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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第8章:ヴェリタスの天秤2 愛を知る者

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第3話:司令官!

唸りを上げて疾走する魔導車。

改造されたエンジンが悲鳴のような駆動音を響かせ、王都の地下へと続く大深度スロープを転がり落ちていく。

風圧で髪が乱れるのも構わず、アリシアは助手席で地図を広げていた。

隣でハンドルを握るリウが、ゴーグル越しにチラリとアリシアを見た。


「アリシアさん!さっき!妹さんのことを『自慢』だと言いましたわよね!」


轟音に負けない大声で、リウが尋ねる。

アリシアは口元を綻ばせて、できる限りの大声で答えた。


「ええ!世界で一番の自慢ですわ!」


「あんなに強くて!合成獣を素手で殴り倒すような方が!貴女のような深窓の令嬢とは正反対に見えますけれど!」


「強いからではありません!」


アリシアは顔を上げた。薄暗いトンネルの照明が、彼女の碧眼を一定のリズムで照らし出す。


「あの子は!……ナラティブは!本当は弱虫なのです!普通の少女なのです!」


リウが意外そうに眉を上げた。あの市場で見た、修羅のような戦士の素顔。


「あの子は戦います!震えていても!涙目になっていても!大切な誰かが傷つけられそうになった時、あの子は自分の『弱さ』すら燃料に変えて!一歩も退かずに前に出る!……恐怖を前にして動ける勇気!それは魔法の才能などよりも遥かに尊い輝きなのです!」


