第2話:最強無敵改造車(2)
だが。
この「芸術」を許さない者たちがいた。
王都のメンツを潰された、王都軍である。
「ふざけるな! 国家への反逆だ!」
上空に展開した巨大飛行要塞から、王都軍総司令官が叫んだ。
彼は、プライドの塊のような男だった。
たかが一市民の、たかが改造車に、軍の威信が傷つけられるなどあってはならない。
「通常兵器が効かんのなら、機密兵器をすべて投入せよ!この南地区ごと消滅させても構わん!」
司令官は、狂気の命令を下した。
王都が地下深くに隠し持っていた、5つの「対魔王級・戦略究極兵器」の使用許可を出したのだ。
最初に放たれたのは、王立重力制御研究所が開発した『超重力発生弾』だった。
着弾地点の重力を局所的に1000倍にし、あらゆる物質を原子レベルで圧縮する、漆黒の球体が投下された。
郵便局の跡地、すなわち『有給休暇』号の真上に、黒いドームが展開された。
地面が陥没し、周囲の瓦礫が粉々になる。
戦車ですら空き缶のように潰れる圧力だ。空間そのものが歪み、光すらねじ曲がる。
司令官が笑う。
だが、黒い重力の霧の中から、ミラの困ったような声が聞こえた。
『……あれ?なんだか急にハンドルが重く……。あ、もしかしてパンクでしょうか?申し訳ありません、整備不良でご迷惑をおかけして……』
霧が晴れると、『有給休暇』号は平然とそこにいた。
キャタピラのサスペンションが少し沈んでいる程度だ。
ミラの作り上げた「ヒヒイロカネ・アダマンタイト複合装甲」の分子結合密度は、1000倍の重力如きでは揺らぎもしなかったのだ。
『よいしょ。少しアクセルを強めに踏ませていただきますね』
エンジンが唸りを上げた。
ドラゴンの心臓が鼓動し、1000倍の重力を振り切って、ズリズリと前進を再開した。
ミラは、重力弾を「ちょっとした悪路」程度にしか認識していなかった。
次に撃ち込まれたのは、『氷河期招来弾』。
着弾と同時に、周囲一帯のエントロピーを奪い去り、絶対零度まで冷却し、原子の運動を停止させる。
南地区が一瞬で氷の世界になった。
空気中の水分が凍りつき、ダイヤモンドダストが舞う。
燃え上がっていた瓦礫の炎も凍りつき、『有給休暇』号も、分厚い氷の棺に閉じ込められた。
しかし、氷の中から、呑気な声が聞こえてきた。
『あら、急に冷え込みましたね。王都の天気は変わりやすくて困ります。近隣の皆様、急激な温度変化で風邪を引かないように気をつけてくださいね』
要塞の表面が赤熱した。
ミラが、暖房のスイッチを入れたのだ。
だが、そのヒーターは、ドラゴンの火炎袋を直結し、排熱を循環させた「超・魔導暖房」だった。
絶対零度の氷が、一瞬で蒸発し、大量の湯気となって消えた。
『ふぅ、暖かくなりました。最近の車はシートヒーターがついてて便利ですね。……あ、今の冷気で避難中の局長さんが凍えてませんか?使い捨てカイロ、投げておきますね』
要塞のアームから、局長に向けて「業務用特大カイロ」が優しく投げられた。
局長はガタガタ震えながら、それを拾った。
第三の兵器は、『神経崩壊ガス』。
吸い込んだ者に「自分が一番恐れているものの幻覚」を見せ、精神を崩壊させる紫色の毒ガスが散布された。
条約違反スレスレの非人道兵器だ。
紫色の霧が要塞を包む。
『……ん?何か変な匂いがしますね』
ミラの声が変わらない。発狂するはずの彼女は、いつも通りの丁寧語だ。
そもそも、彼女にとって「一番恐れているもの」は、今まさに物理的に排除中であり、恐怖など存在しなかった。
『あ、これ、カビの匂いですか?軍の皆様、装備のお手入れ、大変ですもんね……。湿気てますから。』
要塞に搭載された、空気清浄機が起動した。
毒ガスは一瞬で吸引され、内部の浄化フィルターを通し、なんと「森林の香り」になって排気された。
『はい、綺麗になりました。リラックスしてくださいね』
第四の兵器は、『時間遡行ミサイル』。
対象の時間を巻き戻し、存在そのものを「生まれる前」に戻すという、因果律兵器だ。
これを喰らえば、要塞は「鉄鉱石」に、ミラは「受精卵」に戻るはずだ。
時計の針が逆回転するような不快な音と共に、ミサイルが直撃した。
『有給休暇』号の姿がブレる。
鉄の塊が、原材料に戻り、消滅する――はずだった。
だが、ブレたのは一瞬。
要塞は、また元の姿でそこにいた。
『あら? 今、一瞬だけ昔の自分が見えました。入社したての頃の、希望に燃えていた私……。……懐かしいなぁ。でも、申し訳ありません。今の私には「20年の勤続疲労」と「溜め込んだ有給」という強固な歴史がありますから!簡単には若返りませんよ!』
ミラの「20年耐え抜いた我慢と怨念」という名の歴史的質量が、時間干渉を弾き返したのだ。
