第6話 正体発覚と甘い独占欲
店内は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほどの静寂に包まれていた。
夕陽が差し込む古びた菓子店。
その中心で、漆黒の髪と紫水晶の瞳を持つ青年が、氷のような冷笑を浮かべて立っている。
「ど、どうして……死に損ないの、いや、幽閉されていたはずの第二王子が、こんな場所に……」
レイモンド様が、ガタガタと音を立てて震え出した。
顔色は土気色で、額からは脂汗が吹き出している。
妹のリリーも、腰を抜かしたまま床を這うようにして後ずさり、言葉も出ない様子だ。
無理もない。
ルーカス・フォン・グラキウス。
この国の第二王子でありながら、生まれつき強力な呪いを身に宿し、その力の暴走を恐れて長年隔離されていた存在。
貴族たちの間では「関われば死ぬ」「不吉の象徴」と忌避されていた方だ。
けれど、今の彼を見て「死に損ない」などと言う者はいないだろう。
彼から溢れ出るのは、病的な死の気配ではなく、周囲を圧倒する王者の覇気だった。
「答えろ。誰が、誰にお似合いだと?」
ルーカス様がもう一度問う。
その声は静かだが、腹の底に響くような威圧感があった。
「あ、あ……い、いえ! 滅相もございません!」
レイモンド様が裏返った声で叫んだ。
「人違いかと! そう、人違いです! あのような高貴な殿下が、このような平民の……薄汚れた店にいらっしゃるはずが……」
「まだ言うか」
ルーカス様の瞳が、すっと細められた。
瞬間、店内の気温が氷点下になったかのような錯覚を覚える。
「貴様は、私の目が節穴だと言うつもりか? この店が薄汚れているだと?」
彼はゆっくりと靴音を響かせて歩き出し、カウンターの中へ――私の隣へと入ってきた。
そして、自然な動作で私の肩を抱き寄せた。
「ひゃっ!?」
突然のことに、私は変な声を上げてしまった。
腰に回された手は力強く、熱い。
身長差があるため、私は彼にすっぽりと包み込まれる形になる。
「よ、よく見ろ。床は塵一つなく磨かれ、ショーケースは曇りなく輝いている。なにより、ここに漂う甘い香りは、王宮のどんな香水よりも芳しい。……これを薄汚れていると言うなら、貴様の目は腐っているとしか思えんな」
「で、殿下……! そ、その女から離れてください! その女は、我が家を追放された恥さらしで……」
リリーが涙目になりながら訴える。
まだ諦めていないのか、それとも恐怖で錯乱しているのか。
「お姉様は、殿下を騙しているんです! きっと、変な薬を使ったお菓子を食べさせて、殿下をたぶらかして……」
「たぶらかされている、か」
ルーカス様は鼻で笑った。
「確かに、私は骨抜きにされているな」
「えっ」
私の心臓が跳ねた。
な、なにを言ってるんですか、この王子様は!
ルーカス様は私を見下ろし、甘く蕩けるような視線を送ってきた。
さっきまでレイモンド様たちに向けていた冷徹な目つきとは、まるで別人のようだ。
「彼女の作る菓子は、私の呪いを癒やし、凍りついた心をも溶かした。……これを『たぶらかされている』と言うなら、私は喜んでその術中に嵌ろう」
「そ、そんな……」
リリーが絶望したように口元を覆う。
ルーカス様は再び二人に向き直り、今度は明確な殺気を放った。
「聞けば、貴様らはアメリの元婚約者と妹だそうだな。彼女の才能を見抜けず、あまつさえ『華がない』などと愚弄して捨てたとか」
「そ、それは……家の事情がありまして……」
「黙れ」
一喝。
レイモンド様がヒッと息を呑んで縮み上がる。
「貴様らが捨てたこの女性は、私にとって命の恩人であり、唯一無二の存在だ。彼女が焼く菓子一つが、貴様らの家門すべてを合わせたよりも価値がある」
その言葉に、店内にいた常連客たち――その中には密かに素性を隠していた高ランク冒険者や商人たちも混じっていた――が、うんうんと深く頷いているのが見えた。
みんな、いつの間に私の味方になってくれていたんだろう。
「レ、レイモンド伯爵家、およびベルウィック子爵家……だったか?」
ルーカス様が冷たく名を呼ぶ。
「私の大切な『光』を傷つけ、この安息の地を荒らそうとした罪は重い。……覚悟しておくことだ」
それは、事実上の破滅宣告だった。
王族、それも次期国王候補とも噂され始めた第二王子からの断罪。
彼らの家がどうなるか、想像するだけで恐ろしい。
「も、申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!」
レイモンド様はその場に土下座をした。
プライドの高い彼が、額を床に擦り付けている。
