表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
空中庭園殺人事件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/51

第2話:空中庭園殺人事件(2)

「……ええ。認めますわ」


マダムは、冷ややかな視線を、夫である鉱山王ゴルド・マインに向けた。


「私が殺しました。この女は、あなたが進める『地方教育支援プロジェクト』という名の、悪魔の計画の象徴でしたからね」


「な、なんだと?教育支援だと?」


ゴルドが狼狽する。


「私は慈善事業を行っていたのだぞ!貧しい地方に学校を……」


「学校?」


マダムが鼻で笑った。


「あなたたちが作ったのは『学校』ではない。『牧場』よ」


マダムは、会場に集まる富裕層たち――このプロジェクトに出資している者たちを見回し、氷のような声で告発を始めた。


「あなたたちは、『地方の子供たちは毎日高級なコーヒーも飲めないほど貧しい』と嘆いてみせた。そして『彼らを救うため』という美名のもとに、地方の学校を次々と買収した。……ですが、その実態は何です?」


マダムは、血に濡れたステージを指差した。


「教育予算の8割を『コンサルティング料』として中抜きし、あなたたちの懐に入れた。そして残りの僅かな予算で何をした?魔導工学、歴史、哲学……人間が人間として思考するための授業をすべて廃止した!代わりに導入したのは、あなたたちの会社が開発した『魔導端末』で一日中遊ばせるだけの、中身のないカリキュラム!」


マダムの声が、怒りで震え始めた。


「子供たちから『なぜ』と問う力を奪い、考える力を去勢する。そうやって、将来あなたたちの工場で、文句ひとつ言わずに低賃金で歯車を回す『使い捨ての部品』を育てるためのシステムを作ったのよ!……それは、教育ではない!」


マダムの出身は、貧しい地方の炭鉱街だった。

そこでは、雨漏りする校舎で、チョークすら自腹で買う教師たちが、泥だらけの子供たちに「知識こそが貧困から抜け出す武器だ」と熱く説いていた。

子供たちも、ボロボロの教科書を回し読みし、目を輝かせて学んでいた。

マダムは、その「前へと進む熱意」を知っていた。


「ディーヴァは、その広告塔だった。何も知らず、無邪気に笑いながら、子供たちの未来を摘み取っていた。……だから殺したのよ。私の故郷を、人間を、徹底的に舐め腐ったあなたたちへの、せめてもの復讐として!」


会場は静まり返った。

それは単なる痴情のもつれではなく、都市の繁栄を支える腐敗した構造への、「拒絶」だった。


「……フム」


エラーラが一歩進み出た。

彼女の表情からは、冷徹さが消えていた。


「君の言う通りだ、マダム。システム工学的に見れば、彼らの政策は労働力という『奴隷の確保』としては合理的かもしれない。……だが、教育とは『可能性への投資』だ。特定の階層を意図的に無知に留めて置くことは、長期的には社会全体の革新力を殺ぐことになる。……それは文明への裏切りであり、極めて非効率的な搾取だ。科学者として、教育を食い物にするその手法には、激しい憤りを覚えるよ」


エラーラは、ゴルドを睨みつけた。

だが、鉱山王は怯むどころか、顔を真っ赤にして反論した。


「ば、馬鹿者ども!何も分かっていない!」


ゴルドは、黄金のステッキを床に叩きつけた。


「私が地方を見下しているだと?とんでもない! 私は彼らを『お客様』にしてやろうとしているのだぞ!」


ゴルドは慈善家の目で、自らの「完璧な経済理論」を演説し始めた。


「いいか?現実を見ろ!地方の未開人どもは、その貧弱な脳みそでは、高度な魔導学など理解できん!そんなものを教えて、彼らが『自分たちは不幸だ』と気づいてしまったらどうする?それこそが残酷だろう!」


ゴルドは両手を広げた。


「だから私は、彼らに相応しい生き方を用意してやるのだ!学など捨てて、私の工場で単純作業に従事すればいい!そうすれば、私は彼らに給料を払う。そして彼らは、その金で……私が経営する『カフェ・ディーヴァ』の最高級コーヒーを飲むのだ!」


ゴルドは、恍惚とした表情で続けた。


「私が彼らを雇い、彼らが私に金を払う!誰も困らない!彼らは『高級コーヒー店に通える文化的な消費者』になれて幸せ!愛しのディーヴァには売上が入って幸せ!そして地方経済も回る!……この私が神のごとき慈悲で、地方の連中を『経済圏』に入れてやってる、と言っているのだ!」


