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呪われた王子様、私のお菓子で餌付け完了です。  作者: 月雅


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第9話 呪いの崩壊と、ざまぁの結末

離宮の中心は、氷の棺の中にいるような寒さだった。


視界を遮るほどの黒い霧。

それは生き物のようにうねり、私の肌を刺そうと襲いかかってくる。

けれど、そのたびに私が抱えているケーキの箱から黄金の光が溢れ、霧を焼き払った。


「ルーカス様……!」


霧の深淵、その中心に彼がいた。


床に片膝をつき、自身の胸を鷲掴みにしている。

かつて見たこともないほど大量の黒い泥のようなものが、彼の体から溢れ出し、彼自身を飲み込もうとしていた。

美しい漆黒の髪は白く凍りつき、紫水晶の瞳からは光が失われている。


『……くる、な……』


掠れた声が聞こえた。


『アメリ……逃げろ……私が、私でなくなる前に……』


彼は最後の理性を振り絞り、私を拒絶しようとしていた。

自分の命が尽きかけているというのに、まだ私を守ろうとしているのだ。

その優しさが、痛いほど胸に突き刺さる。


「逃げません!」


私は叫んだ。

恐怖で足が震えている。

でも、それ以上に「彼を助けたい」という想いが勝っていた。


私は箱を床に置き、震える手で蓋を開けた。


パカッ。


暗闇の中に、七色のオーロラが広がった。

箱の中に鎮座するのは、漆黒と黄金の層を持つ至高のケーキ『オペラ』。

湯気と共に立ち上る『月下美人のコーヒー』の香りと、『アビス・カカオ』の濃厚な甘い香りが、淀んだ空気を切り裂いていく。


「な、なんだ……その香りは……」


ルーカス様の虚ろな瞳が、わずかに反応した。


私はケーキを一切れ、銀の皿に取り分けた。

フォークはない。

どうする?

迷っている時間はない。

私は手で直接、その一切れを掴んだ。

指先についたガナッシュが体温で溶け出し、官能的な香りを放つ。


「ルーカス様、口を開けてください」


私は彼の目の前に跪き、ケーキを差し出した。


「これは貴方のために焼いた、最高の『オペラ』です。苦味も、痛みも、全てを甘い幸せに変える魔法のケーキです。……食べて!」


ルーカス様は、焦点の合わない目でケーキを見つめた。

そして、抗えない本能に突き動かされるように、ゆっくりと口を開いた。


私の指ごと、彼はケーキを口に含んだ。


その瞬間だった。


カッッッッ!!!!


離宮の中心で、爆発的な光が弾けた。


「――んっ!」


ルーカス様の喉が鳴る。


幾層にも重ねられた『オペラ』のシンフォニーが、彼の口内で炸裂したのだ。


コーヒーシロップをたっぷりと吸い込んだスポンジが、ジュワリとほろ苦いエキスを溢れ出させる。

それが呪いの毒素を洗い流す清流となる。

続いて、濃厚なバタークリームのコクと、アビス・カカオの深淵なる甘みが、傷ついた魂を優しく包み込んでいく。


苦味と甘味。

絶望と希望。

それらが複雑に絡み合い、一つの完璧な味となって脳髄を揺さぶる。


「……美味い」


ルーカス様の瞳に、急激に光が戻った。

凍りついていた頬に赤みが差し、体中を蝕んでいた黒い泥が、光に焼かれて蒸発していく。


「ああっ……力が、溢れてくる……!」


彼の体から、まばゆい黄金の魔力が奔流となって噴き出した。

それは天井を突き破り、天高く昇っていく。


   ◇


ドオオォォォォン!


