催する『ドリーム・マッチング・パーティ』の会場だった。
高級ホテルの大広間。
そこには、「理想の出会い」を求める成功者たちが集まっていた。
だが、そこで語られている会話は、地獄の釜の底のように醜悪だった。
「いい人材がいない! どいつもこいつも使えない!」
大声で喚いているのは、王都の人材派遣を一手に担う巨大ギルド『ゴールデン・ゲート』の長、グリードだ。
「私が求めているのは、『年齢25歳以下。魔導大学院卒。実戦経験30年以上。給与はやる気払いで文句を言わない』人材だぞ!なぜそんな簡単な条件すら満たせないんだ!」
「……あんた、算数できますの?」
近くで聞いていたナラが、思わずツッコミを入れる。
「25歳以下で経験30年って、胎児の頃から戦場にいろとでも? 時空魔法でも使わないと無理ですわよ」
だが、グリードは聞く耳を持たない。
「黙れ!私は妥協しない!理想を追い求めることこそが経営者の資質だ!」
隣のテーブルでは、脂ぎった成金の貿易商、マンモンが叫んでいる。
「おい! いい女はいないのか! 俺が求めているのは、『処女でありながら、夜のテクニックはベテラン娼婦並み』の女だ! もちろん、家事も完璧で、俺の浮気を笑って許す母性が必要だ!」
「……矛盾の塊ですわね」
ナラが冷ややかに見る。
「るせぇ!俺は金を持ってるんだ!金さえ払えば、そんな夢のような女が買えるはずだろ!買えないのは社会が悪い!」
さらに向こうでは、着飾った貴族令嬢、ヴァニティがヒステリックに叫んでいる。
「私が欲しいのは、『10代の若さで、国のトップに立ち、全ての権力を握っている男』よ! 若くてイケメンで、でも苦労知らずの大金持ちじゃなきゃ嫌! あと、私の言うことは全て肯定する『犬』のような従順さも必要ね!」
「……そんな男、物語の中にしかいませんわよ」
「黙りなさい!私は美しいのよ!この美貌に見合う男じゃなきゃ詐欺よ!」
会場は、こうした「矛盾する高望み」を持つ亡者たちで溢れかえっていた。
彼らは皆、自助努力で金や美貌を手に入れた「強者」だった。
だが、その成功体験が彼らの目を曇らせていた。
「自分は特別だ」「だから世界は自分の都合に合わせて改変されるべきだ」という、幼児的な全能感。
彼らは、自分の欠点を棚に上げ、相手にだけ「神ごとき完璧さ」を求めている。
そして、それを叶えられない現実を、「努力不足だ」「レベルが低い」と罵倒しているのだ。
主催者のベネフィットが、ステージでマイクを握った。
「さあさ!皆様!嘆くことはありません!私が、皆様の理想を叶える『可哀想な人々』を紹介しましょう!」
ステージに連れてこられたのは、借金で首が回らなくなった若者や、身寄りのない少女たちだった。
彼らは「商品」として値踏みされている。
「この若者は、24時間働けますよ!」
「この少女は、何をしても文句を言いません!」
搾取。
「機会を与える」という美名の下に行われる、現代の奴隷市。
「……限界ですわ」
ナラは、ドレスの裾をまくった。
鉄扇を取り出し、パチンと開く。
「お母様。……少し、掃除をしますわ」
「ふむ。物理的な清掃かね? 精神衛生上、推奨されるよ」
エラーラがニヤリと笑う。
「ごめんあそばせェッ!!」
ナラは、会場の中央にあるシャンデリアを、鉄扇を投げて撃ち落とした。
悲鳴が上がる。
ガラスの雨が降り注ぐ中、ナラはテーブルの上に飛び乗った。
「……お遊びは終わりよ、大きな赤ちゃんたち」
ナラの瞳が、赤く燃え上がる。
「あんたたちの欲しいものなんて、この世のどこにもないわ。……あるのは、あんたたちが一番見たくない『鏡』だけよ」
「な、何だ貴様!」
「警備員!つまみ出せ!」
「黙りなさい!」
ナラは、一番近くにいたグリードのネクタイを掴み、引きずり下ろした。
「あんた。……説教の時間よ」
ナラは、グリード、マンモン、ヴァニティの三人を、次々と蹴り飛ばし、一箇所にまとめた。
