第5話 王都で噂の「奇跡の菓子店」
「いらっしゃいませ! 『宝石苺のタルト』、焼き上がりましたよ!」
私の元気な声に、店内で待っていたお客様たちがわっと歓声を上げた。
開店から二週間。
「パティスリー・アメリ」は、今や王都の下町でちょっとした有名店になっていた。
ショーケースに並ぶのは、朝摘みの『宝石苺』をふんだんに乗せたタルトだ。
サクサクのクッキー生地の上に、濃厚なカスタードクリームを絞り、その上にルビーのように輝く苺を山盛りにする。
仕上げに『妖精の粉砂糖』を雪のように散らせば、見た目にも愛らしい一品の完成だ。
「お姉ちゃん、僕これ!」
「私はこっちの『黄金栗のモンブラン』にするわ」
お客様は途切れることがない。
ありがたいことに、「この店の菓子を食べると、なぜか体調が良くなる」「長年の腰痛が消えた」といった噂が口コミで広がっているらしい。
私はあくまで「美味しいから元気が出るんですよ」と説明しているけれど、心のなかでは冷や汗をかいていた。
(私の『聖女の力』、ちょっと効きすぎじゃないかしら……?)
まあ、みんなが笑顔になってくれるなら、結果オーライだ。
ふと、カウンターの端に目をやる。
そこには、今日も「彼」がいた。
いつもの定位置に座り、フードを目深に被った謎の青年、ルーカス様だ。
彼は今、私の新作『ビターキャラメルと胡桃のタルト』と格闘中だった。
香ばしくローストした『千年樹の胡桃』を、ほろ苦いキャラメルソースで絡めた大人向けのタルト。
彼はフォークで丁寧にそれを切り分け、口に運ぶ。
(……あ、笑った)
フードの下の口元が、幸せそうに緩むのを私は見逃さなかった。
彼が纏っていた重苦しい気配は、最近ではほとんど感じられない。
むしろ、私の店にいる時の彼は、とても穏やかで優しい空気を醸し出している。
彼が毎日来てくれるおかげで、彼専用の「裏メニュー」を考えるのが私の日課になりつつあった。
彼もまた、私の作るお菓子を誰よりも深く理解し、愛してくれる一番のファンだ。
店内の賑わいと、甘い香り。
そして、美味しいと言ってくれるお客様たちの笑顔。
(平和ね……)
私は満ち足りた気持ちで、紅茶のカップを拭いていた。
こんな幸せな毎日が、ずっと続けばいいのに。
けれど、そんな私の願いを嘲笑うように、店の外で騒がしい音がした。
ヒヒィィィン!
馬のいななきと共に、乱暴にブレーキをかける馬車の音が響く。
窓の外を見ると、派手な装飾が施された馬車が、狭い路地を塞ぐようにして停車していた。
見覚えのある家紋。
ベルウィック子爵家の馬車だ。
(……来たわね)
私は小さく溜息をついた。
いつか来るとは思っていたけれど、こんなに早いとは。
「あら、ここなの? お姉様が隠れてコソコソやっている貧乏臭いお店というのは」
店に入ってくるなり、甲高い声が響き渡った。
香水のきつい匂いが、せっかくの焼き菓子の香りをかき消す。
現れたのは、豪奢なドレスに身を包んだ妹のリリーと、仕立ての良い服を着た元婚約者のレイモンド様だった。
「うわっ、なんだこの狭い店は。埃っぽいな」
レイモンド様がわざとらしく鼻をつまみ、ハンカチで口元を覆う。
店内のお客様たちが、不快そうに眉をひそめ、ざわざわと囁き合い始めた。
「な、なによあの人たち」
「綺麗な格好してるけど、態度悪いわね……」
私はカウンターから出て、二人の前に立った。
もう、かつてのように俯いて怯えるだけの私ではない。
「いらっしゃいませ。お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、大声はお控えください」
毅然と言い放つと、二人は目を丸くした。
「はあ? なにその態度。お姉様のくせに生意気よ」
リリーが扇子で私を指差す。
その目は、明らかに私を見下していた。
「聞いたわよ、アメリ。家を追い出された後、こんな薄汚れた場所で商売をしているんですって? ベルウィック家の娘が、平民相手に小銭稼ぎなんて、恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくありません。私は自分の腕でお金を稼ぎ、自分の足で立っています。誰かに寄生して生きているだけの貴方たちより、ずっと誇らしいと思っていますわ」
「なっ……!」
リリーの顔が真っ赤になる。
図星を突かれたのが悔しいのだろう。
「き、貴様! 口が過ぎるぞ!」
レイモンド様が一歩前に出て、私を威圧するように見下ろした。
「アメリ、お前がこんなところで何をしているかと思えば……こんな恥さらしな店、今すぐ畳め!」
「お断りします」
私は即答した。
「ここは私の城です。貴方たちに指図される覚えはありません」
「なんだと!? 子爵家の恥だと言っているんだ! 大体、お前のような華のない女が作る菓子なんて、どうせ泥のような味がするんだろう?」
