第1話:不可能犯罪(1)
「魔法」とは、ファンタジーの産物ではない。
脳内で行われる演算による、物理法則への直接介入である。
その夜、王都警察の緊急指令センターにおけるメインモニターが、警告色である赤に染まった。
一本の通報。それが、すべての終わりの始まりだった。
『……助けてくれ! 殺される!』
オペレーターが回線を開くと、ノイズ混じりの悲鳴が飛び込んできた。
声紋解析が即座にIDを特定する。通報者はジュリアン・アークライト。かつて王都検察局のエースと呼ばれ、ある汚職事件をきっかけに失脚した元検事である。
『ナラティブ・ヴェリタスが……目の前にいる! 彼女は、私の脳を焼き切ろうとしている!』
オペレーターが息を呑む。ナラティブ・ヴェリタス。数々の難事件を解決してきた民間探偵の名だ。
『やめなさい! バカなことはやめて!』
通話の向こうから、切羽詰まった女性の叫び声が聞こえる。間違いなくナラティブの声だ。
『うわぁぁぁ!展開するな!やめろナラティブ! 来るな!』
直後。
ヒュゥゥゥ……パァァァン!!
それは、火薬の爆発音ではない。
高密度に圧縮された魔力が臨界点を突破し、大気を内側から食い破る時に生じる、独特の破裂音だった。
通話は、ブツリと切断された。
現場へ急行した機動隊が目にしたのは、無惨な密室だった。
重厚な机に突っ伏し、絶命しているジュリアン。
外傷はない。だが、検死官の携帯端末が異常な数値を弾き出していた。
彼の頭蓋内温度は3000度に達し、脳髄は一瞬にして蒸発していた。
高度火属性魔法『プロメテウスの針』。
脳内の水分分子だけを標的にした、極めて精緻で、残酷な処刑術式。
そして、その遺体の傍らに、一人の女が立ち尽くしていた。
探偵、ナラティブ・ヴェリタス。
彼女は肩で息をし、呆然と自分の両手を見つめていた。
その両掌からは白い煙が上がり、魔力の暴走による余波で、皮膚が赤く焼け焦げていた。
「確保!容疑者を確保せよ!」
警官たちが雪崩れ込む。
ナラは抵抗しなかった。ただ、絶望的な瞳で、焼け焦げた自分の手を見つめていた。
逮捕から6時間後。
王都中央裁判所の特別法廷は、冷ややかな静寂に包まれていた。
傍聴席は満員だ。かつての名探偵が、殺人鬼として裁かれる瞬間を見届けるために、多くの市民とマスコミが詰めかけている。
「被告人、ナラティブ・ヴェリタス」
検察官席に立ったのは、ジュリアンの元部下である鋭利な男、ギルバート検事だった。彼は眼鏡の位置を直し、被告人を冷徹に見下ろした。
「罪状は明白です。第一級殺人。凶器は、魔法。
この国において、魔法とは『世界への演算介入』です。被告人は、被害者ジュリアンに対し、高度殺傷術式『プロメテウスの針』を行使し、殺害しました」
ギルバートは、空中にホログラムの証拠データを展開する。
「動機は過去の因縁。被告人は、かつて被害者の不正を暴きました。今回はその後始末、あるいは私怨によるものでしょう。証拠は三点。第一に、通報記録に残された被害者の最期の言葉。第二に、密室に被告人しかいなかったこと。そして第三に……被告人の両手に残る、魔法行使特有の『魔力熱傷』です」
完璧な論証だった。
ナラは、手枷をされた両手を膝の上に置き、俯いている。
彼女は一言も発しない。
(……言えない……自分の無実を、証明できない……)
ナラは唇を噛み締めた。
彼女の沈黙は、法廷内では「罪の肯定」と受け取られた。
裁判長が木槌に手をかける。
このまま判決へ進むかと思われた、その時。
弁護人席から、凛とした声が響いた。
「異議あり」
法廷の空気が変わる。
そこに立っていたのは、白衣を纏った女性。
その瞳は理性の光で満たされ、口元には不敵な笑みを浮かべている。
王都最高の魔導科学者にして、ナラの母親。
エラーラ・ヴェリタスである。
「検察側の主張には、物理学的にも、音響学的にも、そして『教育学的』にも、看過できない重大な矛盾がある」
「教育学的?……聞き捨てなりませんな」
ギルバート検事が眉をひそめる。




