第10話(最終回) ロイヤル・ウエディング・パティスリー
王都中が、かつてない祝祭ムードに包まれていた。
街の至る所に鮮やかな花が飾られ、教会の鐘が高らかに鳴り響いている。
広場には屋台が並び、国民たちは朝からワインを片手に踊り明かしている。
無理もない。
今日は、この国を救った英雄、ルーカス・フォン・グラキウス殿下と、その呪いを解いた「救国の聖女」との結婚式なのだから。
そして、その聖女というのが――私、アメリである。
「うう……緊張で胃が痛い……」
王城の控え室。
純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、鏡の前でガチガチに固まっていた。
「しっかりなさいませ、アメリ様! 今日の主役は貴女様なんですから!」
侍女たちが総出で私のメイクや髪のセットをしてくれている。
今日のドレスは、私の希望で特注したものだ。
シルクの生地を幾重にも重ね、まるでホイップクリームのような柔らかい曲線を描くデザイン。
レース部分には、砂糖菓子を模した繊細な刺繍が施されている。
「それにしても、まさか花嫁自らウェディングケーキをお作りになるとは……前代未聞ですよ」
侍女長が呆れたように、しかし楽しそうに笑った。
そう。
私はこの結婚式において、一つの条件を出したのだ。
それは、「ウェディングケーキは自分で作る」ということ。
普通の貴族なら眉をひそめるところだが、ルーカス様は「君が焼くなら、それこそが国宝だ」と即決で許可してくれた。
国王陛下も「あの『オペラ』の感動をもう一度味わえるなら、厨房の一つや二つ好きに使え」とノリノリだった。
結果、私は昨日の夜まで、王宮のパティシエたちを指揮して、巨大なケーキタワーを作り上げていたのだ。
「そろそろお時間です、アメリ様」
「は、はい!」
私は深呼吸をして、重い扉の前へと進んだ。
扉が開く。
その先には、眩い光と、割れんばかりの拍手。
そして、長いバージンロードの先で待つ、愛しい人の姿があった。
◇
大聖堂のステンドグラスから、虹色の光が降り注いでいる。
祭壇の前に立つルーカス様は、息を呑むほど美しかった。
純白のタキシードに、王家の紋章が入った深い紫のマント。
漆黒の髪は綺麗に整えられ、紫水晶の瞳が、私を捉えて離さない。
一歩近づくたびに、彼の瞳が熱を帯びていくのがわかる。
「……アメリ」
祭壇の前まで辿り着くと、彼が手を差し伸べてきた。
その手を取ると、彼は私の耳元で小さく囁いた。
「今日の君は、私が今まで見たどんな菓子よりも甘そうで、魅力的だ」
「る、ルーカス様……場所をわきまえてください」
「本音だ。……今すぐさらって、二人きりになりたいくらいにな」
悪戯っぽく笑う彼は、かつての「呪われた王子」の面影など微塵もない。
愛に満ち溢れ、自信に満ちた、一人の幸福な青年の顔だった。
誓いの言葉、指輪の交換。
すべてが夢のように進んでいく。
そして、誓いのキス。
彼がベールを上げ、唇を重ねた瞬間、会場中から「おおおっ!」というどよめきと、祝福の歓声が上がった。
恥ずかしさで顔がボンッと赤くなる私を見て、彼は満足そうに目を細めた。
◇
式の後は、王宮の庭園での披露宴だ。
ここで、いよいよ「アレ」のお披露目となる。
「それでは、新郎新婦によるケーキ入刀です!」
司会者の声と共に、巨大なワゴンが運ばれてきた。
観衆が息を呑む。
そこにそびえ立つのは、高さ三メートルにも及ぶ、純白のウェディングケーキだ。
五段重ねのスポンジには、最高級の『ペガサスのミルク』から作った生クリームがたっぷりと塗られている。
このクリームは、口に入れた瞬間に雲のように消え、濃厚なミルクの香りだけを残すという奇跡の食材だ。
デコレーションには、国中から集めた『宝石苺』と、砂糖で作った繊細な薔薇の花々。
そして、ケーキの最上段には、飴細工で作られた二人の人形――私とルーカス様が、手を取り合って踊っている。
「すごい……! まるで芸術品だ!」
「あれを妃殿下がご自身で作られたのか!?」
ざわめきの中、私たちはナイフを手にした。
「アメリ、準備はいいか?」
「はい、ルーカス様」
二人の手を重ね、ナイフをゆっくりと下ろす。
サクッ、と心地よい感触が伝わってくる。
柔らかいスポンジと、たっぷりのクリーム、そして瑞々しい苺の層を、ナイフが滑り落ちていく。
その瞬間、ケーキからふわぁっと甘い香りが爆発的に広がった。
バニラと苺、そして幸せの香り。
庭園にいた小鳥たちが、喜んでさえずり始めるほどの芳香だ。
「ファーストバイトです!」
ルーカス様が、特大のスプーンでケーキをすくい取った。
私の顔くらいの大きさがある。
「あーん」
「む、無理です! 大きすぎます!」
「愛の大きさだ。受け取ってくれ」
逃げ場はない。
私は覚悟を決めて、大きく口を開けた。
クリームが鼻についても気にしない。
パクッ!
