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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第9章:ヴェリタスの天秤3 楽園の崩壊

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第6話:希望を持つ者たち!

王都の朝。国防教育省長官公邸。

天蓋付きの巨大なベッドの上で、リウは目を覚ました。

朝日を浴びて輝くのは、豪奢な金髪と、布団からはみ出した立派な極太の狐色の尻尾だ。

彼女は大きくあくびをして、隣で眠る「世界の至宝」に視線を落とした。

アリシア。

国防教育省長官にして、この国の事実上の最高指導者。

魔力を持たず、武力もない。階段を三階分登れば息切れし、重い本を持てば手首を痛める。

だが、この小さな頭脳が、腐敗しきっていた王都を浄化し、新たな秩序を築き上げたのだ。


「……おはようございます、リウ」


ふいに、アリシアが目を開けた。その碧眼が、蕩けるような甘さでリウを捉える。


「おはよう、マイ・レディ。……今日も世界一美しいですわよ」


リウは、アリシアの額に口づけを落とした。

獣人と人間のハーフであるリウの体温は高い。対して、エルフのアリシアの体温は低い。二人が触れ合うと、互いの温度が溶け合い、完璧な均衡が生まれる。


「今日は……予定を空けてありますの」


アリシアが、悪戯っぽく微笑んだ。


「久しぶりに、デートをしませんこと? ……わたくしの母校へ」


・・・・・・・・・・


飛行艇で向かった先は、王都から遠く離れた経済特区の学園都市

『聖アフェランドラ学園』。

それは、エルフ族の中でも選りすぐりのエリート魔導師のみが入学を許される、魔導教育の最高峰だ。

空中に浮遊するクリスタルの塔、マナの光が川のように流れる回廊、そして重力を無視して咲き乱れる魔導植物たち。

公用車から降り立ったリウは、そのあまりの豪華絢爛さに口をあんぐりと開けた。


「な、なんですのここッ……!学校? いえ、これはもう神殿かテーマパークですわ!」


「ふふ。懐かしいですわね。変わっていませんわ」


アリシアは、感慨深げに校門を見上げた。

かつて、ここは彼女にとって「針の筵」だった。

魔力のないエルフ。出来損ない。名家の汚点。

周囲の冷ややかな視線と、陰湿な嘲笑に耐えながら、彼女は図書館に籠もり、血の滲むような努力で「知性」を磨き上げたのだ。


「……さあ、行きましょう。今日はお忍びですけれど」


アリシアはサングラスをかけ、リウの腕に手を回した。

お忍び。

それは、甘美な響きだった。

だが、二人は致命的なミスを犯していた。

アリシア・ヴェリタスのオーラは、サングラス程度で隠せるものではないし、何よりその隣にいる「金髪で極太の尻尾を持つ豊満な美女」は、王都でも指折りの目立つ存在だったのだ。