アリシアの声には、妹への心からの敬愛が滲んでいた。

血の繋がりはない。種族も違う。けれど、魂の深い部分で結ばれた絆。


「だから!わたくしはあの子を守りたい!あの子が守ってくれるこの世界で!あの子自身が壊れてしまわないように!……あの子の『弱さ』ごと!愛しているのです!」


リウはハンドルを握りしめたまま、口元をニヤリと歪めた。


「……いい話を聞かせてもらいましたわ!ギャラ以上です!」


リウはアクセルをさらに踏み込んだ。


「掴まってなさい司令官!ノンストップですわよ!」


荷車が宙を舞い、瓦礫の山を飛び越え、最深部の闇へと突っ込んでいく。


・・・・・・・・・・


到着したその場所は、まさに、「地獄」だった。

地下貯水槽を利用した広大な空間。かつては王都の水を支えた清浄な場所は今、腐臭と血の匂いが充満する屠殺場と化していた。


「な……ッ!?」


荷台から飛び降りたリウが、絶句して口元を覆う。

そこにいたのは、魔物ではない。「何らか」の群れだった。

泥と肉塊をこね合わせたような不定形の身体。そこから無数に生え出した、人間の手、足、そして顔。

苦悶の表情を浮かべた顔面が、全身にびっしりと張り付き、口々にうわ言を呟いている。

「人間になりたがっている怪物」たち。それが数百、いや数千。黒い波となって、広場の中央を包囲していた。

そして、その中心。


「うわああああああッ!」


悲痛な叫びと共に、ナラが鉄扇を振り回していた。

彼女の美しい黒髪は泥と血で汚れ、ドレスはズタズタに引き裂かれている。

何より致命的なのは、彼女の両目が、どす黒いタールのような粘液で塞がれていることだった。


「姉さん!来ないで!絶対に来ちゃダメ!」


ナラは見えていない。聴覚と気配だけで、四方八方から押し寄せる肉塊を殴り飛ばしている。

だが、守るべき背後――そこにいるエラーラの姿を見て、アリシアの心臓が止まりかけた。


「おかあさま……!?」


最強の魔道士エラーラが、血の海に膝をついていた。

白衣は赤く染まり、そして――彼女の左足は、膝から下が、失くなっていた。

切断面から鮮血が噴き出している。彼女の両目もまた、ナラ同様に塞がれている。


「……ナラティブ……もう退け……!私が……自爆術式で……!」


「ダメっ!死なせない!絶対に死なせない!」


ナラは叫びながら、片足のエラーラを背に庇い、見えない敵に向かって鉄扇を振るう。

だが、多勢に無勢。無数の手がナラの四肢を掴み、引きずり倒そうとする。

絶望的な状況。

リウが短剣を抜こうとして……手が止まった。これは、芸術家の手には余る。

だが、アリシアは動かなかった。

悲鳴も上げず、涙も見せず。

ただ静かに、戦場全体を見下ろす高台に立ち、大きく息を吸い込んだ。


「――ナラティブ!時計の針、4時の方向!下段!」


凛とした声が、地下空間の空気を震わせた。

その声を聞いた瞬間、ナラの身体が反射的に動いた。

見えないはずの右斜め後ろ、足元。そこに鉄扇を一閃。忍び寄っていた怪物が弾け飛ぶ。


「姉さん……!?」


「説明は後です!わたくしが貴女の目になります!」


アリシアの声は、冷静かつ冷徹。恐怖の色など微塵もない。

それは、ヴェリタス家の食卓を取り仕切る時と同じ、絶対的な「姉」の声だった。


「ナラティブ、12時方向、三体!そのまま回転して9時方向、蹴り!」


「はいっ!」


ナラが踊るように回る。アリシアの指示は、ナラの身体能力と攻撃範囲を完全に計算し尽くしたものだった。


「おかあさま!聞こえてまして!?」


アリシアは次いで、うずくまるエラーラに叫ぶ。


「アリシアか……!すまない、視界がない! 座標特定が……!」


「わたくしが座標を送ります! 貴女の今の姿勢、その杖の先端を基準点とします!」


アリシアの瞳が、高速で戦場をスキャンする。

怪物の群れ。その流動パターン。そして、この空間の構造。

彼女の脳内で、複雑な物理演算が瞬時に行われる。

狙うべきは、怪物個体ではない。この数を一度に葬るための、環境利用。

天井付近を走る、一本の太い配管。

古代の冷却用魔導ガスが流れるパイプ。

その一箇所に、亀裂が入っているのをアリシアは見逃さなかった。


「おかあさま!仰角78度!方位角!右12度修正!」


「……了解だ! 私の脳内コンパスを君に預ける!」


エラーラが、残った右足で踏ん張り、杖を掲げる。見えていないはずの天井の一点を、正確に狙い澄ます。


「ナラティブ!おかあさまの射線状の敵を排除! 2時の方向、全力で薙ぎ払いなさい!」


「どきなさいよおおおおおおッ!」


ナラが咆哮と共に鉄扇を振り抜く。肉塊が吹き飛び、一瞬の射線が開く。


「今です!」


アリシアの号令と同時。

エラーラの杖から、青白い極大の閃光が放たれた。

それは針の穴を通すような精密さで、天井のパイプの亀裂を直撃した。

金属音と共にパイプが破裂する。

中から噴出したのは、絶対零度に近い冷却魔導ガス。

白霧が爆発的に広がり、群がる怪物の群れへと降り注ぐ。

断末魔を上げる暇もなかった。

人間になりたがっていた肉塊たちは、その醜悪な姿のまま一瞬で凍りつき、カチコチの氷像へと変わっていく。

空間全体が、静寂な氷の世界へと塗り替えられた。


「……勝った……のですか?」


リウが、凍りついた手すりに捕まりながら呟く。

アリシアの指示、ナラティブの武力、エラーラの魔力。

三位一体の奇跡が、地獄をひっくり返したのだ。

アリシアは階段を駆け下りた。

ドレスの裾が汚れるのも厭わず、氷漬けの死骸を避けて、中心部へと走る。


「ナラティブ!おかあさま!」


ガスが薄れ、二人の視界を奪っていた粘液も凍りついて剥がれ落ちる。

ナラが、瞬きをして、アリシアの姿を捉えた。


「……姉、さん……?」


「ナラティブ!」


アリシアはナラに飛びつこうとしたとき、背後に気配を感じた。

振り返れば、瓦礫の影から、凍結を免れた一体の怪物が、這い出していた。

上半身だけの、巨大な腕を生やした異形。それが、背を向けたアリシアへと跳躍した。


「――っ!?」