……美味しい。
何度味見をしても、やっぱり美味しい。
ペガサスのミルククリームは軽やかで、宝石苺の甘酸っぱさがアクセントになり、いくらでも食べられそうだ。
私が幸せな顔で咀嚼していると、ルーカス様が優しく口元のクリームを拭ってくれた。
次は、私の番だ。
私も負けじと、大きなスプーンでたっぷりとケーキをすくった。
「ルーカス様、あーん!」
彼は躊躇なく、その大きな一口をパクリと平らげた。
そして、目を閉じて味わい、とろけるような笑顔を見せた。
「……最高だ。君の愛の味がする」
その一言を合図に、ゲストたちにもケーキが振る舞われた。
そこからは、ちょっとしたパニック――いや、奇跡の連鎖だった。
「なんだこれは! 腰の痛みが消えたぞ!」
「肌がツヤツヤになったわ!」
「長年ハゲていた頭に産毛が!」
会場のあちこちで、歓喜の叫びが上がる。
私の『聖女の力』と、幸せいっぱいの感情が込められたケーキは、かつてないほどの浄化作用を発揮していたのだ。
もはや「食べる万能薬」である。
「ははは、すごいな。この国から病人がいなくなってしまう」
ルーカス様が愉快そうに笑い、私の腰を抱き寄せた。
「やはり君は、私だけの聖女だ」
◇
それから、数ヶ月後。
王都の下町、三番街。
以前と変わらぬ、いや、以前よりも少しだけ綺麗になった看板が掲げられている。
『パティスリー・アメリ』
本来なら、王族となった私が店に立つことなど許されない。
警備上の問題や、王族としての公務があるからだ。
けれど、私は頑固だった。
「お菓子を焼けないなら、王妃なんてやりません!」
そう宣言した私に、ルーカス様は苦笑しながらも、とんでもない解決策を用意してくれた。
店内に設置された、王宮直通の『転移魔法陣』だ。
これで通勤時間はゼロ秒。
さらに、店ごと強力な結界で守り、身分を隠すための認識阻害魔法まで完備。
おかげで私は今も、エプロン姿で厨房に立っている。
「いらっしゃいませ! 焼きたてのマドレーヌですよ!」
「おっ、アメリちゃん! 今日もいい匂いだねえ」
「お妃様になっても、味は変わらないね!」
常連客たちは、私が王太子妃であることを知っているけれど、変わらず「アメリちゃん」と呼んでくれる。
それが何より嬉しい。
カラン、コロン。
昼下がりの穏やかな時間に、ドアベルが鳴った。
入ってきたのは、深くフードを被った長身の男性。
……もう、正体はバレバレだというのに、彼はこの「お忍びごっこ」がお気に入りらしい。
「いらっしゃいませ、お客様」
私がクスクス笑いながら迎えると、彼はカウンターの席に座り、フードを外した。
現れたのは、国中の女性が憧れる次期国王、ルーカス様だ。
「……公務の合間に抜け出してきた。糖分が足りない」
「ふふ、サボりですか? メイスン騎士団長が泣いていますよ」
「知らん。私には充電が必要なんだ」
彼は子供のように口を尖らせると、じっと私を見つめた。
「『アメリ・スペシャル』を頼む」
「はいはい、わかっております」
私は手際よく、彼のためだけの皿を用意した。
今日のお菓子は、『天空桃のタルトレット』。
瑞々しい桃の果肉の下には、アールグレイの香りをつけたカスタードクリームが隠れている。
彼はそれを一口食べると、ほうっと深い溜息をついた。
「……生き返る」
「お疲れ様です、ルーカス様」
「ああ。会議続きで頭が痛かったが……君の顔を見て、君の菓子を食べれば全快だ」
彼はフォークを置き、カウンター越しに私の手を握った。
「アメリ。そろそろ店じまいにして、宮殿に帰らないか? 続きは、二人きりで楽しみたい」
その瞳が、熱っぽく揺らめく。
甘いお菓子よりも、もっと甘い時間を要求している目だ。
結婚して数ヶ月経つが、彼の溺愛ぶりは落ち着くどころか加速する一方だ。
隙あらば触れてくるし、隙あらば愛を囁いてくる。
おかげで私は、毎日顔を赤くしっぱなしだ。
「も、もうちょっとだけ仕込みがありますから……」
「手伝おう。その代わり、報酬は弾んでもらうぞ」
「報酬?」
「ああ。新作の味見と……君からのキスだ」
彼はニヤリと笑い、勝手知ったる様子で厨房に入ってきた。
腕まくりをする姿も様になっている。
最近では、メレンゲの泡立てなどは私より上手いくらいだ。
「さあ、やるぞ。最高の菓子を作ろう」
隣に並ぶ彼の横顔を見上げて、私は胸がいっぱいになった。
かつて、地味で華がないと捨てられた私。
呪われ、孤独に震えていた彼。
欠けた二人が出会い、甘いお菓子で繋がり、そして今、こうして並んで笑い合っている。
甘い香りが漂う厨房で、私は幸せを噛み締めた。
ボウルの中で混ざり合うバターと砂糖のように、私たちの人生はこれからも甘く、濃厚に溶け合っていくのだろう。
「はい、ルーカス様!」
私は満面の笑みで答え、彼と一緒にボウルを支えた。
これが、私と、甘党な王子様の、美味しくて幸せな物語の結末。
そして、これからも続く、甘い毎日の始まりだ。
(完)
最後までお読みいただきありがとうございます!
↓の★★★★★を押していただけると
すごく励みになります!!