校門をくぐり、中央広場に差し掛かった時だった。


「あ……アリシア長官だ!」


一人の学生の叫び声を皮切りに、静寂だった学園は一瞬にして沸騰した。


「キャアアアアアッ!アリシア様ーーッ!!」


「本物だ! 本物の聖女様だ!」


「隣にいるのは!? 噂の『騎士様』!?」


お忍びは、開始5分で終了した。

だが、それは恐怖や混乱のパニックではない。

誰もが笑顔で、涙を流し、手を合わせて拝むような「幸福の大パニック」だった。

リウは咄嗟にアリシアを背に庇おうとした。

だが、押し寄せる学生たちの目に、敵意は微塵もなかった。あるのは、純粋な憧れと、熱狂的な崇拝。


「み、道を開けなさい!長官のお通りですわよ!」


リウが低い声で告げると、興奮状態の学生たちが、海割れのようにサッと道を開けた。

そこには、恐怖による服従ではない、心からの敬意があった。


リウは、背筋がゾクゾクするほどの快感に震えた。

ここは、エルフの学園だ。

本来なら、リウのような獣人のハーフなど、敷地に入ることさえ許されない。入れたとしても、「野蛮な獣」として蔑みの視線を向けられるのが関の山だ。

だが、今はどうだ。

最高位の魔導師の卵たちが、エリート中のエリートたちが、リウを羨望の眼差しで見つめている。

リウの鼻は、天にも届くほど高くなった。

リウは胸を張り、豊満な胸部を強調し、尻尾を優雅に揺らめかせながら、アリシアのエスコート役を演じきった。

その姿は、どんな熟練の騎士よりも堂々としていた。


「……すごい人気ですわね、アリシア」


学園の奥、一般学生が立ち入れない場所まで避難して、リウは息をついた。

アリシアは、少し照れくさそうにサングラスを外した。

アリシアは、回廊の壁に刻まれた歴代の首席卒業生の名簿を見上げた。

そこには、歴代の偉大な魔導師たちに混じって、『アリシア・ヴェリタス』の名前が刻まれている。


魔力値:0。

筆記試験スコア:歴代最高満点。


「わたくしは、ここで証明したかったのです。魔力がなくても、エルフとして……いいえ、人として、価値があるのだと」


アリシアの声は、静かだが力強かった。

彼女の成功は、単なるサクセスストーリーではない。

魔力至上主義だったこの国において、「知性」と「博愛」が世界を変える力になることを証明した、革命だったのだ。

その事実は、魔力を持たない多くの種族、そして魔力不足のエルフたちに、どれほどの希望を与えただろうか。


「見てください、リウ。あそこにある石像」


中庭の中央に、新しい像が立っていた。

それは、本を片手に持ち、子供の手を引くアリシアの像だった。

台座にはこう刻まれている。


『知は力なり。愛は魔法なり』


「……貴女は、神様になったのですわね」


リウが呟く。


「いいえ。わたくしはただの、非力な女ですわ」


アリシアはリウに向き直り、その首に手を回した。


「貴女が支えてくれなければ、ハイヒールで歩くことさえままならない、弱い女です」


「アリシア……」


「だからこそ、幸せなのです。一人では立てないわたくしが、貴女という翼を得て、こうして空を見上げられることが」


二人は、静かな回廊で唇を重ねた。

その後、二人は学園長に見つかり、講堂へ連行された。

アリシアは、即興の演説を行うことになった。

講堂は、学生で埋め尽くされていた。立ち見はおろか、窓の外に浮遊魔法で張り付いている生徒までいる。

壇上にアリシアが立つと、嵐のような拍手が巻き起こり、そして彼女が手を挙げた瞬間に、水を打ったような静寂が訪れた。


「……後輩の皆様」


魔法のマイクを使わずとも、その透き通る声は会場の隅々まで響き渡った。


「貴方がたが学ぶ魔法は、素晴らしい力です。人々を守る剣となります。……ですが、忘れないでください。剣を振るうのは『手』ですが、剣を振るう理由を決めるのは『心』です」


アリシアは、壇上の脇に控えるリウに視線を送った。


「わたくしには、魔力がありません。わたくしのパートナーもまた、魔法は使えません。ですが、彼女の描く絵は人の心を癒やし、彼女の優しさはわたくしを幾度も救ってくれました」


全校生徒の視線が、リウに集中する。

リウは緊張で尻尾が直立していたが、アリシアの視線を受けて、不敵に微笑んでみせた。


「力を持つことと、強いことは違います。……本当の強さとは、弱さを認め、他者と手を取り合えること。……異なる種族、異なる才能、異なる思想。それらを排除するのではなく、愛すること。それこそが、最強の魔法なのです」