レイモンド様がショーケースをバンと叩く。
その衝撃で、中のタルトが少し揺れた。
私はカチンときた。
私を侮辱するのはいい。
でも、私の可愛いお菓子たちを侮辱するのは許さない。
「……泥のような味かどうか、お買い上げになって確かめてみてはいかがですか? もっとも、貴方たちのような味のわからない方には、売るのも惜しいですけれど」
「お、お前……変わったな。以前は私の顔色を窺って、オドオドしていたくせに」
レイモンド様が気味悪そうに私を見る。
ええ、変わりましたとも。
好きなことをして生きると決めた女は強いのよ。
「レイモンド様、こんな女放っておきましょうよ。どうせすぐに潰れるわよ、こんな店」
リリーが私の店を見回し、そしてカウンターの隅に座っている「彼」に目を留めた。
「あら、嫌だ。あんな陰気な男までいるじゃない。やっぱり客層も最悪ね」
リリーがクスクスと笑う。
その視線の先には、静かに紅茶を飲んでいるルーカス様がいた。
その瞬間、店内の空気が凍りついた。
私の背筋に、ゾクリとした冷気が走る。
これは、ルーカス様の気配だ。
でも、いつもの優しい静けさではない。
もっと鋭利で、冷酷な――そう、初めて会った夜のような、絶対的な強者の気配。
ルーカス様はゆっくりとカップを置き、立ち上がった。
「……陰気、か」
低く、よく通る声だった。
その一言だけで、騒がしかった店内が静まり返る。
レイモンド様が不快そうにルーカス様を睨みつけた。
「なんだ貴様は。平民の分際で、貴族の会話に聞き耳を立てていたのか?」
「貴族、ね。……品位のかけらもないその振る舞いで、よくも貴族を名乗れたものだ」
ルーカス様が一歩、二歩と近づいてくる。
その威圧感に、レイモンド様がたじろいだ。
「な、なんだと!? 私はベルウィック子爵家が次期当主の婚約者、レイモンド伯爵家の……」
「興味がない」
ルーカス様は冷たく切り捨てた。
「私が興味があるのは、この店の菓子と、店主の笑顔だけだ。それを汚す者は、誰であろうと許さない」
彼は私の隣に立ち、守るように立ちはだかった。
その背中は大きくて、頼もしくて……そして、どこか怒りに震えているように見えた。
「はっ! なによ、お姉様の新しい男? やっぱり類は友を呼ぶのね。顔もろくに見せられないような男がお似合いよ!」
リリーが嘲笑いながら、ルーカス様のフードに手を伸ばそうとした。
「その薄汚いフード、剥ぎ取って現実を教えてあげるわ!」
「やめて!」
私が叫ぶより早く、リリーの手がフードの端を掴んだ。
バサッ。
勢いよくフードがめくられ、ルーカス様の素顔が白日の下に晒された。
店内にいた全員が、息を呑んだ。
窓から差し込む夕日を受けて、漆黒の髪が艶やかに輝く。
宝石のような紫水晶の瞳は、今は氷のように冷たく細められ、二人を射抜いていた。
その顔立ちは、神が作りたもうた彫像のように美しく、そして荘厳だった。
右頬の黒い痣さえも、彼の美貌を損なうものではなく、むしろ危険な魅力を引き立てる装飾のように見えた。
「あ……」
リリーが呆然と口を開け、腰を抜かしたようにその場に座り込む。
レイモンド様も、目を見開いて硬直していた。
彼らは知っているはずだ。
王家の肖像画で見たことがあるはずだ。
いや、それ以上に、その圧倒的な「王者の覇気」が、目の前の男の身分を雄弁に物語っていた。
「……薄汚いフードで悪かったな」
ルーカス様が、艶然と微笑んだ。
それは美しいけれど、背筋が凍るような、捕食者の笑みだった。
「それで? 誰が誰にお似合いだと?」
「で、でん……でんか……?」
レイモンド様の唇が震える。
顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「まさか、第二王子……ルーカス殿下、ですか……?」
その名を聞いた瞬間、店内のお客様たちが一斉にざわめいた。
「呪われた王子」として噂されていた、あのルーカス様。
王城の奥深くに幽閉されているはずの彼が、なぜこんな下町の菓子店に?
ルーカス様は二人を見下ろし、静かに、しかし絶対的な命令を下すように言った。
「私の大切な店で騒ぐ無礼者には、相応の教育が必要なようだな」
黒い霧のような魔力が、ルーカス様の足元から立ち上り始めた。
それは以前のような彼を蝕む呪いではなく、彼が制御する強大な「闇魔法」の力だ。
「ひぃっ!」
リリーが悲鳴を上げ、レイモンド様が後ずさる。
ざまぁみろ、と言いたいところだが、事態は私の想像を遥かに超えて大きくなってしまったようだ。
私は開いた口が塞がらないまま、目の前で繰り広げられる光景を見つめていた。
(えっ、ちょっと待って。ルーカス様、正体バラしちゃうんですか!? ここ、私のお店なんですけどー!?)
私の心の叫びなど露知らず、ルーカス様の怒りの断罪劇が、今まさに幕を開けようとしていた。




