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呪われた王子様、私のお菓子で餌付け完了です。  作者: 月雅


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第1話 さようなら、地味で退屈な私

「アメリ・ベルウィック! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」


王宮の大広間に、よく通る男の声が響き渡った。

シャンデリアの煌びやかな光の下、着飾った貴族たちの視線が一斉に一点へと集中する。


声の主は、この国の伯爵家嫡男であり、私の婚約者であるレイモンド様だ。

整った顔立ちをしているが、今は怒りで赤くなり、まるで茹で上がった蛸のようになっている。


その隣には、私の妹であるリリーがぴたりと寄り添っていた。

鮮やかな黄金色の巻き髪に、宝石のような碧眼。

地味な私とは似ても似つかない、華やかな美少女だ。


「……はい、承知いたしました」


私は静かに頭を下げた。

周囲からどよめきが起こる。

泣き崩れるわけでも、縋り付くわけでもない私の態度が、予想外だったのだろう。


正直に言えば、私はこの瞬間を待っていたのだ。


「ふん、相変わらず可愛げのない女だ。貴様のような『地味で華がない』女を連れて歩くのは、もううんざりなんだよ!」


レイモンド様が勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「そうよねえお姉様。レイモンド様のような素敵な方の隣に、お姉様のような石ころは相応しくないわ。これからは私が、レイモンド様をお支えするから安心して?」


リリーが扇子で口元を隠しながら、意地悪く微笑んだ。


私は眼鏡の位置を指で直しながら、心の中で冷静に計算を始めていた。


慰謝料の請求は可能か?

いや、相手は有力貴族と、実家であるベルウィック子爵家だ。

下手に泥沼化させるより、手切れ金代わりに自由を手に入れるほうが得策だろう。


なにより、私の頭の中は今、別のことで一杯だった。


(あそこのビュッフェ台にある『大角鹿のロースト』、焼きすぎて肉汁が完全に逃げているわ。ソースも煮詰まりすぎ。あれじゃあ、せっかくの『琥珀ワイン』の風味が台無しよ)


私は前世の記憶を持っていた。

日本という国で、パティシエールとして働いていた記憶だ。

朝から晩まで粉とバターにまみれ、甘い香りに包まれて生きてきた。

過労で倒れて人生を終えたけれど、お菓子作りへの情熱だけは、この世界に来ても消えることはなかった。


それなのに、ベルウィック家では「貴族の娘が厨房に入るなど言語道断」と厳しく禁じられてきたのだ。


「聞いてるのか、アメリ!」


私の沈黙をどう受け取ったのか、レイモンド様が声を荒らげる。


「はい、聞いております。私が地味でつまらない女だということですね。まったくその通りですので、謹んで婚約破棄をお受けいたします」


私はドレスの裾をつまみ、完璧なカーテシーを披露した。


「そ、そうか。わかればいいんだ」


レイモンド様が気勢を削がれたように口ごもる。


「では、私はこれで失礼いたします」


私は踵を返した。

背後で「負け惜しみよ」というリリーの声が聞こえたが、どうでもよかった。


会場の出口へ向かう途中、私はウェイターが持っていた盆から、一口サイズのタルトをひとつだけ失敬した。

口に放り込む。


(……甘すぎる。これじゃあ『白砂糖』の味しかしない。『太陽小麦』の香ばしさも、『森ハチミツ』の繊細な風味も死んでいるわ)


口の中に広がる残念な味に、私は決意を固めた。


もう、我慢するのは終わりだ。

誰かの顔色を窺って生きるのはやめよう。


私は、私が食べたい最高のお菓子を作る。

そして、それを食べた人が幸せな顔をする瞬間を、もう一度見たい。


王宮を出ると、夜風が火照った頬に心地よかった。

月明かりが、王都の石畳を青白く照らし出している。


「二度と戻ってくるな!」


屋敷に戻り、最低限の荷物をまとめていると、父である子爵から怒鳴られた。

婚約破棄された娘など、家名の恥だというわけだ。

手渡されたのは、わずかな手持ちの金貨が入った革袋ひとつだけ。


「今までお世話になりました」


私は育ててもらった恩義として一度だけ頭を下げ、重厚な屋敷の門をくぐった。


行く当てはあるのかって?

実は、以前からこっそりと目をつけていた物件があるのだ。


王都の中心部から外れた、下町のさらに外れ。

かつては活気があったらしいが、今は閑古鳥が鳴いている「三番街」の隅っこ。


馬車を拾う金も惜しいので、私は重いトランクを引きずりながら歩いた。

石畳の感触を靴底に感じながら、不思議と足取りは軽かった。


一時間ほど歩いた頃だろうか。

目当ての建物が見えてきた。


煉瓦造りの二階建て。

蔦が絡まり、窓ガラスは曇り、看板の文字は風化して読めなくなっている。

幽霊屋敷と言われても否定できない佇まいだ。


けれど、私にはここが輝いて見えた。


「……ここね」


私はトランクを置き、建物の前に立った。


元々は喫茶店だったらしいこの物件。

裏手には、古いけれどしっかりとした石窯が残っていることを、以前の散策で確認済みだ。


鍵は、管理している不動産屋のおじいさんが「借り手がつくならタダ同然でいい」と譲ってくれたものが手元にある。


ギギィ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉が開いた。

鼻を突くのは、埃とカビの匂い。


けれど、私には見えた。

磨けば光る床。

ガラスケースに並ぶ、色とりどりのケーキたち。

そして、焼きたての甘い香りに誘われてやってくるお客さんたちの笑顔が。


「まずは掃除ね。それから……仕入れに行かなくちゃ」


私はポケットからメモ帳を取り出した。


『巨鳥の卵』

『フレイム牛の乳脂肪分高めミルク』

『妖精の粉砂糖』


異世界の食材は、前世のものとは勝手が違う。

魔力が含まれていたり、季節によって味が変わったりと扱いは難しい。

でも、それが面白いのだ。

この世界の素材と、前世の知識を組み合わせれば、きっと誰も食べたことのないお菓子が作れるはず。


「ふふっ」


自然と笑みがこぼれた。

婚約破棄されたばかりの女が、深夜の廃屋でニヤニヤしているなんて、端から見れば不気味かもしれない。


でも、私の胸は高鳴っていた。


ここが、私の城。

「パティスリー・アメリ」の始まりだ。


「……さて、やるわよ!」


私はドレスの袖をまくり上げ、部屋の隅に立てかけてあった箒を手に取った。


埃を払うたびに、私の中に溜まっていた鬱屈とした思いも一緒に掃き出されていくような気がした。

不思議なことに、私が箒を一撫ですると、長年の汚れが魔法のように綺麗に消えていく。


(あれ? 私、掃除の才能もあるのかしら?)


そんな暢気なことを考えながら、私は夜が明けるまで無心で店を磨き続けた。


まさかこの店が、後に王都中を巻き込む大騒動の中心地になり、あんなに恐ろしい方をお客様に迎えることになるなんて、この時の私はまだ知る由もなかったのだ。


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