講堂が揺れるほどの歓声。

涙を流すエルフの学生たち。

彼らの中には、魔力が低いことにコンプレックスを持っていた者や、他種族への偏見に疑問を持っていた者も多かったのだ。

アリシアの言葉は、彼らの呪いを解く「福音」だった。


リウは、その光景を見ながら、涙を堪えるのに必死だった。

この人のためなら、命なんて惜しくない。

リウは、護衛としての、そして伴侶としての覚悟を新たにした。


学園からの帰り道、二人は夕暮れの中を寄り添っていた。


「……疲れましたか? アリシア」


「ええ、少し。……でも、心地よい疲れですわ」


アリシアは、リウの肩に頭を預けた。

リウの豊かな胸と、ふわふわの尻尾が、最高のクッションになる。


「リウ。わたくし、鼻が高かったですわ」


アリシアは、リウの手をぎゅっと握った。


「あんなにたくさんのエリートたちが、貴女を見て憧れていました。わたくしの自慢のパートナーが、世界に認められている。……それが、何より誇らしかったのです」


リウは、顔が沸騰しそうになった。


「よ、よよよよ、よしてくださいまし!そ、そんな……あたしなんて、貴女の七光りで……」


「七光りではありません。貴女自身の輝きです。……貴女の色彩が、わたくしの灰色の世界を塗り替えてくれたのですから」


都の街並みが茜色に染まっていく。

かつては「灰色」に見えたその景色は、今や黄金色に輝いていた。


聖アフェランドラ学園での熱狂的な歓迎を後にしたアリシアとリウは、そのまま学園を内包する巨大経済特区「アルカディア・ネオ」の散策を続けていた。


「素晴らしいですわね。皆様の笑顔が、何よりの宝石ですわ」


「ええ。貴女が守り抜いた成果ですわ、マイ・レディ」


リウは満足げに頷きながらも、その獣人の鋭い感覚で周囲を警戒し続けていた。

この完璧すぎる街の風景に、微かな違和感――キャンバスに落ちた一滴の墨汁のような「異物」の気配を感じ取っていたからだ。

そして、その予感は的中した。


「ぬあ!どけあ!邪魔だっつってんだよ!」


「ヒヒッ、なんこの店!水一杯で金貨ァ、取るのか!?」


メインストリートの一角、噴水広場のベンチ付近で、耳障りな怒号が響いた。

人々が眉をひそめ、避けるように遠巻きにしている。

その中心に、その「二人組」はいた。


「……わ」


リウが思わず顔をしかめ、露骨な嫌悪感を示した。

それは、あまりにも醜悪な光景だった。

一見するとエルフのようだが、その耳は半ばから千切れ、肌は病的な土色に変色し、所々が爛れている。身に纏っているのは、かつては高級品だったであろうボロボロの毛皮と、ジャラジャラとした悪趣味な宝石類。

薬物か、あるいは禁忌の魔術に手を染めた反動か。

「エルフのなり損ない」としか形容できない、異形の夫婦だった。

この美しいアルカディア・ネオにおいて、彼らの存在は致命的な汚点だった。


「リウ。行きますわよ」


「えっ!?関わらない方がよろしくてよ!あれは……」


リウの制止も聞かず、アリシアはその夫婦の元へと歩み寄った。

彼女の博愛精神は、対象を選ばない。むしろ、誰もが忌み嫌う存在にこそ、救いの手を差し伸べるべきだと信じているからだ。


「……ごきげんよう。何か、お困りですか?」


凛とした声に、罵声を上げていた夫婦の動きが止まった。

濁った眼球がギョロリと動き、アリシアをねめつける。


「あん?なんテメ……お、ヒヒッ、上等なおべべ着てやんなあ!」


「お、見ろこの女。金持ってそうだねぃー!ね!ねね!ほらほら!ほんらあ!恵んでおくれよ。あたしたちはさ、腹減って死にそうなんよ!」


女の方が、腐臭のする息を吐きながら、汚れた手を伸ばしてくる。

リウが即座に間に割り込み、その手を払いのけようとしたが、アリシアはそれを制して、女の手を優しく握り返した。


「お腹が空いているのですか。……リウ、あそこのカフェでサンドイッチを買ってきてくださる?」


「……!?」


アリシアは微笑みを絶やさず、夫婦の隣に腰掛けた。


「……お二人は、ここで何をなさっていたのですか?」


アリシアの「聖女」としてのオーラに飲まれたのか、あるいは単に金づるだと判断したのか、男の方がニヤニヤと笑いながら口を開いた。


「人探しだって。娘を探してんだよね」


「娘さん、ですか?」


「うぃー。数年前にねぇ……ま、いろいろあって手放しちったガキなんだがね。そうそうそう、最近、噂で聞いたんだよ!そのガーキ!そのガーキが、どんおんやんらっ!……この王都でなんか成功して、『金のなる木』になってるっちー噂を!」


男は下卑た笑い声を上げ、女もそれに同調してケタケタと笑った。


「そ!そそそ!あたしたちゃね、そのガキの親だからねぇ!ほら!親がこんなに苦労してっのに、ガキだけ贅沢してるなんて、親不孝もいいとこじゃがあしょ?で、見つけ出して、たっぷり搾り取ってやるつもりなんさ!」


「きちんと成長させてやった分、利子をつけて返してもらわねっとなぁ!ギャハハハ!」


あまりにもあからさまな、強欲と自己中心的な発言。

周囲の空気すら凍りつくような醜悪さだった。

リウは拳を握りしめた。こいつらはクズだ。子供を捨てたことを悔やむどころか、成功したと知るやいなや寄生しようとする、最低の寄生虫だ。

だが。

アリシアの反応は違った。

彼女の碧眼が一瞬揺らぎ、そして、悲しげに伏せられた。


「……分かりますわ。強がっていらっしゃるのですね……」


「あ?」


夫婦が怪訝な顔をする。

アリシアは、女の爛れた手を両手で包み込んだ。


「素直に『会いたい』と言えない。だから、お金のためだなんて悪ぶって……」


「……は?」


男が呆気に取られる。


「大丈夫ですわ。貴方たちの『愛』は、必ず娘さんに届きます。……わたくしも、お手伝いしますわ」


アリシアの瞳は、純粋な善意で輝いていた。

夫婦は顔を見合わせた。

こいつは、頭がおかしいのか?

