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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
走り屋と車椅子

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第1話:走り屋と車椅子(1)

王都の喧騒から離れた郊外。なだらかな丘の上に、高級老人ホーム「黄昏」はあった。

探偵ナラティブ・ヴェリタスは、ため息混じりにその門をくぐった。

今回の依頼は「施設内で頻発する、入居者の総入れ歯盗難事件の調査」。

世界を揺るがす陰謀や、凶悪な魔獣退治とは無縁の、なんとも平和で間の抜けた依頼だ。

母であるエラーラは「ポルターガイスト現象には運動会をぶつけたほうが良いね」などと適当なことを言って、ナラ一人を送り出したのだ。


施設内は、予想通りの静けさに包まれていた。

磨き上げられた大理石の廊下。すれ違う職員たちの穏やかな笑顔。談話室からは、優雅なハープの音色が流れている。

ナラは、聞き込みのために廊下を歩き出した。

その時だった。


「どきなァ!轢かれたくなきゃ壁とキスしてなッ!」


静寂を引き裂く怒号と共に、背後から何かが迫ってくる。

魔導具の駆動音ではない。もっと原始的な、硬いゴムが石床を削る摩擦音だ。

ナラが反射的に壁際に飛び退いた瞬間、目の前を「紅蓮の影」が通過した。

風圧がドレスの裾を舞い上げる。

影は、廊下のT字路で信じられない動きを見せた。

搭乗者が体を大きく傾け、片側の車輪をロックさせる。慣性に従い、車体は横滑りを始める。

ドリフトだ。

鮮やかなスピンターンを決めて停止したのは、真っ赤に塗装された車椅子に乗る、一人の老婆だった。

白髪を逆立て、サングラスをかけ、派手なアロハシャツを着ている。80歳は超えているだろうが、その腕の筋肉は隆起し、血管が浮き上がっていた。


「……チッ。あぶねぇな。一般歩行者は路側帯を歩きな!」


老婆はサングラスをずらし、ナラを睨みつけた。

ナラは唖然としつつも、抗議した。


「ここは廊下です。走る場所では……」


「あァ? 何を寝ぼけたことを。ここは『サーキット』。……走る場所だろうが」


老婆は不敵に笑い、懐から魔石蒸気パイプを取り出して一服した。甘いフルーツの香りが漂う。


「それにしても、いい度胸だね、姉ちゃん。アタシのドリフトを目の前で見ても悲鳴一つ上げねぇとは」


老婆はナラを値踏みするように見た。そして、ナラの手元に視線を止めた。

彼女の手は、日々の鍛錬と、時折手伝わされる母の実験のせいで、貴族の令嬢のように滑らかではない。小さな傷や、薬品の染みが残っている。


「ほう……いい指をしてるね。油汚れが似合いそうな手だ」


老婆はニヤリと笑った。


「おい姉ちゃん、名前は?」


「……ナラティブです。しがない探偵です……」


「探偵? フン、なんとも胡散臭ぇ商売だ。だが、ちょうどいい。……付き合いな!アタシの『ピットクルー』が腰をやって逃げちまってもう、困ってたんだ!」


「はあ?……お断りします。私は仕事中で……」


「細かいこたぁ気にするな!来な!」


老婆の腕が伸び、ナラの腕を鷲掴みにした。

嘘のような怪力だった。


「ちょっ、離して!」


ナラの抵抗も虚しく、彼女は老婆の車椅子に引きずられるようにして、施設の奥へと連行されていった。


「アタシはハナだ。『紅蓮のハナ』と呼びな。さあ、戦争の時間だぜ!」


ハナに連れてこられたのは、施設の中庭に面した多目的ホールだった。

そこには、数十人の入居者が集まり、何やら熱気帯びた雰囲気になっていた。

中央には、簡易的なスタートゲートが設置され、その先には、建物の外壁に沿って屋上まで続く、長い螺旋状のスロープが見える。


「あら、ハナさん。ピットクルーは見つかりまして?まさか、怖気づいて逃亡したのではなくて?」


優雅な声と共に現れたのは、煌びやかな金色の車椅子に乗った老婆だった。

巻き髪に、高価な宝石をジャラジャラとつけ、扇子で口元を隠している。彼女の車椅子は、もはや玉座のようだった。最高級の魔獣の革を使ったシート、繊細な彫刻が施されたフレーム、そして車輪の中央には魔導モーターの輝きが見える。


「誰が逃げるかよ、この成金ババアが」


ハナが唾を吐き捨てる。

成金ババアと呼ばれた老婆、カネコは、扇子の隙間から冷ややかな視線を向けた。


「野蛮ですこと。それに、またその……ゴミ捨て場から拾ってきたような鉄屑に乗ってらっしゃるの?私の『ゴールデン・バタフライ』をご覧なさい。王都最高の魔導技師に特注した逸品。お値段、しめて500万クレストですわ」


