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アリシア・ヴェリタス【哲学リョナ小説第3弾】  作者: ギデオン・ヴァンツ@週刊コロッセオ記者
空中庭園殺人事件

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第1話:空中庭園殺人事件(1)

王都上空500メートル。

人工的な香水の香りで満ちた巨大飛行船が、重々しく浮遊していた。

鉱山王ゴルドが所有する「空中庭園」である。


「……空気が綺麗すぎて鼻が曲がりそうね」


豪奢なパーティー会場の片隅。

ナラティブ・ヴェリタスは、漆黒のドレスの裾を揺らしながら、不機嫌そうにカナッペを齧っていた。


「文句を言わないでくれたまえよ、ナラ君。今回の依頼料は破格だ。これで研究所の魔導サーバーを最新型に更新できるんだ」


隣に立つエラーラ・ヴェリタスは、白衣ではなく、珍しくきちんとした礼服を着ている。ただし、その手にはシャンパングラスではなく、空間密度を測定する怪しげなガジェットが握られていたが。


「依頼内容は『歌姫の警護』だっけ?こんな空の上の密室で、いったい誰がどうやって命を狙うって言うのよ」


ナラは視線を会場の中央に向けた。

そこには、さらに一段高く設置された、防弾ガラス張りのドーム型ステージがある。

出入り口は一箇所。そこにはゴルドの私兵と、ナラたちが陣取っている。

完全に隔離された、衆人環視の金魚鉢だ。


「さあ皆の者!静粛に願おう!」


ゴルドの脂ぎった声が響く。


「今宵のメインイベントだ!私が発掘した最高の宝石、歌姫ディーヴァの歌声に酔いしれるがいい!」


スポットライトが、ガラスドームの中を照らし出した。

そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、燃えるような真紅のドレスを纏った絶世の美女、ディーヴァだった。

