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第五話

お盆なので、更新頻度が上がります。皆さまのお暇つぶしにでもなれば幸いです。

誤字脱字等、ご容赦ください

 これは、私の祖母の話です。祖母は地元じゃかなり有名な人でして、選挙前には政治家が挨拶に来るくらいでした。祖母は昔、周辺の山の地主で、鉱石の採掘で一財産築いたらしいのです。……祖母はあまりそのころの話をしてくれません。採掘された鉱石が戦争に使われたからか、落盤事故のせいで大勢が死んだからなのか、祖母にとっては苦い思い出でもあったようで。そのせいか、金勘定に関してはかなりおおざっぱで、いきなり高いものを買ってくることもしばしば。……私も小さいときは祖母によくいろんなものをねだりました。……ああ、すいません、話がそれましたね。……そうそう、祖母の金遣いが荒い話でした。

 祖母は「金がかかるから」といった理由で、骨董を趣味にしていました。……私もそれを聞いた時は、「それなら私にもお金ちょうだい」と思ったんですが。……一か月に一度、骨董屋が祖母の家を訪ね、それまでに集めて来たものの中から、祖母が気に入りそうなものを持ってくるんです。そして、気に入ったものがあれば、祖母が言い値で買うということをしていたようです。大半は、昔の有名な絵描きの模造品だったり、高名なつぼ焼き職人の贋作を買うんです。祖母は偽物とわかって買っているようで、「これはこれで味があるじゃない」と一笑に付していました。

 そうしたものを集めているせいか、家の中は骨董品だらけになってしまいまして、祖母の娘、私から言うと母ですね。母がついに怒りまして。「邪魔だから早く片付けるか捨てるかして」と。母は祖母の趣味にあまり理解がなかったようで。……母はブランド物の鞄なりアクセサリーなりを集めるのが趣味なのですが、よく祖母に金を無心していまして。しかし、祖母の「趣味の金ぐらい自分で何とかしなさい」という正論に手も足も出ず、日々のうっぷんがたまっていたのだと思います。祖母はそれを聞き入れ、もともと物置として使っていた蔵を改築しました。

 これにもかなりの大枚をはたいたようで、母は契約書を見るなり、二日ほど寝込んでしまいました。祖母の金払いがいいおかげか、工事業者もやる気十分でして、工事に着手してから一週間ほど、予定よりも三日早く工事を終えました。その後、業者さんが手伝ってくれたこともあり、わずか一日ほどで家中にあった骨董品は蔵に仕舞われました。それからというもの、蔵という新たな収納場所を手に入れてしまった祖母は今まで以上に骨董品を買いあさり、蔵が手狭になるとまた改築といったことを繰り返した結果。蔵の大きさは屋敷とほぼ変わらないようになってしまいました。

 そんな生活をしていた祖母は齢90の頃、ガンを発症してしまいまして。普段は健康だった祖母ですが、年のせいと発見が遅れたこともあり、みるみる衰弱していきまして。一か月のうちにはほぼ寝たきりになってしまうほどでした。祖母は自分の死期を悟っていたのか、母に「蔵の中の物は好きにしていい。けれど、奥にしまい込んでいる手のひら程度の大きさをした箱だけは処分しないでほしい」と伝えていました。それを伝えて満足したのか、祖母はそれから話せなくなるほどになり、一週間とないうちに亡くなってしまいました。

 葬式には今までに見たことがないほど大勢の方がいらっしゃいました。中には現職の政治家の方もおり、つくづく祖母の人脈の広さを痛感するばかりでした。葬式を済ませ通夜になると、親戚の間では祖母の遺産をどうするかが話し合われました。祖母の遺産には、今までため込んだ骨董の数々があります。祖母は偽物とわかっていたのですが、普段顔を見せない親戚の方々がそれを知る由もなく。意気揚々とどう分配するかを決め始めていました。母は不満そうでしたが、文句を言えばどうなるかは察していたのでしょう。不機嫌そうに黙っていました。

 遺産の分配も終わり、結果として母が四割もらうということで決まりました。親戚たちは祖母の家に業者を呼び、それぞれ自分の物としていいものを運び出していきます。私はそれらのほとんどが偽物だと知っていたので、笑いをこらえるのに必死でした。それが丸一日中続き、すべて終わったころにはとっくに日が暮れていました。祖母が立てた蔵の中はガラガラになっていました。まだ少し物が残っていましたが、すでに母は買い手を見つけていました。私は少し遅めの夕食を終えると、蔵の中に入りました。祖母が言っていた小さな箱を探すためです。……私は、母のことを信じていませんでした。どうせあれも売るにきまっている。それよりも先に見つけ出しておこうと思っていたのです。