それとも、とびきりのカモか?

結論は、後者だ。


「へ、へへっ……ま、そうとも言うかな!ひー、いょー、さすが姉ちゃん、はんなしがわかるねぇ!」


「すーなんだゆぉ、あたちたち、ほんとはに、娘に会いたくて会いたくて……うっうっ、あーかなし」


「やっぱり……!わたくしには分かりますわ」


アリシアは満足げに頷いた。

その横で、リウだけが背筋に冷たいものを感じていた。

リウには見える。彼らの腹の中にある、どす黒い欲望と嘲笑が。

だが、それを指摘することは、アリシアの信じる「美しい世界」を否定することになる。

リウは唇を噛み締め、沈黙を選んだ。


・・・・・・・・・・


奇妙な四人連れの散策が始まった。

光り輝くアルカディア・ネオを、聖女と野獣、そして醜悪な怪人夫婦が歩く。

夫婦は遠慮を知らなかった。

高級レストランに入り浸り、一番高いメニューを食い散らかし、ブティックで服をねだった。

アリシアは嫌な顔ひとつせず、すべて支払った。


「遠慮なさらないで。これから娘さんに会うのですものね。身なりを整えて、栄養をつけておかないと」


アリシアは彼らに、新品の服を着せ、食事を与えた。

ボロボロの毛皮は最高級のシルクに変わり、泥だらけの顔は洗浄された。

ところが……不思議なことに、どれほど着飾っても、彼らの醜さは消えなかった。

むしろ、美しい服を着たことで、精神の醜悪さが一層際立って見えた。


「ケッ、あーちゃ!なん?なんこのスープ。味!あっじ薄いんだよ!ほらほら!ほら!謝れ!」


「もっ酒!もっと酒持っちこい!飲んでやっからさあ!ほら!感謝しろ!」


暴君のように振る舞う彼らを、アリシアは慈母のような目で見つめている。


「照れ隠しですわね。久しぶりの家族の再会に緊張していらっしゃるのよ」


リウは、胃がキリキリと痛んだ。


「……ねえ、旦那様」


リウは堪り兼ねて、男に低い声で尋ねた。


「娘さんの名前は?特徴は?探すにしても手掛かりが必要ですわ」


男は爪楊枝で歯をほじりながら答えた。


「名前ぇ?忘れたよ!んなもん」


「特徴ならなあ。金髪で、やせっぽちで……ああ、そうそう。気持ち悪い、生意気な目をしたガキだったねぇ!バカなやつだったよ!バーカなやつ!魔力も使えない!」


リウの心臓が跳ねた。

まさか。

まさか、おそらく。

……いや、ありえない。

不安の種が、芽生えた。

夕暮れが、近づいてきた。

空が茜色から、毒々しい紫色へと変わっていく。


「今日はもう遅いですわ。ホテルをお取りしますから、続きはまた明日に……」


アリシアがそう提案しようとした時だった。

ふと、彼女の足が止まった。

アリシアは、虚空を見つめていた。

その瞳孔が開いている。

彼女の視線の先には、アルカディア・ネオの最奥部にそびえ立つ、巨大な白い巨塔があった。

『ネスト総合病院』。

最新鋭の魔導医療技術を結集した、王都最大の医療施設。


「……あそこ」


アリシアが、夢遊病者のように呟いた。


「え?病院へ?どなたかお知り合いでも?」


リウが尋ねるが、アリシアは答えない。


「あそこへ……行かなくては。なんだか……呼ばれている気が、しますの」


根拠などない。

情報もない。

ただ、アリシアの「魂」が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、その場所を指し示していた。

胸の奥がざわつく。

頭の芯が痺れるような感覚。

忘れていた記憶。消されていた痛み。

それらすべてが、あの白い巨塔の中に封印されているような、確信に近い予感。

一行は、夕闇に沈む街を歩き出した。

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