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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第9章:ヴェリタスの天秤3 楽園の崩壊

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第4話:断絶する知性たち!

アスファルトの上を、滑るように走る一台の高級魔導車。

後部座席のアリシアは、窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。

獣病院での温かな朝食の余韻が、まだ胸に残っている。


(週末には、リウ様も呼んで……何のケーキを焼きましょうか)


そんな幸福な思案に耽っていた、その時だった。

交差点に差し掛かった瞬間、視界の隅で「黒い影」が膨れ上がった。


ドォォォォォォォォン!


世界が回転した。

横腹から突っ込んできたのは、信号を無視した大型の廃棄物運搬用魔導トラックだった。

圧倒的な質量差。車は紙細工のように吹き飛ばされ、路面を何度も転がりながら、街灯をなぎ倒して横転した。


「ちょ、長官……! 無事ですか……!」


運転席のSPが呻く。だが、次の瞬間、割れた窓から何かが投げ込まれた。

白い煙が充満する。

高度な軍用睡眠弾。

SPたちが次々と崩れ落ちる。

アリシアは薄れゆく意識の中で、必死に抵抗しようとした。だが、魔力を持たない彼女に、この強力な催眠作用を防ぐ術はない。

煙の向こうから、ガスマスクをつけた男たちが現れる。

彼らは手際よくドアをこじ開け、アリシアを引きずり出した。


(……助けて……おかあさま……ナラ……ティブ……)


伸ばした手は空を切り、アリシアの意識は深い闇へと落ちていった。


・・・・・・・・・・


「――なんだって!?」


ヴェリタス探偵事務所のリビングに、ナラの怒声が響き渡った。


『緊急事態です。アリシア長官が乗った車両が襲撃されました。……長官は、行方不明です』


「ふざけんじゃないわよ!護衛は何してたのよ! 魔法障壁は!?」


『敵の手際が良すぎました。魔力探知をすり抜ける非魔導兵器による物理攻撃……そして、即座の拉致。プロの犯行です』


通信機の向こうで、国防教育省の職員が震えているのがわかる。

ナラティブは受話器を叩きつけようとして――横から伸びてきた白い手に止められた。

エラーラだった。

彼女の表情は、能面のようになくなっていた。

青い瞳から感情が完全に消え失せ、冷徹な演算装置の輝きだけが宿っている。


「……状況は理解した。座標は?敵の逃走経路の痕跡魔力は?」


『は、はい! 現在解析中ですが、痕跡が綺麗に消されており……』


「消された痕跡こそが情報だ。現場の残留思念データをすべて私に送れ」


エラーラは通信を切ると、即座に白衣を翻した。


「ナラ君。行くよ」


「現場に!?当たり前でしょ……」


「違う。現場検証は警察と鑑識に任せればいい。私たちが向かうのは『国防教育省』だ」


「はあ!?なんでよ!姉さんがさらわれたのよ!?」


「アリシアがさらわれた今、行政機能が麻痺すれば王都はパニックになる。犯人の狙いが国家転覆なら、それこそ思う壺だ。……それに」


エラーラは、キッとナラティブを見据えた。


「私が全権を掌握する。監視衛星、情報網、全魔導師団……すべてを私の手駒として動かす。それが、アリシアを見つける最短ルートだ」


感情に任せて走り出そうとするナラティブと、論理で最善手を選ぼうとするエラーラ。

二人の歯車は、この瞬間から、狂い始めていた。


・・・・・・・・・・


王都の地下深く。地図にも載っていない廃棄された地下貯水槽。

アリシアは、冷たい椅子に拘束されていた。

目隠しを外された彼女の前にいたのは、数人の男たち。

彼らは憎悪に満ちた目でアリシアを見下ろしていた。


「目が覚めたか、聖女様」


リーダー格の男が、ナイフの切っ先をアリシアの頬に這わせる。

アリシアは震えながらも、気丈に男を睨み返した。


「……貴方たちは、誰ですの。金銭が目的なら……」


男は唾を吐き捨てた。


「俺たちは、お前の綺麗事のせいで職を失った元・悪党だ。お前が『痛みは悪だ』なんて教育を広めたせいで、俺たちの客はいなくなった。俺たちの悪の『文化』は破壊されたんだよ!」