 今朝まではあまりの物の多さに蔵の中で何か探し物をするというのは不可能でしたが、今なら可能です。母は家の中でドラマに夢中になっていたので、私には気づいていなかったはずです。……祖母は小さな箱は「奥にしまい込んでいる」と言っていました。私はその言葉の通り、様々ある骨董品には目もくれず、蔵の奥を目指します。そしてついに、あまたの骨董品を退け、目的の箱を見つけました。祖母の言っていた通り、手のひら程度の大きさの真四角な箱で鍵がかかっています。箱を揺らしてみても、何かが入っているような音はしません。もしかすると、この箱自体が、祖母にとって貴重な物だったのかもしれない。当時の私はそう考え、母に見つからないうちに、それを自分の部屋へと隠しておきました。

 翌日、母も別の業者を手配していたようで、蔵に入っていた骨董品はすべて引き取られていきました。母は空になった蔵を改築して、離れにするつもりだったようです。私は蔵の中を覗き、すべての物が運び出されたことを見届け、業者が帰るのを待ちました。しかし、母はあれのことを覚えていたのです。母は業者に「蔵の中の物はすべて持って行ってくれ」と伝えていたようですが、清算の際、祖母が言っていた箱がないことに気づいてしまいました。母は業者に蔵の中を探させると同時に、私に詰め寄りました。「あんた、あの箱を持ってるんじゃないだろうね」と。私はしらを切っていたのですが、母は私を疑い続けています。そこへ蔵の中を探し終えた業者が戻ってきました。彼らは「棚の所に小さな四角い埃の跡が残っている。そこにあったものがつい最近取られたのだろう」と話します。母はそれを聞いてなおのこと私を疑い、「おばあちゃんが売らないでって言ってたじゃない!」という私の制止を振り切り、私の部屋に押し入りました。

 母は、私の部屋をまるで自分の物かのように漁り始めます。机の引き出しや、箪笥。クローゼットにいたるまで開け放ち、中身をひっくり返し血眼であの箱を探しています。私はその光景を見て、一つの疑問が湧いてきました。「何故、あの箱にそこまで執着するのか」と。母はあの箱の中身を知っているのか、だからこそあそこまで固執するのか。私は問いただしました。すると母は、「中身なんか知らないよ。ただ、母さんがあんなに言うんだから、よっぽど金になるものなんだろうね」と笑いながら言いました。中身もわからないのに、どうしてそこまで必死になれるのか理解できませんでした。私はただ、あの箱の隠し場所が見つからないように祈るだけでした。

 まあ、その願いもむなしく、母に箱を見つけられてしまったんですが。……季節物の服をしまっていた衣装ケースを引っ張り出され、中を漁られまして。虫食いされないようビニール袋で包んでいた箱を見つけられてしまいました。母は私を強くにらみつけたのち、すぐにリビングで待つ業者のもとへと飛んでいきました。私は母に荒らされた部屋を片付けるのに忙しく、箱がどうなったのかはわかりませんでした。ただ、その日母は終始不機嫌で、父が「何があったんだ」と聞きに来たことで、大体のことを察しました。

 それから一か月後、家にとある老人が訪ねてきました。その人は祖母の知り合いらしく、祖母が亡くなる前にはがきを送っていたようで、それを見せてくれました。そこには『いつもの時期が近づいています。ぜひいらしてください』と書かれていました。私は「いつもの時期」というのが何かは全くわかりませんでしたが、訪ねてきた人はそれが何かは知っているようでした。その人は宮田と名乗りました。客間へと通し、お茶を出すと宮田さんは「松浦和子さんは、どちらに」と聞いてきました。……それは、祖母の名です。私はすでに祖母が無くなっていることを伝えました。宮田さんはどこか落胆したような顔をしたかと思うと、あることを聞いてきました。「松浦さんが保管していた箱があるはずです。見せてもらえませんか?」と。私は一瞬でそれが何かを理解しました。母が売ってしまった箱でしょう。私は、正直にそれを伝えました。すると、宮田さんは特に怒るようなこともせず、ポケットから一つの小さな鍵を手渡してくれました。宮田さんは「これは、あの箱を開けるための鍵です。……いずれ、これを使う時が来るはずです」と言っていました。

