トゥルーエンド その2を選んだ方へ 今宵、星の声なる人に
街中を抜け、闇の中を走る。
今この瞬間にも、あの世界はもやに包まれていく。
耳の奥に細く細く、芙実花の声。優しくハミングする様な旋律。銀の鈴を転がす様な。
それは楽しい夢でも見ている様に。軽やかに…響いている。
そんなはずないだろっっ!
その声に向かって、頭の中で叫んだ。
そんなはずはないんだ!
校門をよじ登る。一瞬、警報装置とか何とかの事が頭をよぎったが、無視した。
どうでもいい。そんな事!
誰もいない真っ暗闇の廊下を走る。
暗闇の中の階段を駆け上がる。
開く。開くはずだ!
まだ残っていてくれ!
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草原は、病み崩れていく。
所々にもやの黒い影を残し、その部分は吸い込まれ、そうでない部分も色を失い、その形を残したまま枯れ果てていく。
まだ一部に残る青草まで、きらきらと硬質物に変化し、足下でぱりぱりと音を立てる。
樹だ。
樹はどこにある。
芙実花がいるはずのその場所は?
目を遠くに向ける。
何も見あたらない。
「芙実花!」
叫んだ。現れるはずだ。
前はそうだった。
が、何も起こらない。背後を振り返っても……そこはもやに包まれていく草原。
走り出す。
どっちでもいい。俺が望む方向にいてくれるはず。
彼女が少しでも待っていてくれるのなら。
彼女が歌い続けていてくれるのなら。
丘を越えると、樹はそこにあった。
隆々とした幹も、茂る葉もそのままに…気は色を失っていた。
その姿を美しく残したままで、立ち枯れていく。
樹の根本には……彼女が座り込んでいた。
俺のMA1、ブーツを着込んで。頭にはえんじ色のベレー帽。
手にマフラーを握りしめて。
「芙実花!」
「有馬さん…」
「もう、来ても……」
「ごめん! バカだから…答えを出すのに時間がかかった」
「あれからずっと考えていたんだ」
「君は人の心がわからない、って言った。自分の心もわからないって」
「心がわからないって……」
「やっと言葉を見つけた…」
「心は…目に映る世界の総てだ」
「世界が、君の胸の中にある。総てここにある」
「世界は重ね合わせる事で、足りないものを補える」
「俺には…俺の世界には…君が足りないんだ。どうしても」
「君の世界に足りないものは…俺の世界にある…かも知れない」
「いるもんがあったら…好きなだけ持って行け!」
彼女を抱きかかえ…俺はもう一度、暗いもやの中に飛び込んだ。
一つだけ、一つの思いだけが、俺の力だった。
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燦めく街の中。夜。どこからか浮かれ立つような雰囲気が流れてくる。
俺達は抱き合って立っていた。
腕の中に芙実花がいる。まだ、居続けてくれる。
その事が嬉しい。たまらなく嬉しい。
クリスマスのイベントディだから、こんな道端で抱き合っているのは珍しくはない。
俺達は、再び手を握り合い、過ぎゆく人々を眺めた。
「心は世界だ。この目に映る総てのもの、そのもの何じゃないかと思う」
「………」
「人の心がわからない…そりゃわからないよ。おれもわからない」
「でも、それでも……出会って、言葉を交わして、手をつないで…心を重ね合わせる事が出来る」
「それで、きっと少しだけ、分かり合う事が出来るんだろう……と思う…」
「同じものを見て…同じ事を感じる…そんな幸せを感じる事が出来る」
「きっと俺達はみんな、その事が大好きなんだ」
芙実花の手を引いて、歩き出す。
「今日はクリスマス」
「聖なる夜。そして、祈りの夜」
「この日、この夜だけは……総ての人の思いが一つになる」
「心が一つに重なる……」
中央のモミの木に一斉にイルミネーションが点る。
その前に立っていた。
「だから、俺達はみんな」
「クリスマスが大好きなのさ」
一気に明るくなった小さな光り達に俺達は照らされていた。
夜が特別な意味を持った。この夜が。
芙実花の手が俺の手を固く握りしめる。
「消えないでくれ……君に足りないものは俺が探してくるから」
「でも……私何も出来ません…」
「出来る。けど、その事を知る事が出来ないんだ。俺は気がついた」
「君の中に透明でひどく固いカラがある。そこまでは何とか見える様になったんだ」