アリシアは反応できない。

ナラも、エラーラも、安堵で気が緩んでいた一瞬の隙。


「させないってのよ!」


その影に割り込んだのは、色彩だった。

リウ・ヴァンクロフト。

彼女は武器を持っていなかった。魔力もなかった。

ただ、咄嗟に、親友の大切な姉を守るために、身体を投げ出した。

鈍く、湿った音が響く。


「……え?」


アリシアの目の前で、リウの身体が宙に浮いていた。

怪物の太い腕が、鋭利な爪が、リウの腹部を深々と貫通し、そのまま彼女を持ち上げていた。

極彩色のオーバーオールが、瞬く間に赤く染まっていく。


「リウ……様……?」


「……あ、ぐ……」


リウは、口から大量の血を吐き出した。

それでも、彼女はアリシアを見て、ニカッと笑おうとした。


「……絵に……なる……でしょ……」


怪物が、邪魔だとばかりに腕を振るった。

それは、あまりに残酷な光景だった。

貫かれたリウの身体が、雑巾のように引き裂かれる。

上半身と、下半身が、別々の方向へ飛び散った。

ボロ屑のように、リウだったものが地面に叩きつけられる。

時が止まった。

アリシアの思考が白く染まる。

自分のために。出会ったばかりの、あの明るい女性が。

あんな無惨な姿に。


「あ……ああ……」


その時。

アリシアの身体が、強烈な力で横へと突き飛ばされた。


「どけッ!」


獣の咆哮だった。

満身創痍のはずのナラが、アリシアを押しのけて、飛び出していた。

その瞳は、涙でぐしゃぐしゃだったが、その奥には修羅の炎が渦巻いていた。

親友が、目の前で殺された。


「てめえええええええええええッ!」


ナラは、鉄扇を捨てた。

握りしめたのは、ただの拳。

自身の骨が砕けることも厭わない、悲しみと怒りの全霊を込めた右ストレート。

打撃音ではない。爆発音だった。

怪物の頭部はおろか、上半身そのものが、衝撃波で微塵に粉砕された。

肉片すら残らない、完全なる消滅。

ナラはそのまま地面に崩れ落ち、リウの上半身へと這いずった。


「リウ!リウ!嫌だ、死なないで! あたしなんかのために!嘘でしょ!?」


ナラは、リウの血まみれの身体を抱きしめ、子供のように泣き叫ぶ。

その慟哭が、氷の洞窟に反響する。


「……騒がしいな、ナラティブ」


冷静な、しかし有無を言わせぬハスキーな声がした。

エラーラだった。

その青い瞳が、不敵に輝いている。


「私の前で『死』などという不可逆な現象が、許可なく許されると思っているのかね?」


エラーラは手を振るった。


「術式展開。『因果逆行・生体再構築』。……私の医療魔法を、舐めるなよ……」


まばゆい光が、リウの千切れた身体を包み込む。

それは、時間を巻き戻すような光景だった。

飛び散った血液が戻り、切断された断面から繊維が伸び、下半身が吸い寄せられるように接合する。

同時に、エラーラ自身の失われた左足も、光の粒子となって再構成されていく。

ナラの傷も、アリシアの擦り傷も、すべてが光の中に消えた。

数秒後。

光が収まると、そこには五体満足のエラーラと、

そして、呆然とした顔で腹をさするリウの姿があった。


「……あれ? あたし……」


「リウ!」


ナラがリウに抱きついた。勢い余って二人で地面を転がる。


「生きてる!よかった!バカ!……死んだら許さないんだから!」


「ぐえっ!?ナラティブさん、痛いですわ!……あら、傷がない?繋がってる? ……なんてアバンギャルドな体験!」


リウは自分の腹を見て、それから泣きじゃくるナラの背中を優しく叩いた。

アリシアも座り込み、安堵のため息をついた。

エラーラは鼻を鳴らし、真新しい左足でステップを踏んでみせた。


・・・・・・・・・・


地上に戻る頃には、日はすでに傾き、美しい夕焼けが王都を染めていた。


「じゃあ……あたしはこっちですから。……今日は最高のインスピレーションを貰いましたわ」


リウは、血糊の落ちたオーバーオールで、爽やかに手を振った。

彼女は多くを語らなかった。ただ、ウインクを残して、夕日の中へ去っていった。

その背中は、来る時よりもずっと軽やかに見えた。

ナラが、名残惜しそうに見送る。

エラーラは欠伸をしながら、伸びをした。


「さて、帰ろうか。私の脳がカフェインを渇望している」


「ダメです。今日は胃に優しいスープにしますわ」


アリシアがピシャリと言うと、エラーラとナラは「えー」と声を揃えた。

三人は並んで、探偵事務所への帰路につく。

いつもの日常。いつもの騒がしい家族。

死線を乗り越え、その絆はより強固なものになった。


……はずだったが。


アリシアは歩きながら、ふと自分の二の腕をさすった。

そこには、先ほどナラに突き飛ばされた時の、微かな感触が残っていた。


(……あの時)


アリシアの脳裏に、怪物を粉砕する直前のナラの姿が蘇る。

自分を突き飛ばした、あの力強さ。

そして、リウのために見せた、あの半狂乱の涙。


(わたくしを押しのけて……リウ様のために、あそこまで……)


もちろん、あれは自分を守るためだった。

リウが傷つけられたことへの悲しみも当然だ。

理屈では分かっている。


……分かって、いるのだが。


「……ナラティブ」


「ん? なに、姉さん?」


ナラが無邪気に振り返る。


「……今日の夕食のデザート、貴女の分は半分にします」


「ええっ!?なんでよ!あんなに頑張ったのに!」


「なんとなく、です」


「理不尽だわ! 姉さんの意地悪! お母さま、なんとか言ってよ!」


「……知らんよ。私はスープが飲めればそれでいいんだぞ?」


騒がしく言い合いながら歩く三人の影が、石畳に長く伸びる。

アリシアは心の中で、ほんの少しだけ誓った。

これからは、あの子が誰かのために泣く隙を与えないくらい、わたくしが完璧に守り抜いてみせると。

そして、少しだけ悔しかった「押しのけられた感触」を、愛おしい記憶として胸の奥に「しまおうとした」のだった。

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