逆恨み。

だが、彼らにとっては切実な「生活」の崩壊だった。

彼らは「痛み」を娯楽として消費し、それで生きてきた人間たちだ。


「お前は言ったな。『痛みから学べることはない』と。……笑わせるぜ」


男は、ナイフをゆっくりとアリシアの二の腕に突き立てた。


「きゃあぁぁっ!」


アリシアの悲鳴が地下に響く。

鮮血が白いドレスを染める。


「痛えか?痛えよな? ……ほら見ろ。お前は今、学んだはずだ。『ナイフで刺されたら痛い』ってな」


男たちは歪んだ笑みを浮かべ、アリシアを取り囲んだ。


「お前の母親……あの賢者エラーラも言ってただろ? 『痛みこそが人を進化させる』ってな。俺たちはその理論を証明してやるんだよ。刺されたことがないなら、刺されてみなくちゃ痛いかどうかはわからねえもんなあ!」


「や……やめて……ッ!」


アリシアの絶叫は、分厚いコンクリートの壁に吸い込まれ、誰にも届かなかった。


・・・・・・・・・・


一方、地上では異例の事態が起きていた。

国防教育省長官の不在。

本来なら副長官が代行を務めるはずだが、事態はそれを許さなかった。


「……長官代行、エラーラ・ヴェリタス。着任する」


長官室の椅子に座ったエラーラは、人間味のない声で宣言した。

彼女の目の前には、十数台の魔導モニターが浮遊し、王都中の監視カメラ映像が高速で流れている。


「第4師団、東地区を封鎖。第2師団、地下水路の魔力スキャンを継続。……事務次官、来年度の予算案の決裁書類を持ってきたまえ。私が処理する」


エラーラは、アリシアの捜索と、国政の運営を同時に、しかも超人的な速度でこなしていた。

魔法薬で強引に脳を覚醒させ続け、ただひたすらにデータを処理する。


「エラーラ様、少しお休みを……」


「不要だ。1秒休めば、アリシアの生存確率が下がる」


彼女の計算は完璧だった。

論理的に考えれば、犯人は必ずどこかで痕跡を残す。

王都のすべてを網羅すれば、必ず見つかる。

彼女はそう信じていた。

だが、エラーラは知らなかった。

犯人たちが使っているのが、魔力を使わない原始的な隠れ家であること。

そして、彼らが移動せず、地下に潜り続けていることを。

あまりにも高度な彼女の網は、あまりにも原始的な「穴」を見落としていた。


・・・・・・・・・・


地下の拷問室。

かつて「黄金の聖女」と呼ばれた女性の姿は、そこにはなかった。

椅子に縛り付けられたアリシアは、ボロボロだった。

白いドレスは赤黒い血で汚れ、原型を留めていない。

腕、足、腹部。

「死なない程度」に、計算され尽くした深さで突き立てられたナイフの傷跡が無数にある。


「……う……ぅぅ……」


水さえまともに与えられず、唇はひび割れ、意識は混濁している。

だが、身体の痛み以上に、彼女の心を蝕んでいたのは「絶望」だった。

男たちの言葉が、呪いのようにリフレインする。


『お前の母親の理論だ』


痛みが走るたびに、エラーラの顔が浮かぶ。

かつて、怪我をしたナラを見て「いい経験だったな」と言ったエラーラ。

自分を守るために、感情を殺して冷徹に振る舞ったエラーラ。


(……おかあさまの……言う通りですわ……)


アリシアの心の中で、何かが歪んでいく。


(この痛みは……現実。わたくしが今まで目を逸らしていた、世界の真実……)


そして、何よりも彼女を苦しめたのは、「時間」だった。

7日間。

168時間。

10080分。

なぜ、助けに来ない?

おかあさまは天才だ。王都のすべてを知る賢者だ。

わたくしがどこにいるかなど、魔法ですぐに分かるはずだ。

それなのに、なぜ?

アリシアの虚ろな瞳から、光が消えた。


(見つけられないのではない。……見つけないのだ)


おかあさまは、この状況を知っている。

そして、あえて放置しているのだ。

なぜなら、これは「学び」だから。

「痛みを知らない哀れなアリシアに、本当の世界を教える授業」だから。


(わたくしは……捨てられた)