 宮田さんが帰ってから三日足らずで、渡された鍵を使う機会が来ました。生前、祖母が贔屓にしていた骨董屋が家に来たのです。祖母が亡くなった後、一度も来ていなかったのですが、とあるものを手に入れたので持ってきたというのです。それは、あの箱でした。母が血眼になって探し出し、売り払ってしまったあの小さな箱。私は聞きました。「どうしてあなたが持っているのか」と。骨董屋は「これは確かあなたの祖母の物でしたよね。他の所で売られていたこれを私が引き取ってきたのです」と言いました。そして彼はただでこれを譲ってくれるというのです。「長年贔屓にしてくれたせめてもの礼」とのことでした。私はありがたく頂戴し、部屋に持ち込みました。

 私は部屋に仕舞っていたあの小さな鍵を取り出します。母があそこまで執着し、宮田さんが遠い所からはるばるやってくるほどの何かがこの中に入っているはずです。よく見ると、箱には開けられた形跡がありません。つまり、どこの業者もこれを力尽くで開けるようなことはしなかったということです。見た目はそこまで頑丈そうには見えませんが、壊してしまうことを恐れたのでしょうか。私は箱の正面についている小さな錠前に宮田さんからもらった鍵を差し込みます。とても古い見た目でしたが、鍵穴がさびているということはなくすんなりと奥まで入り、回りました。

 私はゆっくりと箱を開けました。そしてもうすぐで中の物が分かる。……その瞬間、母が部屋に入ってきたのです。先ほど私が骨董屋と何か話していたのを見られていたようで、部屋の前で聞き耳を立てていたらしいのです。母は私の手から箱を取り上げると、「これは私がおばあちゃんからもらったものだよ。あんたが好き勝手していいものじゃないの」と言い捨てて、部屋から出て行ってしまいました。普段は「いつもの癇癪か」と流せるのですが、今回に限っては「先に手放したくせに何を言ってるんだ」と思って、私は母を追いかけました。

 母が私の部屋を出てから、それほど時間は経っていません。急いで部屋を出ると、母が階段を降りているのが見えました。私は「待って!」と呼びかけましたが、母は聞く耳を持ちません。「あんたなんかにやるもんか!これは私のものだ!」と言って、早足で階段を降りて行きます。私は母を追いかけて一階に下りましたが、そこで母を見失ってしまいました。私が住んでいる家は祖母が子供のころから住んでいる家で、当時大家族であったため、部屋数も多く人を探すには骨が折れそうなほどです。私は近場から見て回りましたが、母の姿はありません。そうしていくつかの部屋を出入りしていると、外からものすごい衝撃音がしたんです。それと同時に騒ぎ声も聞こえてきました。私は何事かと思って急いで外に出ると、私の家にトラックが突っ込んできていて、母はそれに押しつぶされていました。

 通行人が救急車を呼んでくれたのですが、救急隊員さんは「残念ですが、即死だったのかと」と教えてくれました。母の身体はものすごい衝撃に押しつぶされていて、もはや人の形をしていないほどでした。ただ、母が大事そうに持っていた箱だけは、無事だったのです。中には折り畳まれた紙が敷き詰められていました。私は、それを手に取って開きました。そこには祖母の字で、人の名前が書いてありました。ずらっと書かれた名前に法則性はなく、しいて言うならすべて男性の名前ということだけでした。そして最後の一枚には「落盤事故により亡くなったすべての犠牲者に祈りを。松浦和子」と書かれていました。……祖母は落盤事故で亡くなった方たちを忘れないために、これを手放さないでくれと言っていたのだと思います。宮田さんは彼らのかつての同僚だったのでしょう。私はそれらをもう一度箱に仕舞い、母が改築した離れに置くことにしました。

 後日、警察の方から聞いた話なのですが、母を轢いたトラックには誰も乗っていなかったそうです。事故が起きてすぐ、運転手の無事を確認しようと運転席を覗いた人がいたのですが、そこには誰もいなかったのだとか。……そもそも、私の家の前の道路はトラック侵入禁止路なんですよね。あのトラックは一体どこから来たんでしょうか。

読んで頂きありがとうございます。宜しければ、ご感想のほどよろしくお願いいたします。

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