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第四話

誤字脱字等、ご容赦ください。

 これは昔の話です。私が子供の頃なので、もう二十年以上も前の話になるでしょうか。小学三年生の頃の夏休み。毎年お盆のころは祖父母に会うため、K県の奥にある、周囲を山に囲まれた小さな村へ行くことになっていました。交通の便はそこまで悪くはないのですが、そこには特産物もなければ観光資源もないので、若い人達はすでに都会へと出てしまい、村にはもうお年寄りの方しか住んでいません。村へ着くと、祖父母が出迎えてくれました。電話越しでは何度も会話していましたが、実際に会うのは一年ぶりなので二人ともとてもうれしそうで。居間に通されると、大盛りの料理が私たちを出迎えました。

 祖母が用意してくれた料理を腹いっぱいに食べ、食事を終えた後。子供だった私はすぐさま外へと遊びに行きました。周りには川や森など自然が盛りだくさんで、当時、虫が大好きだった私にとっては絶好の遊び場だったのです。虫取り網と虫かごを持ち、外へ出ようとしたとき、祖父が私を引き留めました。そして、「川は危ないからあまり近寄ってはいけないよ。いいかい?」と注意してくれました。私は「わかった!」と元気よく返事をし、家を飛び出しました。夏休みに入る前、学校側からも「海や川などの水場には気を付けよう」という注意喚起をされていたので、私は徹底して川や池には入らないようにしました。

 少しだけ森に入ると、薄暗いことと、ほとんど子供がいないということもあり、そこら中にカブトムシやクワガタ虫がいます。私は目を輝かせて虫取り網を振り回し続けました。そうしているうちに、すっかり夕暮れの時間になっていました。午後五時を伝える時報も聞こえ、これ以上は母に怒られてしまうと思った私は帰路を急ぎました。その途中、村に唯一流れている川である『耕作川』に差し掛かりました。水は透き通っていて、底も良く見えます。流れはそこまで早くなく、遊び場としてはそこまで悪くないのでしょうが、私は祖父との約束を守り、決して入ろうとはしませんでした。

 川は夕焼けに照らされて、オレンジ色に染まっています。私はそれを橋の上から眺めていました。そうしていると、祖父が私を呼ぶ声が聞こえてきます。帰りが遅いのを心配したのか、祖父が捜しに来てくれたようでした。私は祖父の声が聞こえた方に顔を向けようとしたとき、何かが視界に入りました。それは夕日に照らされた何か大きいもので、ゆっくりと下流であるこちらへと流れてきています。私はそれが何か興味津々で、持っていた虫取り網を構えました。叩けば感触が分かる、そう思ったのでしょう。もうすぐで虫取り網が届く。その瞬間、祖父の声が真横で聞こえ、体を強く引っ張られました。今までに感じたことのない祖父の力に驚いていると、川に何かが落ちたような音が聞こえてきました。祖父に手を引かれながらも振り返りましたが、川には何もありませんでした。

 祖父と共に家に帰り、両親から少しだけ叱られたのち、夕食の時間になりました。その時、祖父に聞いたんです。「さっき川で見たのは、何だったの?」と。……すると、夕食の場が一瞬で凍り付きました。いくら子供とはいえ、この質問がよくないことであるというのはすぐに理解できます。すぐに「やっぱり何でもない」と言おうとすると、それより先に祖父が「どんなものを見たか思い出せるかい?」と問いかけるのです。私は「夕日のせいでよく見えなかった」と正直に答えました。祖父はそれを聞くと少し考えたのち、「次、あれを見たら、すぐに川から離れなさい。いいね?」と強く念押しするのです。私は今までに見たことがない祖父の真剣な顔を見て小さくうなずくことしかできませんでした。

 それから三日ほど、外へ遊びに行って川の近くを通っても、あの日見たものは現れません。時間が原因か、それともあの日限りのものだったのか。知りたくとも聞けるようなものではないというのは分かりきっていました。……そして祖母の家に滞在してから四日目。その日はかなりの大雨が降っていました。私は外で遊ぶこともできず、家で夏休みの宿題をしていました。祖母は毎年行われる祭りの準備のため、私の両親を連れて村の役場へ向かいました。そのため、私は祖父と二人で留守番です。私は日々の宿題のノルマを終え、祖父が出してくれたスイカにかぶりついていました。その時、祖父がゆっくりと私に問いかけました。「川で見たあれのこと、まだ覚えているかい?」と。私は覚えていると答えました。すると祖父はまだ私が何も聞いていないのに、そのものについて話し始めたのです。「あれはな。遠い遠い昔、悪いことをした人の成れの果てなんだ。子供を殺した罰として、手足を縛られ川に流された。それがこの世に恨みを残し、まだあの川にとらわれている」と。子供だった私にはまだ難しい話で、「よく分からない」と言ったんです。祖父はそんな私を見て、「まあ、川には近づかないってことだけ覚えていたらそれでいいさ」と話をまとめました。私は今がチャンスだと考え、前から気になっていたことを聞きました。「それに名前はあるの?」と。「カワナガレ」という名前だと教えてくれました。

 祖父がその名前を口にした瞬間、祖母と両親が帰ってきたのでカワナガレについての話はここまでになりました。ただ、私はその名前を聞いたせいか一人でいる時は大抵カワナガレのことを考えるようになっていました。何故子供を殺したのか。何故昔話の登場人物がまだあの川にいるのか。生きているのか死んでいるのか。そんなことを考えながら寝たせいか、夢にカワナガレが出てくることもありました。とはいっても黒い塊が私の目の前を過ぎて流れていくだけなので、怖くもなんともなく、ただ不思議な夢だなとしか思わなかったのですが。