「……ッ!」


その言葉を聞いた瞬間、マダムの中で何かが切れた。


「……ふざけるな」


マダムは、隠し持っていた予備のナイフを取り出し、ゴルドではなく、なんとエラーラたちの方へ切っ先を向けた。


「なっ!?」


エラーラがたじろぐ。


「あなたたちもよ!王都の人間は全員同じだ!」


マダムは叫んだ。

彼女の怒りの矛先は、搾取する夫だけでなく、それを傍観者として分析する都会人のエラーラや、この場にいる「理解あるフリをした」富裕層たち全員に向けられた。


「『地方の人は可哀想』?『教育を奪われて不幸』?……その同情も、また差別なのよ!」


マダムの目から涙が溢れた。


「あなたたちは、地方の人間を何だと思っているの?守ってあげなきゃ死んでしまう、無力な赤ん坊?私たちはね、あなたたちの高級コーヒー店なんかなくたって生きていけるのよ!自分たちの手で学校を建てて、自分たちの足で立っているのよ!」


マダムは、ゴルドを指差した。


「こいつは論外だわ。私たちを家畜だと思っている。でもね、あなたたちも同罪よ!『地方のために』とか言いながら、結局は私たちを『見下して良い下等な存在』として扱っている!私たちの強さを、誇りを、誰も見ていない!」


マダムの絶叫がこだまする。


ゴルドの傲慢。

エラーラの憐憫。

そのどちらもが、地方で懸命に生きる人々にとっては、耐え難い侮辱だったのだ。


「もういい……!全員死ねばいい!この浮遊船ごと墜落させて、あなたたちのその驕り高ぶった脳みそを、地面に叩きつけてやるわ!」


マダムは、空中庭園の制御パネルに向かって駆け出した。

彼女は船の魔導炉を暴走させ、自爆するつもりだ。

会場は大パニックに陥った。

誰もが逃げ惑う中、エラーラだけが冷静に計算していた。


(……間に合わない)


ゴルドも叫ぶ。


「やめろ!私の完璧な経済圏が!」


マダムが叫ぶ。


「滅びなさい!傲慢な豚ども!」


互いの正義とエゴがぶつかり合い、破滅へと向かう絶体絶命の瞬間。


突然、ドームの強化ガラスの天井が、物理的な衝撃で粉砕された。

豪雨と共に、キラキラと降り注ぐガラスの破片。

そして、極彩色のドレスを着た影が、重力加速度を乗せて落下してくる。


「な、なんだ!?」


「……わああああああッ!!足が!滑ったああああッ!!」


落下してきたナラの拳が、偶然にも自爆スイッチを押そうとしていたマダムの顔面にクリーンヒットした。


「ぶべッ!?」


マダムは白目を剥き、優雅に吹っ飛んで壁に激突した。

ナラは、ガラスの破片まみれで着地した。

どうやら屋上の通気口付近で聞き耳を立てていたが、雨で足を滑らせて落下したらしい。


「い、痛ったぁ……。あ、やっば。犯人殴っちゃった……」


ナラは、壁にめり込んでいるマダムを見て、慌てて駆け寄ろうとした。


「ご、ごめん! わざとじゃないのよ!ちょっと滑って……謝るから……!」


だが、そのナラの耳に、ゴルドの怒鳴り声が届いた。


「警備員は何をしている!私の崇高な経済計画を邪魔するテロリストはつまみ出せ!まったく、下層民というのは野蛮人ばかりだ!」


一方で、マダムもふらつきながら立ち上がり、血を吐きながら叫んだ。


「黙りなさい!あなたたちに何が分かるの!都会から出張してきた高級店で搾取される田舎の子供たちの痛みが!」


さらにエラーラも、眼鏡を直しながらブツブツと言い出した。


「しかしマダム。君の自爆行動は論理的ではない。地方経済とカフェの出店数の相関関係を分析すれば、君の故郷が受けるダメージは……」


ナラの動きが止まった。

謝罪の言葉が、喉の奥で引っ込んだ。

代わりに、不思議な怒りが湧き上がってきた。


(……こいつら、さっきからいったい、何の話してんの?)


ナラは、マダムを、ゴルドを、そしてエラーラを交互に見た。

どいつもこいつも、顔を真っ赤にして、何か「高尚な理屈」を叫んでいる。


「……ねえ」


ナラは、低く唸った。


「聞いてくれる?」


ナラが咆哮した。

会場の空気がビリビリと震える。


「教育?経済?プライド?……よくわかんないけどね……。アンタたちは、全員間違ってるのよ!」


ナラは、一歩踏み出した。


「地方の人が、高級コーヒーに毎日ありつけないのが可哀想ですって!?舐めてんじゃないわよ!あたしはね、地方にも行ったことあるわよ!あそこの学生たちは、屋台の安い泥水みたいなコーヒー片手に、アンタなんかよりよっぽど真剣に夢を語り合ってたわ!高級店なんかなくたって、あいつらは生きてんのよ!」


そして、ナラは、この議論の根底を覆す、あまりにも単純で致命的な事実を突きつけた。


「だいたいね!さっきから『子供たちがカフェ・ディーヴァで金を巻き上げられる』とか言ってるけど……。高級店『カフェ・ディーヴァ』なんて、地方には一件も出店してないじゃない!」


