第1話:主婦たちの戦い(1)
王都タワーマンション『プラウドヒルズ・賀宴』。
その25階にあるラウンジは、今……『圧倒的』な『重圧』に支配されていた。
円卓を囲むのは25名の女たち。
彼女たちは皆……一見すれば善良な市民であり、家庭を守る貞淑な妻だ。
だが、その皮を一重剥げば、そこには飢えた狼が潜んでいる。
本日行われる儀式の名は――『次期役員選出会議』。
それは、無報酬にして無限の責任を負わされる強制労働への生贄を、2名選出するという名のデス・ゲーム。
拒否権はない。
逃走は許されない。
ここで敗北すれば、向こう一年間、ゴミ出しの分別チェックと騒音クレーム処理という、『地獄の拷問』が待っている。
「……くっ、くく……! 吐きそうだわ……!」
円卓の一角、エリザは膝の上で固く拳を握りしめていた。
彼女の心拍数は既に危険域に達している。
全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、高級ファンデーションを泥のように溶かしていく。
彼女の背後に控えるのは、漆黒のドレススーツを纏った女探偵、ナラティブ・ヴェリタス。
彼女はこの地獄の「セコンド」として雇われた。
「落ち着きなさい、エリザ!……脈が乱れているわよ。相手に『弱み』という名のカードを見せるつもり?」
「だ……だって……!見てよあの空気! 全員が全員を……殺そうとしているッ!」
ナラは冷徹な瞳で円卓を見渡した。
女たちの視線が交錯している。
このゲームの勝利条件は残酷かつシンプルだ。
【妬み】
高すぎる装備品を見せつければ、「余裕があるなら貴方が役員をやりなさい」という嫉妬票で刺殺される。
……しかし!
【蔑み】
安すぎる装備品を見せれば、「この場にふさわしくない」という軽蔑票で凍結され、コミュニティからの追放死を迎える。
高すぎてはならず、安すぎてもならない。
針の穴を通すような「普通」こそが、唯一の生存ルート。
だが、その「普通」の基準値は、参加者の装備総額によってリアルタイムに変動する。
まさに、生きるか死ぬかのチキン・レース。
「さあ、ショータイムよ……!エリザ!第一手……『セット』しなさいッ!」
ナラの合図と共に、運命のゴングが鳴った。
エリザは震える手で、自身の「武器」を円卓の上に置いた。
鈍い音が響く。
それは……黒い革のハンドバッグ。
中堅ブランド『ガルガンチュア』の新作だ。
周囲の女たちの眼球が、一斉にエリザのバッグにロックオンする。
彼女たちは瞬時に、革の質感、縫製、金具の材質、そしてブランドロゴの有無を確認し、市場価格を算出する。
(……ッ!? あれは……?)
(ガルガンチュア!?……庶民派ブランドね。でも、あの革の光沢……)
(安物?いいえ、違うわ。あれは量産型の牛革じゃない)
(ワイバーン……それも、幼体の腹革!?)
女たちの脳内計算機が高速回転し、そしてエラーを吐く。
ロゴは小さく、主張は控えめ。一見すれば5万クレスト程度の実用品。
だが、素材を見る目がある者がみれば、20万クレストは下らない特注品。
「ど、どういうこと……?」
「攻めているの?いや……守っているの?」
攻撃しようにも、「金持ち」と断定して嫉妬票を投げるには、ロゴの主張が弱すぎる。
もし攻撃を仕掛けて、「いえ、これは型落ちのセール品ですのよ」などと切り返されれば、攻撃した側が「目の肥えていない田舎者」という烙印を押され、自爆することになる。
かといって、「貧乏人」として無視するには、その革の質感があまりにも品格を放っている。
沈黙。
誰もエリザに触れられない。
エリザの周囲に、透明な防壁が出現した。
「……ふっ。成功ね」
ナラが口の端を吊り上げる。
「完璧な迷彩。高すぎず、安すぎず。攻撃するメリットがなく、だからといって無視するリスクもある絶妙なライン。これでアンタは『不可侵領域』に入った。このまま空気になっていれば、他の奴らが勝手に喰らい合い、自滅していくわ」
エリザの顔に、生気が戻る。
(いける……! 私、勝てるッ!)
勝った。
誰もがそう思った。
だが、その静寂を切り裂くように、重厚な扉が開かれた。
「おーっほっほっほっほ!!」
高笑いと共に現れたのは、このマンションの『女帝』。
ボブ夫人。
全身を黄金色の装飾と、誰が見てもそれと分かる有名ブランド『ゴールデン・ドレイク』のロゴで固めた、歩く要塞である。
彼女は一瞥しただけで、戦況を理解した。
そして、エリザが築き上げた「不可侵領域」が、自身にとって最大の障害であることを見抜いた。
自分が生き残るためには、誰かを目立たせ、生贄の祭壇に引きずり上げねばならないのだから。
ボブ夫人の瞳が、ギラリと怪しく光った。
(見つけたわよ……『生贄』!)