彼女の積み重ねた「申し訳ありません」の重みは、因果律操作ごときで無かったことには出来なかった。
司令官は、震える手で最後のボタンを押した。
雲が割れた。
空から、直径50メートルの極太レーザーが降り注ぐ。
それは山をも蒸発させる、正真正銘の「天罰」だ。
回避不可能。防御不可能。全てを焼き尽くす光の柱。
光が南地区を飲み込んだ。
ナラもエラーラも、目を覆った。
「さすがにこれは……蒸発したか!」
光が収まる。
地面はガラス状に溶け、巨大なクレーターができている。
しかし。
その中心に、『有給休暇』号は、ピカピカに輝いて鎮座していた。
いや、さっきよりも元気になっていた。
ヘッドライトが眩しいほど輝いている。
『ありがとうございます!ちょうど魔導端末の充電が切れかかっていたんです!』
要塞の上面には、ミラが休日にコツコツ作った超高性能な「魔導ソーラーパネル」が展開されていた。
レーザーのエネルギーをすべて吸収し、バッテリーを満タンにチャージしてしまったのだ。
『軍の皆様の親切な急速充電のおかげで、あと1000キロは走れます!電気代、高かったでしょうに……。本当に、お気遣いありがとうございます!』
彼女は20年間、悪意を善意で解釈しなければ心が壊れてしまう環境にいたため、「ポジティブ変換スキル」がカンストしていたのだ。
「おのれ……おのれぇぇぇッ!」
司令官は、理性を失った。
彼は、禁断の魔導書を開いた。
「もう兵器はいらん!異界の神を呼ぶ! この世界が終わってもいい!あのふざけた事務員を殺せればそれでいい!」
「司令官!それは!」
部下たちが止めるが遅かった。
空が裂けた。
次元の裂け目から、這い出てきたのは、全長100メートルを超える『古の破壊神』。
神話の時代に世界を滅ぼしかけた、本物の「神」だ。
その姿を見るだけで、人は狂い、大地は腐る。
「我を呼ぶのは誰だ……。贄をよこせ……全てを破壊し尽くしてやる……」
神の咆哮だけで、周囲のビルがヒビ割れる。
軍も警察も、野次馬も、絶望に膝をついた。
もう終わりだ。ただの交通事故の揉め事が、世界の終焉を招いてしまった。
だが。
『有給休暇』号のスピーカーから、今日一番の「心配そうな声」が響いた。
『あ、あの……すみません、お仕事中のところ、ちょっとよろしいでしょうか』
破壊神が、足元の小さな鉄の塊を見た。
「……ン? なんだ貴様」
『南郵便局のミラと申します。あの、足元……。
さっき私が解体したビルの瓦礫が散らばっていて、ガラス片とか釘とか危ないんです。裸足ですよね?怪我をされると、労災が下りない案件ですので……』
「……?」
『それと、その大きさですと、航空法と高層建築物規制法、あと入国管理法に抵触する恐れがあります。役所に「巨大生物出現届」と「一時滞在許可証」の申請は出されていますか?あと、固定資産税の申告も……。無許可ですと、あとで追徴課税が大変なことになりますよ?私、税金の計算も得意なので、心配で……』
ミラは、本気で心配していた。
神様の足の裏と、神様のコンプライアンス遵守状況を。
破壊神は、数万年の時を生きてきたが、開口一番に「釘踏むよ」と聞かれたのは初めてだった。
「キ、キサマ……恐れぬのか……?」
『恐ろしいです!あなたが社会的なルール違反でペナルティを受けるのが恐ろしいです……!私、自分が細かい性格なもので、つい気になっちゃって……。本当に、出しゃばって申し訳ありません!』
ミラは、要塞のアームで、神様の足元のガラス片を掃き清め始めた。
『ほら、ここ、危ないですから。あと、そこの電線、引っかかると感電しますよ?頭下げてくださいね』
破壊神デストルドーは、毒気を抜かれた。
というか、調子が狂った。
目の前のちっぽけな存在は、自分を「敵」として見ていない。
「保護すべき、世間知らずの大きな裸足の人」……として扱っている。
しかも、その要塞からは、自分の攻撃すら吸収しそうな「無限の許容力」と「ブラック企業で培った鋼のメンタル」を感じる。
「……帰る」
破壊神は、裂け目に戻っていった。
神すら帰宅させたミラは、ついに目的を完遂した。
悪の温床は消え、更地だけが残った。
『有給休暇』号のエンジンが停止する。
キャノピーが開き、ミラが出てきた。
彼女は、煤だらけの顔で、周囲を取り囲む軍や警察、そして腰を抜かした局長とゴウダに向かって、深々と頭を下げた。
「……この度は、私の私有車によるドライブで、大変お騒がせいたしました。軍の皆様にも、無駄な弾薬を使わせてしまい、また神様まで呼んでいただいて……。なんとお詫びしてよいやら」
「お、お詫びで済むかぁぁぁ!」
警視総監が震えながら手錠を持って近づく。
「現行犯逮捕だ!器物損壊!公務執行妨害!テロ!無期懲役……いや、極刑!」
