第7話 君の魔法、僕の呪い
「こちら、王宮からの招待状です。アメリ・ベルウィック嬢」
目の前に差し出されたのは、金箔が押された立派な封筒だった。
差出人は、国王陛下。
「……えっと」
私は粉まみれのエプロン姿のまま、硬直してしまった。
王都の片隅にある小さな菓子店「パティスリー・アメリ」のカウンターが、一瞬にして重々しい謁見の間のようになった気がする。
目の前に立っているのは、王室近衛騎士団の使者だ。
そして、その隣には――。
「下らん。破り捨てておけ」
私の店で優雅に紅茶を飲んでいる第二王子、ルーカス様が冷たく言い放った。
「で、殿下! 国王陛下直々の招集命令ですぞ!? 『聖女の力を持つ菓子職人』がいるとの噂、陛下もお聞きになり、早急に確認せよと……」
「父上は相変わらず耳が早いな。だが、断る」
ルーカス様は、フォークで『絹ごしプリン』をすくいながら、騎士を一瞥もしない。
「アメリは私の専属だと言ったはずだ。王宮のような狸親父たちが巣食う場所に連れて行けば、彼女の繊細な菓子作りが乱れる」
「しかし……!」
「下がれ。私の『治療』はまだ終わっていない。完治した暁には、私自ら父上に報告に行く」
ルーカス様から放たれた威圧感に、屈強な騎士が青ざめて後ずさる。
第二王子殿下の「治療」と言われれば、誰も強くは言えないのだろう。
騎士は深々と頭を下げ、逃げるように店を出て行った。
店内には再び、穏やかな時間が戻ってくる。
……いや、穏やかとは言えないかもしれない。
「あの、ルーカス様。本当によろしかったのですか? 国王陛下の招待を断るなんて……」
私が恐る恐る尋ねると、彼はプリンを飲み込み、美しく微笑んだ。
「構わない。君を王宮に連れて行けば、間違いなく『聖女』として囲い込まれる。そうすれば、もう二度とこんな風に、君が自由に菓子を焼くことはできなくなる」
「聖女、ですか……」
最近、街で囁かれている噂だ。
「パティスリー・アメリの菓子を食べると病が治る」「幸運が訪れる」。
最初は笑い話だと思っていたけれど、ここまで大事になるとは。
「今日はもう店を閉めよう。……君に、話しておきたいことがある」
ルーカス様の瞳が、いつになく真剣だった。
紫水晶の瞳の奥に、揺らぐことのない強い光が宿っている。
私は頷き、ドアの札を『CLOSE』に裏返した。
◇
日が落ち、店内には魔導ランプの温かな光だけが灯っていた。
私は、彼のために特別な一皿を用意していた。
重い話をする時は、甘くて温かいものが必要だ。
「お待たせしました。『天使のクレーム・ブリュレ』です」
小ぶりなココット皿に入った、カスタード色のデザート。
その表面は、バーナー代わりの火魔法で炙った砂糖が、美しい飴色に焦げてガラスのように輝いている。
材料にはこだわり抜いた。
南方の火山地帯に生息する『フレイムバード』の卵。
この卵は黄身が濃厚で、熱を加えるとバニラのような甘い香りを放つ。
そこに、『聖牛のミルク』と、希少な『ダイヤモンドシュガー』を合わせて蒸し焼きにしたのだ。
「……美しいな」
ルーカス様がスプーンを手にする。
コツ、コツ。
スプーンの背で、表面の焦げた砂糖を叩く。
軽快な音が響き、ガラスのような飴の層がパリッと割れた。
そこから、とろりとした濃厚なカスタードが顔を覗かせる。
彼はそれを掬い、口に運んだ。
「――ん」
吐息のような声が漏れる。
カリカリとしたほろ苦いキャラメルと、舌の上で解ける滑らかなクリーム。
対照的な二つの食感と味が、口の中で混ざり合い、至福のハーモニーを奏でる。
フレイムバードの卵特有の力強いコクが、疲れた体に染み渡っていくようだ。
「……君の菓子は、いつも優しい味がする」
ルーカス様は一口一口、噛み締めるように食べた。
そして、皿が空になると、静かに口を開いた。
「アメリ。君は、私の呪いがどのようなものか知っているか?」
「いえ……詳しくは」
「『永劫の闇』。そう呼ばれている、古代の呪術だ」
彼は自分の胸元に手を当てた。
そこには、以前よりも薄くなったとはいえ、まだ黒い痣のような模様が刻まれている。
「生まれた時から、私の魔力と生命力を食らい続けてきた。医者も、高名な聖職者も、匙を投げたよ。私は二十歳まで生きられないと言われていた」
淡々とした語り口が、逆に彼の過ごしてきた地獄のような日々を想像させた。
王族として生まれながら、死を待つだけの孤独な幽閉生活。
どれほど心細かっただろうか。
「絶望していたんだ。痛みと寒さに震えながら、ただ終わるのを待っていた。……あの日、君の店に迷い込むまでは」
彼は私を見つめた。