ボブ夫人は、すかさずエリザのテーブルに歩み寄った。
そして、全員に聞こえるような大声で叫んだのだ。
「まぁぁぁぁっン!素晴らしいっン!」
衝撃が、走る。
「エリザさん!その鞄、ガルガンチュアの『マスター・ピース・モデル』じゃありませんこと!?」
「えっ……あ、いや、その……」
エリザが狼狽える。
ボブ夫人の攻撃(舌戦)は止まらない。
「隠さなくてもよろしくてよ!私!知っておりますの!その革、100頭のワイバーンから1頭しか取れない『幻の腹革』ですわよね!?しかも、その金具……ドワーフの匠による手彫り細工!お値段にして、ざっと50万クレスト!!」
(ざわ……ざわ……!)
50万クレスト。
その数字が、女たちの脳内に刻み込まれる。
「いやー!『さすが』エリザさん!『たかが』普段使いの鞄に50万クレストもかけるなんて、余裕がおありですわねーッ!!」
称賛。
それは、この場において最も凶悪な呪詛であった。
ボブ夫人の言葉により、エリザの鞄の価値は強制的に「中堅」から「超高級」へと書き換えられたのだ
エリザの「不可侵領域」が、音を立てて崩壊する。
周囲の女たちの目が、一斉に敵意の色に染まる。
(50万クレスト……!)
(そんな高級品を普段使い?)
(私たちはスーパーのチラシを見て10クレスト単位で節約しているのに!)
(余裕があるのね。お金も、時間も)
(ムカつくわ。苦労知らずの奥様ね)
(……決まりね。彼女に役員を押し付けましょう)
殺意が、エリザに集中する。
彼女は今や、全弾命中の標的となってしまった。
「ひっ、ひぃぃぃッ! 違うの! 違うのよぉ!」
エリザが泣きそうな顔でナラティブを見る。
「ど、どうしようナラティブさん! このままじゃ私、役員確定よ!1年間、ゴミ捨て場で『拷問』を受けることになっちゃう!」
ナラは、冷静にボブ夫人を睨みつけた。
(……やるじゃない、あの成金ババア。『褒め殺し』で防壁をぶち壊し、本来自分に向けられるはずの嫉妬票をエリザに誘導したわね。……でも、それは想定内よッ!)
ナラは扇子でエリザの肩を叩く。
「まだ手はある。エリザ、プランBへ移行するわ。『右腕』を使いなさい。今こそ、『トラップ・カード』を切るのよ」
エリザが頷く。
その目には、決死の覚悟が宿っていた。
エリザは、深呼吸をした。
そして、悲劇のヒロインのように項垂れ、震える手で袖をまくり上げた。
そこには、巨大な紫色の宝石がついたブレスレットがあった。
一見すれば、派手な装飾品。
だが、エリザは震える声で言った。
「……ボブ夫人。お目が高いですわね。
でも……これは『余裕』なんてものじゃありませんの」
エリザはブレスレットを、まるで忌まわしい手錠であるかのように見つめた。
「これ……『北方の呪術石』なんです」
「はあ……?じゅじゅちゅ?」
ボブ夫人の動きが止まる。
周囲の女たちも耳をそばだてる。
エリザは、事前にナラと練習した通りの
「設定」を語り始めた。
「実は……夫の事業が失敗しまして……。さらに、原因不明の『魔力欠乏症』で寝込んでしまって……。この鞄も、実は、『質に入れる直前の品』で……。私は……藁にも、すがる思いで、残った、全財産をはたいて、この、強力な厄除けの石を……買ったん、です。し、借金取りに、追われる恐怖……あなた方に、分かりますか……ッ!?あなた方にも、『スピリチュアル』しますよ?良いん、ですか?…………うっ、うぅっ……!」
エリザの目から、大粒の涙がこぼれる。
その瞬間。
戦場の空気が、劇的に反転した。
(えっ……?)
(借金まみれってこと?)
(しかも呪いの石?気持ち悪い……)
嫉妬の炎が鎮火し、代わりに湧き上がったのは、冷ややかな「憐憫」と「忌避」だった。
役員という仕事は、現金を扱うこともある。
貧乏人に、管理組合の通帳を渡せるか?
答えはNOだ。
得体の知れぬ「スピリチュアル」グッズを持つような不吉な女と、定例会議で顔を合わせたいか?
