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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
・●第8章:ヴェリタスの天秤2 愛を知る者

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20/51

第1話:高貴な食卓!

完結篇。

前作「君の名を呼ぶ」を読んだほうが良いかも。

https://ncode.syosetu.com/n8833lb/76

王都の喧騒は、まだ眠りの中にある。

朝霧が石畳を白く染める時刻。街外れに位置する「ヴェリタス探偵事務所」には、すでに生命の息吹が満ちていた。

ここは、かつて獣病院だった建物を改装した場所だ。蔦の絡まるレンガ造りの壁、少しだけ建付けの悪くなった木製の扉。そこには、王都で最も奇妙で、最も愛おしい家族が住んでいる。


二階の自室で、アリシア・ヴェリタスは静かに目覚めた。

朝日がカーテンの隙間から差し込み、彼女の透き通るような白い肌と、金色のウェーブがかった髪を黄金色に縁取る。エルフという、人間を超越した美を持つ種族の中でも、彼女の容姿は「絶世」の名にふさわしい。

彼女はベッドから身を起こすと、まず足元を確認した。そこには、数匹の猫が団子のように固まって眠っている。


「皆さま、おはよう。今日も良い朝ですわ」


アリシアが囁くと、猫たちは一斉に喉を鳴らし、彼女の足首に体を擦り付けた。魔法が使えないエルフ――本来なら迫害の対象となりかねない彼女だが、この家において彼女は、最強の魔道士をも跪かせる「真の支配者」だった。

アリシアは丁寧に洗顔を済ませ、今日の気分に合わせたドレスを選ぶ。淡いブルーのシルクに、繊細なレースがあしらわれた一着。彼女にとって、身だしなみを整えることは戦いへの備えと同じだ。魔法を使えない自分が、誰よりも高貴で、誰よりも知性的に見えること。それが、この狂犬たちが集う事務所の秩序を保つための「結界」となる。

一階へ降りると、リビングはすでに「彼女」の気配で賑やかだった。


「おはよ!姉さん!今日も世界一綺麗ね!」


黒髪を揺らし、弾けるような笑顔で駆け寄ってきたのは、ナラティブ・ヴェリタスだ。普段はガサツで好戦的だが、アリシアの前でだけは、まるで拾われたばかりの子猫のように甘える。


「おはよう、ナラティブ。そんなに走っては、せっかくのドレススーツがシワになりますわよ。こちらへいらっしゃい。リボンの結び目が少し甘いわ」


「あ、ごめんね姉さん。つい嬉しくって」


ナラは時折、芝居がかった王女のような態度を取るが、アリシアにはそれが彼女なりの「理想」への背伸びであることを知っていた。愛おしい、不器用な義妹。アリシアはナラを溺愛している。彼女が外でどれほど暴れようとも、この家で自分に甘える姿こそが真実だと信じていた。


「姉さん、今日の朝ごはん、あたしが手伝おうか?お母さまは……ほら、また実験室で爆発音させてるし」


「ナラティブ、貴女が手伝うとキッチンが戦場になりますわ。貴女は猫たちにミルクを差し上げて。……おかあさま! そろそろ出ていらっしゃい!」


アリシアが声を張り上げると、キッチンの奥、地下へと続く扉が勢いよく開いた。


「見たまえアリシア、ナラティブ!魔導粒子の加速によるカフェイン抽出効率が、ついに理論値の1.02倍に達したよ! これはもはや飲み物ではない、脳を直接アップグレードする『知性の雫』だ!」


白衣を翻し、銀髪を振り乱して現れたのは、エラーラ・ヴェリタス。最強の魔道士でありながら、私生活における生活能力はゼロに等しい、アリシアたちの義母だ。その褐色の肌に青い瞳を輝かせ、大仰な身振りで、彼女は「自慢の珈琲」を掲げた。


リビングの大きなテーブルに、三人が揃う。

エラーラとナラの前には、深い黒色をした、泥のように濃い珈琲が置かれる。


「これだよ、これ!脳のニューロンが音を立てて覚醒していくのがわかる!さあナラティブ、君も一杯どうだい?」


「いただくわ、お母さま! この苦味こそが、あたしの拳を熱くさせる燃料よ!」


二人は同時に、その「黒い液体」を煽る。

エラーラとナラは、筋金入りの珈琲派だ。それは前線で戦い、理不尽な現実を力でねじ伏せる者たちのための、刺激的な聖水。

エラーラは魔法の探求者として。

ナラティブは家族を守る盾として。

二人の「強さ」は、この珈琲の苦味と共にある。

一方、アリシアの前に置かれているのは、透き通った琥珀色の液体。

最高級の茶葉を、秒単位で計測された抽出時間で淹れた、完璧な紅茶だ。


「わたくしは、こちらを。……おかあさま、ナラティブ。貴女たちがその『黒』で世界を動かすなら、わたくしはこの『琥珀』で、貴女たちが踏み外さないように見守っておりますわ」


アリシアは優雅に紅茶を啜る。

彼女は二人が愛する珈琲を否定しない。むしろ、あの刺激がエラーラの超常的な頭脳と、ナラの爆発的な戦闘力を支えていることを理論的に理解し、尊敬すらしている。だが、自分があの輪に加わることはない。アリシアにとって、紅茶を飲む時間は、荒ぶる二人を俯瞰し、戦略を練るための「司令官の時間」だからだ。