「お姉様、助けて! お願い、許して!」
リリーも私に向かって手を伸ばしてきた。
今まで私を見下していた妹の、情けない姿。
少し前までの私なら、ここで情けをかけてしまっていたかもしれない。
「もういいです」と許してしまっていたかもしれない。
けれど。
私はカウンターに置かれた『宝石苺のタルト』を見た。
彼らが踏み込んで来た時の衝撃で、一つだけ形が崩れてしまっていたのだ。
私が丹精込めて作った、可愛い我が子が。
「……お引き取りください」
私は静かに、けれどはっきりと告げた。
「私はもう、貴方たちとは関係のない人間です。二度と、この店に敷居を跨がないでください」
「あ、アメリ……!」
「聞こえなかったか?」
ルーカス様が低い声で追撃する。
彼の背後から、どす黒い闇の魔力が陽炎のように立ち上った。
「失せろ。私の気が変わって、今ここで処刑してしまう前にな」
「ひぃぃぃぃっ!」
その言葉が最後通牒だった。
レイモンド様はリリーの腕を引掴み、転がるようにして店から逃げ出した。
遠ざかる馬車の音が聞こえなくなるまで、誰も動かなかった。
やがて、完全に気配が消えると、店内は安堵のため息に包まれた。
そして、ワァッ! と拍手が巻き起こった。
「すごいやアメリちゃん! 追い返したぞ!」
「王子様、かっこいいー!」
お客様たちが口々に称賛の声を上げる。
私はというと、緊張が解けて膝から崩れ落ちそうになった。
「っ、と」
それを支えてくれたのは、やはりルーカス様の腕だった。
「大丈夫か、アメリ」
耳元で囁かれる声は、さっきまでの覇王のような響きはなく、甘い砂糖菓子のように優しい。
見上げると、心配そうな紫水晶の瞳が私を覗き込んでいた。
「は、はい……ありがとうございます、ルーカス様。助けていただいて、その……お店の名誉も守ってくださって」
「礼には及ばない。私がしたかっただけだ」
彼はそう言うと、まだ私の腰に手を回したまま、少し気まずそうに視線を逸らした。
「それに、あの男が君の名前を呼ぶのが我慢ならなかった。……君は私のものだ」
「は、はい?」
「私の専属パティシエールだと言ったんだ。……まだ、専属契約は結んでいなかったか?」
彼は真顔でそんなことを言う。
契約書なんて交わしていないけれど、彼の言葉の端々には、もっと別の意味が含まれているような気がしてならない。
「あの、ルーカス様。皆様が見ていらっしゃいます……」
私が小声で指摘すると、彼はハッとして周囲を見回した。
常連客たちが、ニヤニヤと生温かい視線で私たちを見守っている。
「……コホン」
ルーカス様はわざとらしい咳払いを一つして、私から体を離した。
その耳が、ほんのりと赤くなっているのが可愛い。
「と、とにかく! 君に危害を加える者は私が排除する。だから君は、安心して菓子作りだけをしていればいい」
「は、はい! 精進いたします!」
私は直立不動で敬礼した。
なんだか、ものすごい後ろ盾ができてしまったようだ。
「それで……騒ぎのせいで腹が減った。さっきのタルト、もらえるか?」
「あ、はい! でも、一つ崩れてしまって……」
「構わない。君が作ったものなら、形など関係ない」
彼は再びカウンター席に座り、崩れたタルトを愛おしそうに頬張り始めた。
一口食べるごとに、彼の表情が幸せそうに緩んでいく。
その姿を見て、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
ざまぁ展開ですっきりしたはずなのに、それ以上に、彼が私の作ったお菓子を食べてくれることのほうが、何倍も嬉しくて、心が満たされる。
(もしかして、私……)
自分の気持ちに名前をつけそうになって、私は慌てて首を振った。
相手は一国の王子様。
私は街の菓子職人。
住む世界が違いすぎる。
けれど。
「アメリ、口元にクリームがついているぞ」
「えっ」
ルーカス様が長い指を伸ばし、私の唇の端を拭った。
そして、その指についたクリームを、自然な動作でペロリと舐め取ったのだ。
「――っ!?」
ボンッ!
私の顔から湯気が出たのは言うまでもない。
「ん、甘いな」
彼は悪戯っぽく微笑んだ。
確信犯だ。
この王子様、天然なのか計算なのかわからないけれど、私の心臓を止める気満々だわ!
こうして、お店の危機は去った。
けれど、私の心臓の危機は、むしろこれからが本番だったのだ。
そして、この騒動はあっという間に王都中に知れ渡ることになる。
「呪われた第二王子が復活した」「下町の菓子店に奇跡の聖女がいる」という、尾ひれがついた噂と共に。
次に店にやってくるのは、なんと王宮からの使いだった。