答えはNOだ。
(あんな不幸そうな女に、役員を任せるわけにはいかないわ)
(運気が下がりそう)
(関わりたくないわね……)
票が、サーッと離れていく。
エリザに向けられていた殺意の矛先は、行き場を失い、宙を彷徨う。
そして、その矛先が向かう場所は一つしかない。
唯一残った「明確な富裕層」――先ほどエリザを攻撃した、ボブ夫人だ。
「さあ、皆さん」
ナラが心の中で囁く。
「標的は、可哀想なエリザではなく、あそこにいる『意地悪で金持ちな夫人』ですわ!」
女たちの視線が、ボブ夫人に突き刺さる。
形勢逆転。
エリザは袖で顔を隠しながら、心の中でガッツポーズをした。
(勝った!ザマァ見ろ!私の演技力と、ナラティブさんの脚本の勝利よ!)
ボブ夫人の顔が引きつる。
彼女は、自分が掘った穴に突き落とされようとしていた。
「くっ……! 小賢しいマネを……!」
だが。
その時だった。
ボブ夫人の口元が、三日月形に裂けた。
それは、窮地に追い込まれた者の顔ではなかった。
罠にかかった獲物を嘲笑う、悪魔の笑みだった。
「クックックッ……!」
不気味な笑い声が漏れる。
ナラの背筋に、悪寒が走る。
(な……何がおかしい?一体何を隠している?)
ボブ夫人は、懐から一冊の雑誌を取り出した。
それをテーブルに叩きつける。
「さあ皆さん!ご覧になって!!」
それは、王都の最新ゴシップ雑誌『月刊貴族』だった。
ボブ夫人が開いたページには、エリザが腕につけているブレスレットと同じものが、カラー写真でデカデカと掲載されていた。
見出しには、こうある。
『今、王都の貴婦人の間で大流行!』
『入手困難!賢者の石を使用した、究極の誘惑アイテム!』
『これを持てば、貴方もセレブの仲間入り!予約3年待ちの超レア・ジュエリー!』
落雷のような衝撃が、ラウンジを揺らす。
エリザの顔から、血の気が引いていく。
呼吸が止まる。
ボブ夫人が、勝利の咆哮を上げる。
「呪術石?厄除け?事業の失敗?おーっほっほっほ!傑作ですわッ!笑わせてくださいますわね!これ、今もっともトレンディで、もっとも『流行り』のアイテムじゃありませんこと!?」
ボブ夫人が追撃する。
その言葉は、マシンガンのようにエリザを撃ち抜く。
「皆さん、騙されてはいけませんわ!
この女、不幸なフリをして、実は最新のレアアイテムを自慢していたのです!
しかも、『不幸設定』で私たちの同情を買おうだなんて……!
なんて性根の腐った女!!
なんて卑しい! なんて狡猾!」
事実が露呈する。
エリザは、「不幸」なのではない。
コネクションを使ってレアアイテムを手に入れ、それをあえて「隠す」ことでマウントを取り、さらに嘘をついて逃げようとした、とてつもなくあざとい「食わせ物」だったのだ。
憐憫は、激怒へと変わった。
(私たちを騙したのね!)
(不幸なふりをして、心の中では舌を出していたのね!)
(借金なんて嘘じゃない!)
(最新のジュエリーを隠し持って、私たちを見下していたのね!)
それはもはや、嫉妬などという生易しいものではなかった。
「裏切り者」の粛清。
コミュニティの掟を破り、策を弄して他者を出し抜こうとした罪人への、正義の鉄槌。
全会一致の殺意。
「あ、あわわ……ち、違うの!これは……!」
エリザがナラを見る。
「ナ、ナラティブさん!助けて!何か言って!」
しかし、ナラもまた、脂汗を流していた。
扇子を持つ手が震えている。
「やられたわね。……あのババア、最初からアンタのブレスレットの正体を知っていたのよ。アンタが『不幸アピール』に走るまでを先読みして、泳がせていた。情報を握っていたのは、あっちだった。完全に……敵の手のひらの上だったってわけ」
「そ、そんなぁぁぁぁッ!!」
エリザは絶叫した。
逃げ場はない。
彼女は、役員という名の地獄行きバスの、最前列シートに括り付けられた。
ボブ夫人が勝ち誇った顔で見下ろしている。
その背後には、怒りに燃える女たちが、投票用紙に『エリザ』の名前を書き込む準備をしていた。
「さあ!終わりですわ、エリザさん。観念して『役員立候補』の署名を……。貴女には、一番面倒な『クレーム処理係』がお似合いですわよッ?」
絶望!
圧倒的敗北!
エリザの視界が……暗転する。
彼女のマンション生活は、ここで終わるのか!?




