第2話:走り屋と車椅子(2)
その日の夜。ナラは施設のガレージにいた。
そこは、ハナの私物である工具や廃材が山積みになった、秘密基地のような場所だった。
「まずはオーバーホールだ。……あー、ベアリングが悲鳴を上げてやがる」
ハナの指示で、ナラは『レッド・コメット』をバラバラにしていく。
探偵の仕事とはかけ離れた作業だが、母の実験器具の整備で培った手先の器用さが役に立った。
分解してみると、ハナの車椅子がいかに常軌を逸した設計であるかが分かった。
フレームの継ぎ目は、溶接ではなく、革紐と特殊な接着剤で固定されている。これにより、車体全体がバネのようにしなり、衝撃を吸収しつつ加速力に変えているのだ。
「……すごい。こんな構造、見たことがないわ」
ナラが感嘆の声を漏らすと、ハナは得意げに鼻を鳴らした。
「だろ? こいつの基本設計はな、アタシの孫が考えたんだ」
「お孫さんが?」
「ああ。あいつは変わった子でね。両親からは『魔力がない』『才能がない』って疎まれてたが、アタシには分かってた。あいつは『工夫』の天才だってな」
ハナは、作業の手を止めて遠い目をした。
「あいつはよく言ってたよ。『既製品なんてつまらないよ!自分の色は、自分で作らなきゃ!足りないものがあるなら、知恵と工夫で補えばいい。……そうやって作ったものは、世界に一つだけの宝物になるんだ』ってな」
ナラの胸に、奇妙な感覚が広がった。
その言葉。その哲学。
誰かに、似ている。
「……そのお孫さん、今は?」
「王都でフーテンな生活をしてるよ。実家を飛び出して、好き勝手やってるみてぇだ。ま、アタシに似ちまったんだな。『型にハマるな、風になれ』って教えちまったからね」
ハナは笑い、ベアリングに油を注した。
「高い専用オイルなんざいらねぇ。こいつは、厨房からくすねてきたサラダ油だ。こいつの粘度が、一番このベアリングに『馴染む』んだよ。適材適所。それこそが最強のチューニングだ」
ナラは、ハナの横顔を見つめた。
権威や常識に囚われず、自分の美学を貫く姿勢。
そして、何よりも「自由」を愛する魂。
(……あいつにそっくりだ)
ナラティブの脳裏に、ある親友の顔が浮かんだ。
「よし、次はカネコの魔導モーター対策だ。人力だけじゃ、あの出力には勝てねぇ。こっちも『ブースト』が必要だ」
ハナが取り出したのは、二本の空き瓶と、怪しげな色の丸薬だった。
「これは?」
「孫直伝の『禁断の最終兵器』さ。こいつは、安物の魔力炭酸水。こっちは、子供が喜ぶ発泡性の駄菓子だ。こいつらを組み合わせると、どうなると思う?」
ナラは嫌な予感がした。
「まさか……」
「そのまさかだ! 炭酸ガスの爆発的な噴射力!こいつを推進力に変えるんだよ! 名付けて『レッド・コメット・バースト』!制作費、わずか200ギル!」
ハナは子供のように目を輝かせている。
ナラは、呆れを通り越して感動すら覚えた。
この老婆は、本気でこれで勝つつもりなのだ。500万クレストの魔導マシンに、200クレストの駄菓子で挑もうとしている。
「……最高にロックだわ、ハナさん」
ナラは、腕をまくった。
「やりましょう。とびきりの『怪物マシン』を組み上げてやるわ」
二人の作業は深夜まで続いた。
油と汗にまみれながら、彼女たちは笑い合った。
それは、ナラが久しぶりに感じた、純粋な「熱狂」の時間だった。
決戦の日。
会場である多目的ホールは、前回以上の熱気に包まれていた。
噂を聞きつけた他のフロアの入居者や、非番の職員たちまで集まり、一種のお祭り騒ぎになっていた。
スタート地点に並ぶ二台の車椅子。
カネコの『ゴールデン・バタフライ』は、さらに改造されていた。
車輪がさらに大きくなり、魔導モーターも最新型に換装されている。
「オーッホッホ!さらに課金しましたわ!今日の私は無敵ですの!」
対するハナの『レッド・コメット』は、見た目こそ変わらないが、その中身は別物だ。
ナラによる完璧な整備で、各部の摩擦は極限までゼロに近づいている。
そして、車体後部には、二本の魔力炭酸水の瓶が、禍々しい砲身のように装着されていた。
「へっ。吠えるなって、成金。今日の『赤』は、一味違うぜ」
スターターの職員が旗を振る。
「レディ……ゴーッ!!」
二台が同時に飛び出した。
カネコの加速は凄まじい。強化された魔導モーターが唸りを上げ、一気にリードを広げにかかる。
だが、ハナも負けていない。
「ンゥゥゥゥッ!!」
鍛え上げられた肉体と、完璧に整備された車体が一体となり、カネコに食らいつく。
「なんだと!?なぜ離れないのですの!?」
カネコが焦りの表情を見せる。
「探偵さんの腕は一流なんだよ!」
ハナが叫ぶ。
レースはデッドヒートのまま、終盤の直線コースへと差し掛かった。
スロープの頂上、屋上のゴールが見えてくる。
「ここだァ!ナラティブ!『アレ』の準備はいいか!?」
ハナが合図を送る。
ピットエリアで待機していたナラが、手元の紐を握りしめた。
この紐は、ハナの車椅子の後部にある仕掛けに繋がっている。
「いつでもいいわよ!ぶっ飛ばしなさい!」
「見せてやるぜ、知恵と工夫の結晶をなァ!」
ハナが叫び、ナラが紐を引いた。
仕掛けが作動し、発泡丸薬が魔力炭酸水の瓶の中に投下される。