そして、ステージ上のベネフィットも、ワイヤー
で足を取って引きずり下ろした。
「ぎゃああっ!」
「無礼者!」
「ええ、無礼ついでに……。現実を見に行きましょうか」
ナラは、四人の首根っこを掴んだ。
「来なさい。……外の空気を吸わせてあげますわ」
ナラは、四人を引きずり、会場の出口へと向かった。
エラーラは、「やれやれ、豪快だねぇ」と笑いながら、その後を追った。
王都の広場。
そこには、冒頭の少年が、まだ寒さに震えて座り込んでいた。
パンを少し食べたようだが、まだひもじそうだ。
「……到着ですわ」
ナラは、引きずってきた四人の「成功者」たちを、少年の前の泥水の中に放り投げた。
「ぐぇっ!」
「な、何をするんだ!私のスーツが!」
「何なんだ君は!私は忙しいんだ!」
「警察を呼ぶぞ!誘拐だ!」
「呼びたければ呼べばいいわ。……その前に、少し身の上話をしましょうか」
ナラは、懐から数枚の羊皮紙を取り出した。
それは、エラーラが、パーティーの最中に超高速で調べ上げた、彼らの「真実の履歴書」だった。
「まずはあんた、グリード」
ナラは、グリードの顔の前に紙を突きつけた。
「あんたのギルド……。実は、あんたがボロカスに扱ってるあの秘書さんが、裏で全部回してるそうじゃない?」
「なッ……!?」
「取引先への謝罪、スケジュールの調整、財務管理……。全部彼女がやってる。あんたは判子を押して威張ってるだけ。……彼女、来月で辞めるそうよ? あんたのパワハラに耐えかねてね」
「う、嘘だ……! 彼女がいなくなったら、会社は……!」
「次、マンモン」
ナラは、成金の男を見た。
「処女で床上手? ……あんた、家に奥さんと子供がいるわよね?」
「あ。」
「奥さんは、あんたが若い頃、貧乏だった時代から支えてくれた人よ。……それを裏切って、若い女を買い漁る? 鏡を見てみなさい。あんたのその腹、欲望でパンパンに膨れ上がって醜悪そのものよ」
「次、ヴァニティ」
「若き権力者? ……あんた、実は旦那がいるわよね?」
「そ、それは……!」
「しかも、その旦那の金を使い込んで、若い男娼に貢いでるそうじゃない。……旦那さんは、あんたの借金を返すために、過労で倒れたばかりよ」
「……ッ!」
「最後、ベネフィット」
ナラは、活動家の男を冷ややかに見下ろした。
「愛の手? ……あんたの実家のお母様、田舎で病気で寝たきりだそうね」
「……」
「治療費も送らず、見舞いにも行かず、ここで赤の他人から寄付金を集めて、自分の懐に入れてる。……『世界を救う』前に、自分の親を救ったらどう?」
静寂。
広場に集まっていた人々が、ざわめき始めた。
「なんて奴らだ……」
「最低だ……」
四人の成功者たちは、顔を真っ赤にして震えていた。
図星だ。
彼らは、自分が「持っている」と思っていたものが、実は他人の犠牲の上に成り立っていること、あるいは自分自身の欺瞞であることを、突きつけられたのだ。
だが。
彼らは謝らなかった。
むしろ、逆ギレした。
「う、うるさい! 俺は頑張ったんだ!」
グリードが叫ぶ。
「成功者が特権を享受して何が悪い!」
マンモンが吠える。
「私は特別なのよ! 凡人とは違うの!」
ヴァニティが喚く。
「大義のためには、小さな犠牲は仕方ないんだ!」
ベネフィットが開き直る。
彼らは、ナラを一斉に睨みつけた。
「そうだ……!この女がおかしいんだ!」
「私たちの努力を否定する、嫉妬深い貧乏人だ!」
「やっちまえ! 私たちの尊厳を守るんだ!」
四人は、ナラに向かって飛びかかってきた。
腐っても成功者たちだ。護身用の魔法具や、隠し持っていた武器を取り出す。
ナラは、それを見て……。
一瞬、満面の笑みを浮かべた。
それは、聖母のような慈愛と、悪魔のような残虐さが同居した、極上の笑顔だった。
「……待ってましたわ!」