「でもそれは、性急に叩き割るものじゃない。じっくり溶かすものだ。きっと」
「待つよ。呼びかけてみる。時々、手を伸ばしてみる」
「いつか、その中から君が飛び出してくるまで」
「その時、私は……自分がどこにいるのかはっきりわかるの?」
「はっきりわかる」
今の彼女の様に、今ここにいるのが自分なのかどうなのか、はっきりしない、と言う事はもう終わりにしよう。
心重ね合わせ、世界を作り上げよう。
その中に君が生まれる。新しい芙実花が。
四つの目と二つの頭と……一つの心で。
俺達は世界を作り上げる事が出来る。
「歌ってみる?」
「ううん…」
「…出来ない」
「この世界の私と今の私はもう重なりすぎてる…」
「私の喉はもう機能的に損傷してるから…声を…音を発する事すら…」
「これでさいご」
「知ってる。気付いてた」
「もう、あの世界はないの」
「俺も…そう思ってた」
歌い出す勇気を持てるか否か。
芙実花は街中にいる。赦されざる世界の真ん中に。
俺に出来る事が一つだけある。あるはずだ。いや、出来るはずだ。
「消えてもいい。歌って。君の歌が聴きたい」
「ひどい…」
「これが最後でもいい。そうはさせない。約束する。俺に出来る事なら何でもする」
「………」
「どこに消えてもいい。必ず見つけ出す」
俺は芙実花の手を握った。
俺が現実だ。この手が影であり、あの紅玉の首飾りだ。
今の幻の君を現実に縫い止める針と糸だ。
今日、この夜なら…。
総てが赦される…この夜なら。
俺は、芙実花の両手を包み込む様に、俺の両手で、握りしめた。
昔は知っていたはずの感覚。
今は失われてしまった感覚。
それをもたらしてくれた者達によってずたずたに引き裂かれ、深い傷となって残っているその感覚。
「俺は、見渡す限りもやに包まれても、手を離さない」
「世界中が君に、NO!という声を張り上げても」
「俺は小さくてもはっきりとした声で、君にだけ聞こえる様に」
「YES、と言う」
盲目的な、そして、絶対的な“味方”を感じた事がない。
どんなコトがあっても離れない、宿命的な“味方”が居る事を感じた事がない。
それは家族が、くれたはずのもの。彼女が受け取り損ねたもの。
だから俺は。
君を赦す。どんな罪を犯していようとも。無条件に。盲目的に。狂信者の様に。
例え、それが正しくなくとも。
俺は味方につく。君の傍らにいてこそ、この僅かばかりの力は振るいようがある。
そう、信じられた。
もうこの手は離さない。
今日、この夜なら歌えるはずだ。
この聖なる夜。“赦される夜”ならば。
「…それが今の私を否定する事でも…今の存在を否定する事でも、同じように言い切れる?」
「言い切れる」
「このまま消え失せて…二度と会えない事になったとしても? それでも…?」
「言い切れる」
「どこに消えても…必ず見つけ出す」
必ず。必ず。
俺はその言葉が魂に焼き付くほど、胸の奥でそう繰り返した。
「…必ず」
芙実花は微笑んだ。
涙を浮かべて。
「手をつないで…いてね」
芙実花の両手を取る指に力を込める。そして、祈る様に目を伏せた。
今宵、この時、総てが放たれます様に。
信じてもいない神様。お願いです。
お願いします。今宵だけは。
この聖なる夜だけは。
ここにある事を。
そして、芙実花は歌い出す。天使の様な声で。
銀色の鈴が軽やかに転がる様な。透き通った夜空の様な。ひらめくツバメの飛ぶ軌跡の様な。
綺麗な声が夜の底を震わせた。星空の間に響き渡った。
通行人が怪しげな瞳を向ける、この赦されざる世界の真ん中で。
声が嗄れ、胸がズキズキと痛んでも。
例えこれが、最後となろうとも。
そして、その事が幻影の自分を消し去る事だと知りながら。
芙実花はその声で、この聖なる夜の底を…揺らし続ける。
どこからとも無くもう一つの声が振ってくる。
星空の瞬きが音となったかの様に、風に流される銀色の蜘蛛の糸の様に細くきらきらと。
それは芙実花の声と溶け合い、夜に舞い、手を携えて風に踊る。
グレゴリオ聖歌。清廉な二つの歌声。
かつてあり、いまはうしなわれたハーモニー。
儚い望みが奏でる聖誕歌。オラトリオ。ゴスペル。
無限の慈愛を音にして紡いだ、綾なる歌。
その銀の鈴の様な声が途切れる。
と、同時に粉雪が舞い降りる。
これがそうなのか…?