彼女は美しい。だが、その表情はどこか硝子細工のように冷たく、脆そうに見えた。


「……綺麗だけど、なんだか、生きてる感じがしないわね」


ナラが呟いたその時、ピアノの伴奏が始まった。

ディーヴァが歌い始めた。

その歌声は清らかで、そして哀切を帯びていた。

数百人の招待客が息を呑む。

グラスを合わせる音すら消え、会場は彼女の声だけが支配する空間となった。

曲がクライマックスに差し掛かる。

高音。

ガラスが微かに共鳴するほどの、突き抜けるようなソプラノが響き渡った、その瞬間だった。


「……え?」


誰かの間の抜けた声が漏れた。

ディーヴァの歌声が、唐突に途切れた。

彼女は、驚いたように自分の胸元を見下ろした。

真紅のドレスの胸元から、さらに濃い赤色が滲み出していく。

そして、そこには――。

一本の「錆びたナイフ」が、深々と突き刺さっていた。


「……嘘……」


ディーヴァが膝から崩れ落ちる。

鮮血が、ステージのガラスの床に広がり、その下に見える夜景を赤く染めていく。


「キャアアアアアアアッ!!」


「ディーヴァが!誰か!誰か医者を!」


悲鳴と怒号。

だが、ナラは動かなかった。いや、動けなかった。

彼女の鋭い動体視力をもってしても、「それ」がどこから飛んできたのか、全く見えなかったからだ。

外から投げ込まれたのではない。

床から飛び出したのでもない。

まるで、空気中の分子が突然凝固して凶器になったかのように、ナイフは「唐突にそこに現れた」のだ。


「封鎖!誰もここから出すな!」


ナラの指示で、会場は即座に封鎖された。

エラーラがステージに駆け上がり、検分を始める。


「……即死だ。心臓を一突きにされている」


エラーラは、遺体に触れずにスキャンを行った。


「不可能だよ、これは。……ナラ君。ガラスに破損はない。光学迷彩や魔法の残滓もゼロだ。物理的にも魔術的にも、外部からの干渉は完全に遮断されていた」


エラーラは、ディーヴァの胸に刺さった凶器を指差した。


「それにだ、これを見たまえ」


それは、奇妙な凶器だった。

刃はボロボロに錆びつき、先端が欠けている。肉を切るどころか、紙すら切れそうにない骨董品だ。

そして、その持ち手には、一輪の「深紅の薔薇」が、まるで血管のように絡みつき、咲き誇っていた。


「錆びたナイフに、生きた薔薇……。殺しの道具にしちゃ、なんだか詩的すぎるわね」


ナラは、床の匂いを嗅いだ。

血の匂い。火薬の匂いはない。魔法のオゾン臭もしない。

あるのは、微かな鉄錆の臭いと、濃厚な薔薇の香りだけ。


「犯人はこの会場にいる。あるいは、このナイフを『出現』させる仕掛けを施した奴が」


ナラは立ち上がり、鋭い視線で会場を見渡した。

パニックになる客たち。

その中で、ナラの直感が反応する「濃い情念」を持つ人間が3人いた。


一人目は、依頼人である鉱山王ゴルド。

彼は遺体にすがりつくこともなく、真っ赤になって警備員を怒鳴りつけていた。


「私の警備はどうなってる! 私の宝石に傷がついたぞ!これじゃあ明日の株価が暴落だ!」


二人目は、ゴルドの妻、マダム。

彼女は会場の隅で、扇子で口元を隠し、冷徹な瞳で夫の狼狽を見つめていた。


そして三人目。

会場の給仕係として紛れ込んでいた、痩せこけた青年。

彼は、震える手でトレイを取り落とし、涙を流しながら立ち尽くしていた。


「……あ、ああ……僕の歌だ……」


青年がうわ言のように呟いた言葉を、ナラは聞き逃さなかった。


「確保!」


ナラが指示を飛ばし、青年は拘束された。

彼の名はポエット。貧しい詩人であり、ディーヴァがゴルドに囲われる前の、かつての恋人だった。


「ち、違う!僕は殺していない!ただ、彼女を一目見たかっただけなんだ!」


ポエットは必死に訴えた。

だが、ゴルドが彼を指差して叫んだ。


「そのナイフ!見覚えがあるぞ!貴様、かつてディーヴァに送りつけた詩に書いてあったな!『君への愛は、ナイフのように心をえぐる』とか何とか!その薔薇も、貴様がいつも彼女に贈っていた品種だ!つまり!貴様が殺したんだな!?」


状況証拠は揃いすぎていた。

密室。詩的な凶器。未練がましい元恋人。

警察ならば、これで「痴情のもつれによる犯行」として即決するだろう。

だが、ナラは違和感を拭えずにいた。


「……出来すぎよ」


ナラは、ポエットのポケットを探った。

出てきたのは、くしゃくしゃになった紙切れと、ペンだけ。

凶器を隠し持っていた形跡はない。

それに、あの距離から、ガラス越しに、どうやってナイフを突き立てる?


「……お母様。あのナイフの素材、分析できた?」


エラーラが首を振る。


「材質はただの鉄だ。……だが、おかしい。腐食が進みすぎていて、強度が低すぎる。こんなボロボロの刃で、肋骨を砕いて心臓に達するなどあり得ない。刺さる前に、刃の方が折れるはずだ」


「刺さる前に……」


「……」


ナラは、ディーヴァの遺体をもう一度じっくりと観察した。

傷口。

血の広がり方。

そして、彼女が着ている真紅のドレス。

胸元が大きく開いたデザインだが、心臓の部分はコルセットで締め付けられている。


(……待って)


ナラの脳裏に、犯行の瞬間の映像が再生される。

歌が最高潮に達した。

彼女が胸を張り、息を吸い込んだ。

そして、ナイフが「現れた」。

「現れた」……?

あたしたちは「現れた」と思ったけれど、もしそれが錯覚だとしたら?


「……ねえ、お母様。『音』って、物を壊せるわよね?」


「当然だ。共振現象。ガラスも橋も、破壊できる」


「じゃあ……『音』で、物を『変形』させることは?」


エラーラが眼鏡を光らせた。


「……形状記憶魔導合金か。特定の周波数に反応して、あらかじめ記憶させた形状に戻る金属。もし、あのナイフが最初から『ナイフ』じゃなかったとしたら……?」


ナラの中で、点と点が線になった。

密室の謎。

錆びたナイフの正体。

そして、それを実行できる「動機」と「資金力」を持つ人物。


「……警備兵。その詩人を放しなさい!」


ナラの声が、会場に響いた。

ゴルドが振り返る。


「なんだと?証拠は揃っているんだぞ!」


「証拠なら、あるわ」


ナラは、ステージに上がり、ディーヴァの遺体のそばに立った。

そして、血に濡れたナイフを引き抜くのではなく、その根元にあるドレスの生地を指差した。


「みんな、騙されてるのよ。ナイフは『飛んできた』んじゃない。最初から、ここにあったのよ。このナイフは、形状記憶魔導合金。……ディーヴァ自身の歌声――クライマックスの高周波に共鳴して、コルセットの中から彼女を刺したのよ。そして、これを仕込めたのは……衣装係を買収し、ドレスを贈った人物……」


ナラは、会場の隅で静かに佇む、一人の女性を見据えた。


「犯人は、この中にいる。錆びたナイフと薔薇なんていう、なんともロマンチックな演出で捜査を撹乱しようとした……。最高に理知的で、冷酷な演出家がね」


ナラは鉄扇を開き、ビシッとその人物を指名した。


「マダム・ゴルド。……アンタね、この『錆びたナイフ』を彼女の胸に仕込んだのは!」

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