一瞬の静寂。
そして。
凄まじい音と共に、激流が後方へと噴射された。
魔導炭酸ガスの圧力が、爆発的な推進力を生み出す。
「な、なんですのそれはーーッ!?」
カネコが悲鳴を上げる。
『レッド・コメット』が、まるで魔獣に蹴り飛ばされたかのように加速した。
前輪が浮き上がり、ウィリー状態で直線を突き進む。
「いっけぇぇぇぇ!」
ハナの絶叫が、夕暮れの空に響き渡る。
カネ子の横を、赤い閃光が抜き去った。
そのまま、ハナはトップでゴールラインを駆け抜けた。
会場が、爆発的な歓声に包まれた。
「やった! やったぞハナさん!」
「すげぇ! 本当に勝ちやがった!」
老人たちが抱き合って喜んでいる。
カネコの車椅子は、ゴールの手前でバッテリー切れを起こし、「プスン」と情けない音を立てて停止した。
屋上は、夕焼けに染まっていた。
ハナは車椅子から降り、手すりに寄りかかって勝利の余韻に浸っていた。
ナラも、油と炭酸水で汚れた顔を拭いながら、ハナの隣に立った。
「いいレースだったぜ、探偵さん。お前の完璧な仕事のおかげだ」
「……礼には及ばないわ。久しぶりに熱くなったわよ」
そこへ、カネコが息を切らせてやってきた。
彼女の顔からは、いつもの傲慢さは消えていた。
「……完敗ですわ、ハナさん。私の500万クレストが、あなたの駄菓子に負けるなんて……」
カネコは悔し涙を浮かべながらも、ハナに手を差し出した。
「認めますわ。あなたの『走り』への情熱は、本物でしたのね」
ハナはニヤリと笑い、その手を強く握り返した。
「フン。テメェも悪くなかったぜ!」
二人の間に、奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。
その時。
遠くの空から、派手なエンジン音が響いてきた。
一台の「魔導エアバイク」が、施設の敷地内に強引に着陸しようとしている。
砂煙を上げて着陸したバイクから、ド派手なドレスを着た、金髪の美女が飛び出してきた。
「お婆様ーーーーッ!」
美女は、屋上にいるハナの姿を見つけると、常人離れした跳躍力で壁を蹴り、一気に屋上まで飛び上がってきた。
「お婆様! 優勝おめでとうございますわ!通信魔導具で中継を見ておりましたの!ああ、なんて美しい『爆発』の軌跡!感動しましたわ!」
ハナが、やれやれといった顔でサングラスをずらした。
「なんだリウ、来てたのか。騒がしい孫だねぇ」
ナラは、その光景を呆然と見ていた。
その声。その口調。その変態的なテンション。
そして、ハナを「お婆様」と呼ぶその姿。
「……リウ?」
美女――リウ・ヴァンクロフトが振り返る。
「あら? その声は……」
リウはナラの姿を確認した瞬間、目を輝かせて奇声を上げた。
「キェェェェェ!ナラさん!?」
次の瞬間、リウはナラにタックル気味に抱きついた。
「ぎゅえっ!」
「なんでここにいらっしゃいますのん!?まさか……私への愛が抑えきれず、ついにお婆様への外堀を埋めに来ましたのね!?そうですのね!?そうですのね!?これで私たちは家族公認の尻尾仲間……!」
ナラはリウを引き剥がそうともがく。
「ち、違うわよ!入れ歯の調査で来ただけ!」
「入れ歯ぁ!?なっ……なんてマニアックな!ハッ!ナラさんのその油まみれの姿!そういうプレイですの!?汗とオイルと美女!創作意欲が!創作意欲がビッグバンを起こしますわーーッ!」
リウは懐からスケッチブックを取り出し、猛烈な勢いで何らかを描き始めた。
ナラは、頭を抱えた。
ハナの「型破りな性格」「独自の美学」「口の悪さ」。
リウの「変態性」「芸術的爆発」「周囲を巻き込むパワー」。
(……)
血は争えない。
この暴走ババアの孫が、あの変態芸術家だったとは。
ハナはカカカと笑った。
「なんだリウ、探偵さんと知り合いだったのか。世間は狭ぇな!気に入ったよ探偵さん!これからもうちの孫をよろしく頼むぜ!……あと、来週のレースも空けといてくれよな!次は火薬を使うからよ!」
「お断りよッ!」
ナラが絶叫する。
リウは、ハナの車椅子を撫で回しながら目を輝かせている。
「お婆様!次はこのフレームに、私の新作の彫刻を施しましょう!テーマは『爆発するエロス』ですわ!」
「おう、いいな!やろうじゃねぇか!」
祖母と孫は、完全に意気投合していた。
楽しそうに次の改造計画を話し合う二人の姿は、年齢差を感じさせない、最高の「相棒」に見えた。
ナラは、ふと、ハナが言っていたことを思い出した。
『両親からは疎まれてた』
リウの過去。壮絶な記憶。
だが、彼女には、この祖母がいたのだ。
彼女の才能を肯定し、背中を押してくれた理解者が。
(……よかった)
ナラは、騒がしい二人を見ながら、安堵のため息をついた。
リウのあの底抜けの明るさと強さは、この祖母から受け継いだものだったのだ。
彼女は一人じゃなかった。
「さ、ナラさん! 私たちも混ざりますわよ!三人でチーム結成ですわ!」
リウがナラの手を引く。
ハナがニヤリと笑う。
夕暮れの屋上は、カオスと熱狂と、そして奇妙な温かさに包まれていた。
ナラは観念して、小さな声で呟いた。
「……やってられないわ!」
その口元は、微かに笑っていた。