「これが答えなのか…?」
俺は思いきって、芙実花の両手を離した。
雪をその掌に受ける様に天に突き上げながら。
芙実花も、掌で雪を受け、愛おしげに眺めている。
芙実花は。
消えなかった。
彼女が赦される夜があってもいいはずだ。
星くずの銀の粉の様な、雪の中、俺達は…赦されていた。
降りしきる雪をその両手に受けながら、俺達は寄り添い夜の中に立ち続ける。
淡い雪が街の明かりに映え、蛍の様に舞い踊る。
つないだ手は温かかった。それだけで胸がいっぱいになるほど。
そして、芙実花は言い出した。唐突に。
「奇跡はここまで…みたいです…。でも…」
うっすらと芙実花の姿が消えていく。不安がなかったわけじゃない。
ただ、歯を食いしばり見送る。胸の奥で決意を固めながら。
「…今日という日があった…それだけでも……」
「いつかまた同じ事が出来る。きっとそんな日が来る」
「歩き続ければ、必ず、辿り着く。必ず、その望みの場所に」
食いしばった歯から、強く強く言葉を吐き出す。
薄れていく芙実花の耳に強く残り、その胸の奥まで届く様に。
瞳に光るものを浮かべた芙実花が夜空を仰ぐ。
「感謝致します…恩寵を…」
俺も、芙実花の手を取り、共に祈る。心の底から何かに感謝するのは生まれて初めてかも知れなかった。
それは、とても豊かな事だった。満たされ、祈る、心からの感謝。
それでも…俺にはもう一つやるべき事が残っている。
芙実花は薄れていく。イルミネーションが透けて、きらきらとした輝きをまといながら立ちつくす。
祈る様に胸で組む両手の上に、光るものが弾けた。
「見つけて…」
「待ってる………」
と言う一言を残し。
その姿は闇に溶けた。
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一人で夜の真ん中で立ちつくしていた。
浮かれたジングルベルが鳴り響く中。
悲しみはない。どこかできっと俺を待っていてくれる。
探しに行くのは、俺。
待っていてくれるのは芙実花。
口に出し、俺の心に言い聞かせる。
GET UP! 胸を張れ、このバカ野郎。
さあ。
行こう。
芙実花が待っている。
俺はイルミネーションが光る街並みを一人、歩いて戻った。
心はもう揺れない。涙は乾いていった。
真っ直ぐ歩く。歩いていこう。
感謝します。空の上の誰かさん。
メリークリスマス。
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エンディング best
俺は思う。この出会いが偶然なのか、必然なのか。
運命なんぞ信じない。俺の為に歪めてやる。
例えそれが天体の運行の様なものであろうとも。
俺の念力でへし曲げてやる。
俺はそう決意していた。
半年後、夏の景色の中。夏休みをフルに使って俺はツーリングに出た。
安いバイクを手に入れた。
バックシートにテントと寝袋をくくりつけた。
地図は持って行かなかった。
ただ、風の匂いをかぎ、耳を澄ませ、探る。
インスピレーションだけを道標にして。
行き先は総てそれに任せた。
そして、一週間も走ると自分が今どこにいるかがあまり判らなくなった。
地理感覚、と言うのが欠落しているらしい。俺には。
だいたいの所は判るのだけれども。例えば富山、と言えば日本海側、とか。
そんな事に意味はない。
希にある地名表示の看板もあまり見る事もなく、ただ耳を澄ませ、夏の景色の中を走り続ける。
いくつも山を越す。海にぶつかる。向きを変え、あの懐かしい囁きを風の中に探る。
そしていつしかまた道は山へ続いていく。
少しずつ…その囁きが大きくなっていく。耳の奥で。
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その風景はどこまでも懐かしかった。
風が囁く。
おかえり、と。
草が風になびく。
さわさわとした声で、語りかけてくる。
久しぶりだね、と。
あるはずだ。俺は周囲を探した。
ここには、古く大きな一本の樹があるはずだ。
夏の陽差しを遮り、柔らかな影を草原に落とす、あの大きな樹が。
俺達が佇み、いくつもの言葉を交わした、あの懐かしい樹が。
その樹は、一つ丘を越えた先にあった。
なだらかな草原の下り、その先に再び盛り上がる緑の丘。
空に突き刺さり、雲をその枝に絡める様に…その樹は立っていた。
歩いていく。
その樹の根元に。
そこには、小さなベンチがしつらえてあり、座っている少女がいた。
夏の日差しの下で、芙実花が待っている。
ようやく、辿り着いた先には君がいた。
芙実花。いつか見たサマードレス。
「……芙実花…」
声は帰ってこない。
ただ、大きな瞳に浮かぶ涙が、その答えだった。
君はスケッチブックに書かれた文字を俺に見せた。
そこには文字が書かれている。
“待っていたの”
かすれた文字がそこにあった。
君は声を失っていた。すらりとした綺麗な喉元に、赤黒く走る傷跡。
でも、君自身が失われたわけではない。
十分だ。ここから始めよう。
不可能なんかない。目の前から消えても、手から離れても、それは取り戻せないという意味ではない。
こうして、再び、お互いを目にしているのだから。
決意しながら、草原を踏みしめる。
君の為に出来る事は何でもする。
二人なら、やれる事が増えるはずだ。その限界も。ずっとずっと果てにある。
俺は歩を進めた。前に一歩。
そして、今。
腕の中には君がいる。
草原は揺れ、風は君のスカートにまとわりつき…。
あの草原は俺の現実となる。
腕の中の芙実花と共に。
芙実花がスケッチブックに走り書きをして見せてくれた。
“自分がどこにいるのかはっきりわかりました”
“この腕の中です”
彼女の優しい指が、俺の腕を撫で回す。
俺はもう一度芙実花を抱き締めた。
胸の奥に。
きみのこえがきこえた。
降り注ぐ聖歌 遠い夏の果て
トゥルーエンド 終
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