離宮を覆っていた黒いドームが、ガラス細工のように砕け散った。


外で待機していた騎士たちや、駆けつけた国王陛下、そして野次馬たちは、信じられない光景を目撃した。


砕け散った闇の中から現れたのは、黄金の光を纏った一人の青年と、彼に寄り添う少女。


「ル、ルーカス……なのか?」


国王陛下が震える声で呟く。


そこに立っていたのは、かつての「呪われた王子」ではなかった。

病的な白さは消え、肌は真珠のように艶やかに輝いている。

背筋は伸び、その全身からは、見る者をひれ伏させるような圧倒的な王者の風格が漂っていた。

右頬にあった黒い痣さえも綺麗に消え去り、その美貌は神々しいほどだ。


「……父上。ご心配をおかけしました」


ルーカス様は静かに一礼した。

その声は朗々としていて、よく通る。


「呪いは、消えました。完全に」


「おお……おおおっ!」


国王陛下が涙を流し、騎士たちが歓声を上げる。

奇跡だ。

数百年に一度の奇跡が起きたのだ。


その歓喜の輪の中で、しかし空気を読まない金切り声が響いた。


「嘘よ! 騙されないで!」


人垣をかき分けて飛び出してきたのは、見覚えのある派手なドレス。

妹のリリーだった。

その後ろには、青ざめた顔のレイモンド様の姿もある。


彼らは騒ぎを聞きつけ、「アメリが失敗して処刑されるところ」を見に来たに違いない。

だが、予想外の展開に錯乱しているようだ。


「陛下! 騙されてはいけません! その女は魔女です!」


リリーが私を指差して叫ぶ。


「ただのお菓子で呪いが解けるわけがないわ! きっと何か、禁忌の薬を使ったに決まっています! 殿下を操っているんです!」


「そ、そうです!」


レイモンド様も震えながら加勢する。


「あのアメリは、魔力などほとんどない『無能』な女です! こんな奇跡を起こせるはずがない! これはきっと、国を乗っ取るための陰謀ですぞ!」


二人は必死だった。

アメリが手柄を立ててしまえば、自分たちの立場がなくなる。

ならば、今のうちにアメリを罪人に仕立て上げようという魂胆が見え見えだ。


国王陛下が眉をひそめる。

騎士たちがざわつく。


私は……言い返す気力もなかった。

全身全霊でお菓子を作った反動と、恐怖からの解放で、立っているのがやっとだったのだ。


ふらり、と体が傾く。


「っと」


私を支えたのは、たくましい腕だった。

ルーカス様が私を抱き寄せ、そのまま軽々と「お姫様抱っこ」をしたのだ。


「きゃっ! る、ルーカス様!?」


「疲れただろう。じっとしていろ」


ルーカス様は私に優しく微笑むと、リリーたちに向き直った。

その瞬間、彼の表情から温度が消えた。

氷の貴公子、いや、冷徹な魔王のような瞳が二人を射抜く。


「……まだいたのか、羽虫ども」


「ひっ!?」


たった一言。

それだけで、リリーとレイモンド様はその場にへたり込んだ。

格が違う。

今のルーカス様が放つ魔力は、この場にいる誰よりも強大だった。


「私の命の恩人であり、最愛の女性を『魔女』呼ばわりとは……その首、胴体と繋がっている必要はないようだな」


「ど、どうしても信じられません!」


リリーが涙目で喚く。


「だって、お姉様ですよ!? 地味で、暗くて、何の取り柄もないお姉様が、こんな……!」


「黙れ」


ルーカス様は空いている片手をかざした。

そこから黒い霧ではなく、清浄な風が巻き起こり、リリーの言葉を物理的に封じた。


「貴様らには見えないのか? 彼女が作ったこの『奇跡』が」


ルーカス様は、私が持っていた箱の残りを指差した。

箱の中には、まだ半分ほど『オペラ』が残っている。

そこからは、いまだに聖なる光と、芳醇な香りが漂っていた。


「陛下、そして皆の者。この香りを嗅いでみよ」


言われて、周囲の人々が鼻を動かす。

次の瞬間、彼らの表情が一斉に陶酔したものへと変わった。


「な、なんて良い香りだ……」

「体が軽くなるぞ!?」

「昔の古傷の痛みが消えた……!」


ただ香りを嗅いだだけで、周囲の騎士や貴族たちの軽い不調が治癒してしまったのだ。

これが、私の全力を込めた『聖女のオペラ』の力。


「彼女は、伝説の『浄化の聖女』だ」


ルーカス様が高らかに宣言した。


「彼女の作る菓子は、人々の心と体を癒やす。私はその力に救われた。……これを『無能』と呼ぶなら、この国の評価基準は腐っていると言わざるを得ないな」


国王陛下が大きく頷いた。


「うむ。その通りだ。……余も長年、肩こりに悩んでおるのだが、そのケーキとやらを一口もらえぬか?」


「父上、これはアメリが私のために焼いたものです。一口たりとも渡しません」


「ケチくさいぞ息子よ!」


そんな親子のやり取りを見て、リリーとレイモンド様の顔色は完全に絶望へと染まった。

彼らが「無能」と捨てた私が、国一番の英雄である第二王子を救い、国王陛下にも認められてしまったのだから。


「さて」


ルーカス様は冷ややかな目で二人を見下ろした。


「私の大切な聖女を不当に虐げ、家から追い出し、あまつさえ公衆の面前で侮辱した罪。……ベルウィック子爵家、およびレイモンド伯爵家」


彼は宣告した。


「貴様らの爵位を剥奪し、全財産を没収する。今後は平民として、いや、罪人として鉱山で労働し、その罪を償え」


「い、嫌ぁぁぁぁっ! 私はドレスが着たいの! 鉱山なんて嫌ぁぁぁ!」

「お、お助けを! どうかお助けをぉぉぉ!」


リリーとレイモンド様が泣き叫ぶが、誰も同情しなかった。

騎士たちが二人の腕を掴み、乱暴に引きずっていく。


「アメリ! お姉様! 助けて! 私たち家族でしょう!?」


リリーが最後にあがくように私に叫んだ。

私はルーカス様の腕の中から、彼女を静かに見つめた。


「……さようなら、リリー。向こうの食事は、きっと美味しくないでしょうけど……好き嫌いせずに食べるのよ」


それが、私からの最後の手向けだった。


二人の姿が消えると、広場には歓声が戻った。

ルーカス様は私を抱き直すと、耳元で囁いた。


「終わったな」


「はい……終わりました」


「だが、私と君の物語は、ここからが始まりだ」


彼は私の額に、熱い口づけを落とした。

衆人環視の中で。


「る、ルーカス様! み、皆が見てます!」


「見せつけているんだ。君は私のものだと」


彼は悪びれもなく笑った。

その笑顔は、かつて店で見せた無邪気なものと、大人の男性の色気が混じり合って、破壊力抜群だった。


「さあ、帰ろう。……『パティスリー・アメリ』へ」


「はい!」


こうして、国を揺るがす呪い騒動と、私の元家族たちの断罪劇は幕を閉じた。


けれど、本当の意味での「甘い生活」は、ここからが本番だったのだ。

なにせ、完全に元気になった王子様の溺愛は、呪いよりも重くて濃厚だったのだから。


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