会場がどよめいた。500万クレストといえば、王都の一般市民の年収を遥かに超える金額だ。

ハナは愛機をバンと叩いた。


「テメェのそいつは、無駄な装飾でデブなんだよ!アタシの『レッド・コメット』を見ろ!」


ナラは、ハナの車椅子を改めて観察した。

確かに、カネコのものと比べるとみすぼらしい。塗装は剥げかけ、フレームは継ぎはぎだらけだ。


「フレームは廃材置き場で拾った水道管! タイヤは捨ててあった子供用荷車の流用!座布団は王都の庶民市場の特売品!総制作費、締めて15万

クレスト!」


再び会場がどよめいた。今度は、あまりの安さに。


「だがなあ!こいつは余計なモンを一切削ぎ落とした、純粋な『走るための機械』だ!魂のチューニングで、テメェのその金ピカより3倍速いんだよォ!」


「オーッホッホ!笑わせてくださいますわね。

乗り物は『値段』こそが正義! 資本力の差を、その身に刻んで差し上げますわ!」


二人の視線がバチバチと火花を散らす。

これは、ただの老人の喧嘩ではない。プライドを懸けた、走り屋たちの抗争だった。


「……ねえ、あんた。本当にこれで勝負する気?」


ナラが小声で尋ねる。

どう見ても、性能差は歴然だ。カネコの車椅子は最新の魔導モーター駆動。対するハナは、人力だ。

ハナはニヤリと笑った。


「見てなよ、探偵さん。勝負ってのは、スペックだけで決まるもんじゃねぇ」


レースが始まった。


「レディ……ゴーッ!!」


スタートの合図と同時に、カネコの『ゴールデン・バタフライ』が、魔導モーターの唸り声を上げて飛び出した。


「ごきげんよう!お先に失礼!」


優雅なワルツを大音量で流しながら、カネコが螺旋スロープを駆け上がっていく。

一方、ハナは出遅れた。

ハンドリムを掴む腕に、凄まじい力が込められる。


「うおぉぉぉッ!」


ハナの上腕二頭筋が膨れ上がり、アロハシャツが悲鳴を上げる。人力とは思えない加速で、カネコを追う。

ギャラリーの老人たちが熱狂する。


「いけぇ! ハナさん!」


「カネコさんに負けるな!」


彼らの多くは、ハナを応援していた。カネコの鼻持ちならない態度よりも、ハナの泥臭い情熱に惹かれているのだ。

中盤のカーブ。

カネコの車椅子は、搭載された「全自動紅茶サーバー」や「癒やしのマッサージ機能」といった重装備のせいで、遠心力に振られて大回りになる。


「きゃあっ!紅茶がこぼれましたわ!なんてこと!」


「そこだァ! 隙ありッ!」


ハナが吠える。

彼女は体重移動だけで、イン側の車輪を浮かせた。

片輪走行だ!

接地抵抗を極限まで減らし、最短距離のインコースを、壁スレスレで駆け抜ける。


「なっ!?ババア、正気か!?」


「すげぇ!飛んでるみたいじゃないか!」


ハナがカネコに並ぶ。


「見ろ!これが15万クレストの底力だァ!」


デッドヒートが続く。

しかし、終盤の直線。魔導モーターの持久力が、人間の体力を上回った。

ハナの息が上がり、腕の回転が鈍る。


「なっ……!」


カネコが再び突き放す。


「オーッホッホ!残念でしたわね!これが資本の力ですわ!」


結局、カネコが先に屋上のゴールラインを切った。ハナは車輪二つ分、及ばなかった。


「……チッ。負けたか」


ゴール後、ハナは荒い息を吐きながら、悔しそうにハンドルを叩いた。

だが、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれていた。


「いいレースだったぞ、ハナさん!」


「あんたの走りに痺れたよ!」


「次は勝てるさ!」


勝ったのはカネコだが、観客の心はハナの熱い走りが掴んでいた。

カネコは、勝利したにも関わらず、どこか面白くなさそうな顔で扇子をパタパタとさせていた。

ナラは、汗だくで笑うハナを見て、不覚にも胸が熱くなるのを感じた。

この老婆、タダモノじゃない。

ハナがナラに向き直る。


「へっ、見られちまったなあ、無様なとこを。……だがな、負けねぇ、次はな!……おい探偵。お前、アタシのメカニックをやれ。こいつを、最強のマシンに仕上げるんだよ!」


ナラは、ため息をつきながらも、口元を緩めた。


「……依頼料、高くつくわよ?」

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