「魔力のない出来損ない。綺麗事しか言わないお荷物。……だから、ここで痛みを学んで、強くなれと……そう仰りたいのですか……?」


犯人への怒りは、いつしか形を変え、自分を助けに来ない「最強の母」への、どす黒い憎悪と絶望へと変わっていた。


・・・・・・・・・・


その頃、エラーラは限界を迎えていた。

長官室で、彼女は机に突っ伏していた。

彼女は必死だった。誰よりも愛している娘を救うために、自分の命を削って「神の視点」からの探索を継続していた。

だが、その視点は高すぎた。

地面を這う虫の居場所は、空からは見えなかったのだ。

その時。

長官室の窓ガラスが、外から叩き割られた。


「リ、リウ!?」


「乗りなさい!答えはデータの中にはありませんわ!」


ホバリングする魔導バイクに乗ったリウが、叫んだ。

その後ろには、鬼の形相をしたナラが乗っている。


「お母さま!あたしの鼻が、やっと微かな匂いを捉えた!下水道の奥から、姉さんの血の匂いがする!」


「……下水道!?馬鹿な、そこは3回スキャンして……」


「機械のスキャンなんて知るか!あたしが臭うって言ったら臭うのよ!」


ナラは叫んだ。

彼女はこの7日間、エラーラの指示を無視して、王都のドブの中を這いずり回っていた。

泥水を飲み、ネズミを追いかけ、野生の獣となって、大好きな姉の残り香を探し続けていたのだ。


「だから!……エラーラ!早く乗って!」


だが。

エラーラは、魔導バイクには乗らなかった。

それは、娘たちに負けたくないという些細なプライドだったのかもしれない。

彼女の知性は、あくまでも後方支援に徹することを選んだ。

これが、最大の過ちだった。


・・・・・・・・・・


地下室。

男が、新たなナイフを火で炙っていた。

赤熱したナイフが、アリシアの顔に近づく。

アリシアはもう、悲鳴も上げなかった。

彼女の心が、完全に壊れようとした、その時。

分厚い鉄の扉が、内側へひしゃげ、砲弾のように吹き飛んだ。


「な、なんだ!?」


煙の向こうから、二つの影が飛び込んできた。

魔力などない。

魔法障壁もない。

ただの、暴力と色彩の塊。


「姉さんに……触るなぁぁぁぁぁぁぁッ!」


ナラティブ・ヴェリタスだった。

彼女は鉄扇すら持っていなかった。

素手だ。

その一撃は男の顔面を陥没させ、壁まで吹き飛ばした。


「ごめんあそばせ!貴方たちのキャンバスは、ここにはありませんわ!」


リウが、手にした巨大な画材ケースを振り回し、別の男を殴り倒す。


「ヒッ、化け物……!」


残った男たちが逃げようとするが、ナラは逃がさない。


「逃げるの?授業はこれからでしょ?『骨が全部折れたらどうなるか』……あたしが教えてあげるわよッ!」


ナラの拳が、リウの蹴りが、男たちを肉塊に変えていく。

数分後。

地下室に立っているのは、ナラとリウだけだった。

ナラは、息を切らしてアリシアの元へ駆け寄った。


「姉さんッ……!姉さん!」


彼女は震える手で、アリシアの拘束を解いた。

リウが、自分のジャケットを脱いで、アリシアの傷だらけの身体にかける。


「遅くなって……ごめんね……!痛かったよね……怖かったよね……!」


ナラが泣きながらアリシアを抱きしめる。

……そして、遅れて入ってきたエラーラが、その光景を見て立ち尽くしていた。


「……アリシア……」


エラーラは、アリシアの惨状を見て、自分の論理の敗北を悟った。

自分がモニターにかじりついている間に、娘はここまで壊されていた。

彼女は震える足で近づこうとした。

だが。

アリシアは、ナラの腕の中で、虚ろな瞳をエラーラに向けた。

その瞳には、かつての親愛の情は欠片もなかった。


(……ナラティブは来た。リウ様も来た)


(この子たちは、魔力も権力もないのに、泥にまみれてわたくしを探し出した)


(なぜなら、わたくしを愛しているから)


そして、視線がエラーラを刺す。


(おかあさまは、来なかった)


(わたくしがボロボロになるまで、高みの見物をしていた)


(あの方は天才だ。見つけられないはずがない。……つまり、見つけなかったのだ)


アリシアの中で、「論理」が完成した。

エラーラは、自分と意見が違うから。

「苦しみから学ぶ」という理論を、わたくしに身体で分からせるために。

あえて、助けなかったのだ。

アリシアは、ナラの腕を強く掴んだ。


(ナラティブとリウ様は、わたくしを愛している)


(でも、エラーラ・ヴェリタスは……わたくしを愛していない)


「……アリシア? 治療を……」


エラーラが手を伸ばす。

アリシアは、その手をパシッとはねのけた。


「……触らないで」


「え……?」


「触らないでください……!わたくしは……もう……もう!……十分!学びましたわ……!」

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