「……ねえ、姉さん。その紅茶、一口だけ……もらってもいい?」


ナラが、少し照れくさそうに上目遣いで尋ねる。


「あら、どうしたのです? 苦い珈琲こそが貴女のエネルギーなのでしょう?」


「そうだけど……姉さんが淹れる紅茶の匂い、すごく好きなの。なんだか、あたしのガサツな心が洗われるみたいで」


アリシアは微笑み、自分のカップをナラに差し出した。

ナラが慎重にそれを口にする。その瞬間、戦士の顔が少女のそれに、そして高貴な令嬢のそれに溶けていく。


「……ああ、美味しい。お母さま、姉さんの紅茶はやっぱり魔法だわ」


「どれ、私にも一口。……ふむ、完璧な調律だ。アリシア、君の紅茶は私の荒れ狂う思考の波形を、見事に一定の周波数に固定してくれる。まさに『静止した知性』の極致だね」


二人の珈琲派が、アリシアの紅茶に感嘆する。

それは、ヴェリタス家における「平和の象徴」だった。異なる性質を持つ三人が、お互いの好みを尊重し、認め合う。その中心に、魔法を使えないアリシアが立っている。


朝食が終わる頃、エラーラが不意に、魔法文字が刻まれた羊皮紙をテーブルに広げた。


「さてさて!平和な時間はここまでだ。王都中央広場の下層、旧魔導下水道で、妙な空間の歪みが観測されているらしいんだ。アカデミーの連中は腰を抜かして逃げ出したそうだが、私の好奇心は今、沸点を超えているよ!」


「地下水道?面白そうじゃない!お母さま、あたしも行くわ。あそこには、昔から『禁忌の怪物』が住み着いてるって噂だし、あたしの鉄扇が火を吹くのを待ってるはずよ!」


ナラが身を乗り出し、好戦的な笑みを浮かべる。

アリシアは静かに紅茶の最後の一口を飲み干し、二人の様子を観察した。


「……おかあさま。その区画、確か数年前の予算会議で『維持コストが見合わない』として放棄された場所ですわね?」


「その通りだ! よく覚えているね、アリシア」


「当然ですわ。わたくしがアカデミーの台帳をどれだけ読み込んでいるとお思いで? おかあさま、あそこには放棄された当時の『自動防衛プロトコル』が生きているはずです。力任せに突っ込めば、王都の地下インフラごと吹き飛ばしかねませんわよ」


アリシアの的確な指摘に、エラーラは頬を掻いた。


「そうなると、私の魔導干渉だけでは少し厄介かな……」


「ナラティブ、貴女もです。怪物を見つけたからといって、壁を崩すような真似は厳禁ですわ。もし地下水道が崩落すれば、その真上にある貴族街の生命体が死滅し、責任問題でわたくしたちは破産します」


「……わ、わかったわよ、姉さん。気をつけるわ」


ナラはアリシアの言葉にだけは絶対服従だ。アリシアの言葉は、魔法よりも重く、予言よりも正確であることを、彼女は骨身にしみて知っている。


「いいですか、お二人とも。……貴女たちの『前衛』の突破力が鍵となります。わたくしはここで、情報の整理とバックアップを担当します。……ですが、ふふ」


アリシアは少しだけ、窓の外を見つめた。


「もし事態が長期化するようなら、わたくしも『捜査』に入る必要があるかもしれませんわね。……もちろん、わたくし一人では力が足りませんけれど。わたくしの頭脳を実体化させるための『盾』、あるいは『翼』となってくれる誰か……そんな方がいれば、わたくしも現場で指揮を執れるのですけれど」


それは、まだ見ぬ誰かへの、あるいは新たなチーム編成への、淡い予感だった。

前線で暴れる珈琲派の二人。

そして、その後方で全体を統括し、時に自らも戦場を「デザイン」する紅茶派のアリシアと、その協力者。

そんな未来を想像し、アリシアは心躍るのを感じていた。


「さあ、ナラティブ! 出発だ! 知性の爆発を世界に見せつけてやろうじゃないか!」


「待ってよお母さま! 鉄扇のメンテナンスがまだ……よし、完璧! 行くわよ!」


二人が玄関へ向かう。

エラーラは白衣を翻し、ナラはドレスの裾を翻す。その姿は、まるで嵐の前の静けさを切り裂く稲妻のようだった。


「おかあさま、これをお持ちなさい」


アリシアが差し出したのは、丁寧に包まれたサンドイッチと、小さな水筒だった。


「現場で熱中しすぎて、栄養補給を忘れないように。……それからナラティブ、貴女にはこれを」


アリシアはナラティブの手に、自分の香水を一吹きしたハンカチを握らせた。


「地下の嫌な臭いに酔いそうになったら、これを使いなさい。わたくしが、いつも貴女を見守っていますわ」


「姉さん……。ありがとう! あたし、頑張ってくる!」


ナラは感激したようにアリシアを抱きしめ、それから弾かれたようにエラーラの背中を追って外へ飛び出した。

事務所の扉が閉まり、カチャリと鍵の音が響く。

あんなに騒がしかったリビングに、再び静寂が戻ってきた。

足元では、猫たちがアリシアを見上げている。


「さて……」


アリシアはテーブルに残された、空の珈琲カップ二つと、自分の紅茶のカップを見つめた。

二人の荒ぶる魂が、今、王都の闇へと向かっていく。

それを支え、律し、最後には勝利へと導くのが、自分の役割だ。

アリシアは静かに立ち上がり、事務所の奥にある巨大な本棚へと向かった。

そこには、王都の地下構造、歴史、魔導術式の全てが記された資料が、彼女によって完璧に整理され、並んでいる。

彼女の手が、一冊の古い地質学の資料に伸びる。


「おかあさまたちが派手に暴れる間に……わたくしは、わたくしの戦い方を準備しておきませんと。……そうですわね、次に彼女たちに会う時は、わたくしも『現場の司令官』として、最高の装いで現れることにしましょうか」


アリシアの瞳に、知性と好奇心が混ざり合った、美しい光が宿る。

窓の外、朝日を浴びて輝く王都の街並みが、彼女の挑戦を待っているかのようだった。

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