その瞳が、熱を帯びて揺らめく。
「君の菓子を食べた瞬間、私の体の中の闇が悲鳴を上げて消えていった。信じられなかったよ。どんな高位の回復魔法も効かなかったのに」
「それは……私が、『聖女』だからですか?」
私が尋ねると、彼は小さく首を横に振った。
「ただの聖女ではない。君が『菓子作り』という行為に込める、特異な感情が鍵なんだ」
「感情……?」
「ああ。君が生地を混ぜる時、焼く時、何を考えている?」
私は少し考えて、正直に答えた。
「えっと……『美味しくなぁれ』とか、『これを食べた人が笑顔になりますように』とか。あとは……『このバターの香り、最高!』とか、そんなことばかりですけど」
うわ、言葉にすると食い意地が張っているだけみたいで恥ずかしい。
顔を赤くする私を見て、ルーカス様は愛おしそうに目を細めた。
「それだ」
「えっ?」
「君のその、純粋で強烈な『好き』という感情。誰かを喜ばせたいという無償の愛。それが魔力変換され、菓子に宿っているんだ。……君にとって菓子作りは、祈りそのものなんだよ」
祈り。
そんな大層なものだろうか。
ただ、私はお菓子が大好きで、みんなの喜ぶ顔が見たいだけなのに。
「『永劫の闇』は、負の感情を糧にする。だからこそ、君の底抜けに明るくて温かい『陽の魔力』が劇薬となるんだ。……君の菓子は、私にとって光そのものだ」
ルーカス様の手が伸びてきて、カウンター越しの私の手に重ねられた。
ひんやりとしていた彼の手は、今では私と同じくらい温かい。
「アメリ、ありがとう。君のおかげで、私は生きることを諦めずに済んだ」
「ルーカス様……」
「だが、まだ呪いは根絶できていない。私の体の奥深くに、呪いの根源がしがみついている」
彼の表情が曇る。
表面上の霧は晴れたけれど、芯の部分が残っているということか。
「ここ数日、体調が良いのは確かだ。だからこそ、今夜これから……決着をつけようと思う」
「決着?」
「ああ。この残った魔力を総動員して、私自身の精神世界に入り込み、呪いの核を叩き潰す。……失敗すれば、今度こそ私は闇に飲まれて戻ってこられないかもしれない」
「そんな!」
私は思わず立ち上がった。
そんな危険な賭けをするなんて。
「大丈夫だ」
彼は私の手を強く握り締めた。
「今の私には、君がいる。君がくれた光が、体中に満ちている。……負ける気はしない」
その言葉は力強かったけれど、握られた手は微かに震えているように感じた。
怖いのだ。
当たり前だ。たった一人で、自分の命をかけた戦いに挑むのだから。
私は、彼の震える手を両手で包み込んだ。
「ルーカス様。……私にも、何かできることはありませんか?」
「君はもう、十分すぎるほどくれたよ」
「いいえ、足りません! 私、焼きます。貴方が戦っている間、貴方が帰ってくる場所を示すような、とびっきりの『光の菓子』を!」
私の言葉に、彼は目を見開いた。
それから、嬉しそうに、けれど少し切なそうに笑った。
「……そうか。ならば、待っていてくれるか? 一番甘い菓子を用意して」
「はい。約束します。最高のケーキを用意して待っています」
ルーカス様は立ち上がり、私の手の甲に口づけを落とした。
「行ってくる。……この呪いが完全に解けたら、君に伝えたいことがあるんだ」
「え?」
「今はまだ、言えない。ただの呪われた王子ではなく、一人の男として、君に向き合えるようになったら……その時、聞いてほしい」
紫水晶の瞳が、私を射抜く。
その瞳に込められた熱量は、鈍感な私でも気づいてしまうほど強烈だった。
心臓が早鐘を打つ。
これは、そういうことなのだろうか。
いや、期待してはいけない。
でも、信じたい。
「……はい。お待ちしています」
私が答えると、彼は満足そうに頷き、フードを被り直した。
そして、夜の闇へと消えていった。
残された私は、震える手で自分の胸を押さえた。
顔が熱い。
でも、ボーッとしている時間はない。
「やるわよ、アメリ!」
私は自分の頬をパンと叩いた。
彼が命がけで戦うなら、私は私の武器で戦うだけだ。
呪いなんて吹き飛ばすくらいの、最高に幸せで、最高に美味しいケーキを作るんだ。
私は厨房に向かった。
目指すは、お菓子作りの最高峰。
幾重にも層を重ね、味のシンフォニーを奏でる『ケーキの王様』――オペラだ。
けれど、私はまだ知らなかった。
彼の中にある呪いの根源が、予想以上に強大で狡猾な魔物であることを。
そして、私の作るケーキが、文字通り「奇跡」を起こす最後の鍵になることを。
夜明けまで、あと数時間。
私の、そしてルーカス様の、一番長い夜が始まった。