「……は?」


「……え?」


「……フム?」


ゴルド、マダム、エラーラの三人の動きが、同時に止まった。

ナラは、呆れ果てた顔で続けた。


「アンタたち、本気で言ってたの?あたし、あそこの『限定焼き菓子』が食べたくて調べたことあるから知ってるんだけど。『カフェ・ディーヴァ』ってね……。中央王都の、しかも一等地にしかない『単独店舗』よ?」


沈黙。

雨の音だけが響く。


「チェーン店じゃないの。支店なんて一つもないのよ。地方の子供?乗り合い馬車と飛行船で片道5時間かけて、わざわざ王都までコーヒー一杯飲みに来いって言うわけ?あんたたちはさっきから、一体何を話してるの?」


ナラは、ゴルドの鼻先で指を振った。


「アンタ、自分の愛人の店がどこにあるかも知らなかったの?『完璧なサイクル』?笑わせないでよね。アンタの計画じゃ、地方の子供に給料払っても、その金は地方の屋台か市場に落ちるだけよ。そのコーヒー店には1クレストも入らないわ」


そして、マダムに向き直った。


「で、アンタ。『地方の子供が搾取される』ってキレて殺したみたいだけど。そもそも店がないんだから、搾取なんて不可能なのよ。……アンタ、起きもしない未来を勝手に妄想して、無駄に人殺しになったわけね」


「あ……あぁ……」


マダムの顔から、血の気が引いていく。

正義の殺人?故郷のための決断?

すべては、「金持ちの愛人の店なら、たぶん全国展開しているに違いない」という、思い込みによる勘違いだったのだ。

ナラは、最後にエラーラを見た。


「お母様もよ。『システム的に成立してる』?現場の地図も見ないで、机上の空論で計算してるからこうなるのよ。アンタも、こいつらと同じ『現場を知らないエリート』だったってことよ」


エラーラは膝をついてガックリと項垂れた。殴られたダメージよりも、世間知らずとしての敗北の方が大きかった。

データ不足。初期条件の確認ミス。科学者としてあるまじき失態だ。


「どいつもこいつも……!」


ナラの怒りは収まらない。

むしろ、こんなくだらない勘違いで、人が死に、教育が語られ、命がけの論戦をしていたことへの呆れが、怒りの油となった。


「もういい!理屈も動機もどうでもいい!ごちゃごちゃウルサイ奴らは……全員、黙りなさいッ!」


ナラの拳が唸りを上げた。

それは特定の誰かを狙ったものではない。

この場にいる「頭でっかちで、現場を見ずに世界を語るムカつく奴ら」全員への、無差別制裁攻撃だった。


まずはゴルドの顎が砕けた。

次に、呆然としていたマダムの鳩尾に一撃。

ついでに、自己嫌悪に陥っていたエラーラの顔面にも、流れ弾のフックが炸裂した。


「なぜ私まで!?」


「アンタもよ、お母様!考察する前に現場を見なさいよ!ムカつく!だから殴る!それ以上の理屈なんて必要ないのよッ!」


ナラは止まらない。

止めに入った警備員も、逃げようとした客も全員まとめてタコ殴りにした。


数分後。

空中庭園は、文字通り「更地」のようになっていた。

ガラスは全て割れ、強風が吹き荒れている。

床には、ゴルド、マダム、エラーラ、そして多数の警備員が、仲良く伸びていた。


「……ふぅ。スッキリした」


ナラは、ボロボロになったドレスで仁王立ちし、テーブルに残っていた高級サンドイッチを勝手に食べた。


「……まったく。君という奴は……」


エラーラが、腫れ上がった頬を押さえながら起き上がった。


「私の計算では……この事件の解決法として『全員殴る』という選択肢は存在しなかったのだが……」


「うるさいわね!結果オーライよ」


ナラは、眼下に広がる街の灯りを見下ろした。

そこには、高級店なんて行けなくても、必死に、泥臭く生きている人々の生活がある。

彼らは、ゴルドの施しも、マダムの同情も、エラーラの分析も必要としていない。

ただ、今日を生き、明日を夢見ているだけだ。


「帰るわよ、お母様」


ナラは、出口へと歩き出した。


「あんな気取った店のコーヒーより、お母様がヤツの方が100倍美味しいってことを、あたしの舌で証明しなきゃいけないからね」


「……やれやれ。付き合おう。だが、治療費は君の給料から天引きさせてもらうぞ。あと、次からは店舗情報を事前に共有してくれたまえ」


「はあ?……知らないわよ。自分で調べなさい」


ナラはエラーラを引きずって、破壊された会場を後にした。

錆びたナイフも、黄金の野望も、高尚な教育論も。

すべては「現場を知らない」という致命的な無知の上に築かれた砂上の楼閣だった。

そして、それを粉砕したのは、誰よりも現場主義の、ナラティブ・ヴェリタスという「暴力的な嵐」だった。

夜風の中、二人の影が消えていく。

その手には、帰り道に屋台で買った、安くて温かいコーヒーの瓶が握られているに違いない。

それが、この世界で一番確かな「真実」の味なのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