ミラは、オドオドしながら、懐から分厚い本を取り出した。
『王都基本法全書』だ。
「いえ、あの……。今回の件ですが、法的には全て『不可抗力の交通事故』として処理可能です」
ミラは、眼鏡を光らせて説明を始めた。
「まず、私が直進したのは公道および私の所有地です。軍の攻撃は、私有地への不法侵入および危険行為にあたります。しかし、私は防衛措置しかしていません。私からの攻撃回数はゼロですよ」
「……っ!」
「破壊した建物については、老朽化に伴う解体届が出ています。そして、ミサイルやレーザーについては、公道上での落下物として処理しました。
神様については……まあ、自然災害ということで」
ミラは、ニッコリと、しかし目は笑わずに言った。
「怪我人はゼロです。物損については、保険ですべて直します。王都の復興予算も、私の個人資産から寄付させていただきます。……ですので、これは単なる、『ちょっと派手な自損事故』です。誰も不幸になっていませんよね?」
警察署長が、法律辞典を確認する。
震える手でページをめくる。
……ミラの言う通りだ。
彼女は、法の抜け穴と、拡大解釈と、圧倒的な準備によって、この戦争を「事故」の枠内に押し込んでいた。
「そ、そんな馬鹿な理屈が通るかぁぁぁッ!」
「通ります」
ミラは言った。
「だって、あなたたちが20年間、私に教えてくれたじゃありませんか。『法律は、強い者の味方だ』って。……今の私は、この戦車のおかげで、あなたたちよりちょっとだけ『強い』んです」
誰も反論できなかった。
物理的にも、法的にも、彼女は最強だった。
事件は、「前代未聞の交通事故」として処理された。
王都南地区は、更地になった場所に公園が作られ、風通しが良くなった。
・・・・・・・・・・
数日後。
その公園のベンチに、ミラは座っていた。
鳩に豆をやっている。
遠巻きに、アナキストたちが「国家を粉砕した女神」として拝み、極右勢力は「圧倒的武力の象徴」として敬礼し、市民たちは「街の掃除屋さん」として感謝の眼差しを送っていた。
そこに、ナラがやってきた。
彼女は、この街の探偵だ。今日は、噂の「破壊神」を一目見ようとやってきたのだ。
「……アンタ、多分だけど、もしかして……」
ナラは、呆れたように声をかけた。
目の前にいるのは、鳩に餌をやりながら穏やかに微笑む、小柄で地味な女性だ。
とてもじゃないが、神をお手玉にした怪物には見えない。
「あ、はい……!あの、鳩が邪魔でしたか? すみません、すぐに退かしますので……!本当に申し訳ありません……!」
ミラは、反射的に立ち上がり、ペコペコと頭を下げた。
その姿は、あまりにも弱々しく、善良な小市民そのものだった。
ナラは、口をあんぐりと開けた。
「……まあいいわ。ねえ、お姉さん。この辺で、『破壊神』みたいな人、見なかった?」
ミラは、キョトンとして、それから恥ずかしそうに頬を掻いた。
「破壊神……ですか?いえ、そんな怖い方は見ていませんね。私はただ、交通事故を起こしてしまっただけの、不器用な事務員ですので」
ナラは、ミラの手元を見た。
屋台で買ったと思われる、安っぽいコーヒーの瓶を握りしめている。
その指先には、微かに機械油と、鉄錆の跡が残っていた。
目の前の女性が何者なのか、本当のところはどうなのか。
そんなことはどうでもよかった。
ただ、この公園の空気が、以前よりもずっと澄んでいて、コーヒーが美味しいことだけが真実だった。
「そ。じゃあ、あたしもここで休憩させてもらうわ。……そのコーヒー、美味そうね」
「あ、はい!屋台のおじさんが、おまけしてくれたんです。よろしければ、一本いかがですか?」
ミラは、自分のバッグから、もう一本の瓶を取り出して差し出した。
それは、20年ぶりに手に入れた、誰にも邪魔されない「自由」の味だった。
「ありがと。……アンタ、いい顔してるわね」
「え? そうですか?」
「ええ。憑き物が落ちたっていうか……。『休暇』を満喫してるって顔よ」
ミラは、鳩を見上げて、深く息を吸い込んだ。
「はい。……最高の休暇です」
ナラは、瓶の蓋を開けた。
隣に座るこの「申し訳なさそうな女性」が、もし本当に破壊神だったとしても。
ナラは、彼女のコーヒーを飲むだろう。
二人は並んで座り、平和な午後の光を浴びた。
バトルドーザーは、今もどこかのガレージで、次の「出勤」を静かに待っているのかもしれない。
だが、今のところ、ミラに必要なのは戦車ではなく、この温かいコーヒーと、鳩と戯れる時間だけのようだった。
理不尽な悪には「暴力」を。
逃げ得を許さぬ「法解釈」を。
二人の「直進」が、いつか交わる日が来るかもしれないが、それはまた別の物語である。