 それから二日後、村でお祭りが始まりました。私の両親と祖母はお祭りの運営側なので、私は祖父と二人で屋台を回っていました。祭りも佳境に入りだしたころ、櫓の周りに人が集まり始めました。祭りの見どころでもある踊りの時間になったんです。ただ、当時子供だった私はあまりそれに興味がなくて、焼き鳥の屋台の方を見ていたんです。それでも、祖父に「見てごらん」と促されたこともあり、踊りを見ることにしました。両手をあげて、音に合わせて揺らめかせて、体もそれに合わせて揺れるという誰でもできそうでありながら、記憶に残るような踊りでした。でも、やっぱり子供ですから、内心何が楽しいんだろうと思いながら、ぼんやり眺めていたんです。すると祖父が、「この踊りは、滅多にないもんだからよく見ておくんだよ」と言うんです。なんだか、カワナガレの話をしていた時のような真剣さで、私はうなずくことしかできませんでした。

 踊りが終わり、時刻は夜八時を過ぎました。まだ小学生だった私にとっては、この時間まで外にいるというのは珍しいことでした。たらふく食べたし、踊りも見たし帰ろうかという祖父の提案を受け入れ、家路につきました。その途中、私がカワナガレを見た川の横を通りました。その日、月はありませんでしたが星明りと、祖父が持っていた提灯のおかげで見通しはそこまで悪くはありませんでした。確か、祖父が川側を歩いていたと思います。私は川の方を見ながら歩いていました、星が川に反射して綺麗だったので。そうして歩いていると、何かが流れてくる音が聞こえてくるんです。それはどんどんと近づいてきました。祖父は川に提灯を向け、目を凝らして流れてくるものの正体を確かめようとしていました。ですが、私はその時すでに何が流れてきていたか知っていました。カワナガレです。上流の方から、ゆっくりと川に反射した星を呑み込みながら流れてきていたのです。

 祖父が持つ提灯に照らされたカワナガレは赤黒い色をしていました。そして小さな手のようなものをこちらに伸ばしているのです。祖父はとっさに、地面にあった石を握らせました。伸びてきた手は祖父が差し出した石を掴み、引っ込んでいきました。赤黒いカワナガレは石を握ったまま、川の底に沈んでいきました。もう川にカワナガレの姿はなく、星が川に反射していました。高ぶっていた神経が落ち着き始め、周りで鳴いている虫たちの声も聞こえるようになってきました。祖父は何も言わず、私の手を握って家路を急ぎました。私はあれが本当にカワナガレだったのか、なぜ石を掴ませたのか。聞きたいことがいろいろありましたが、祖父の真剣な眼を前にして聞けそうにはありませんでした。

 家へと着き、お風呂や歯磨きなど寝る前の支度を済ませると、祖父が私に割り当てられた寝室に入ってきました。そして、先ほどの出来事について話し始めるのです。まず、祖父は「怖い思いをさせてすまない」と謝罪から入りました。続いてカワナガレが手を伸ばして来た理由を告げました。祖父が言うには「新しい皮が欲しかったのだろう」とのことでした。私は理解できず頭をかしげていると、あの昔話について、話してくれました。……「前に、あれは子供を殺した人の成れの果てだと話したね。……あれは嘘なんだ。子供が川でおぼれないようにするための、方便として作られた話だ。……本当は、子供なんだ。カワナガレは殺した者の逆恨みが残ったものではなく、殺された子供と、それに沈められた子供の怨念が固まってできたものだったんだ。カワナガレは、皮膚の皮に、流れると書く。……かつて、子供を殺した男は、三味線の職人だった。あれを作るには、猫の皮がいる。ただ、とある年から『動物を殺すな』というルールができた。三味線の職人も相当あおりを受けたようでな、注文も減り仕事がなくなっていった。すると、材料である猫を育てる余裕もなくなり、猫を野に返してしまった。食うに困っていた時、久しぶりの仕事が入った。だが、周りに猫はいない。どうしたもんかと頭を悩ませたとき、ふと目に着いたのが、食い扶持を減らすため奉公に出された他所の家の子供だった。……その職人が作る三味線は今までとは全く違う音色を奏でる珍しい三味線だと話題になった。そして、続々と仕事が流れ込んでくるんだ。男はそのたび、子供から皮をはいだ。足りなくなれば、また別の子供をさらってきた。皮が無くなれば川へと流した。それを繰り返しているうち、ついに村の者に見つかってしまった。……男は裁かれ、子供たちと同じように川へと流された。……これが、本当の昔話だ」

 私は何も考えられませんでした。祖父から語られた昔話は当時の私の理解を超えていたのです。混乱する私を見て、祖父はゆっくりと頭をなで、落ち着かせてくれました。そうされているうちに、私は1つ、聞きたいことができました。……意を決して聞いてみたのです、「なんであれは手を伸ばしてきたの?」と。祖父は、「はがされた皮を取り戻そうとしているんだ。……だが、あれに引きずり込まれると、仲間になる。すると、仲間になった分、また皮が必要になる。……永遠に終わらない」と。……話はここまででした。時刻は十時を過ぎており、子供だった私にとっては、寝るべき時間です。祖母と両親も帰ってきており、まだ起きていたことに少し叱られそうになりましたが、祖父がかばってくれたので事なきを得ました。私はその日、またカワナガレの夢を見ました。

 翌日、祖父母の家に滞在する期間も終わり、帰る日になりました。祖父母と別れの挨拶を告げ、車に乗り込みます。車のバックシートで振り返って小さな窓から、祖父母に向かって手を振りました。その時、目の端に映った川に何かがいたような気がしました。……それから、十年ほどが経ち、祖父母の高齢化と家の老朽化を理由に私たちが暮らしていた家の近くに祖父母が引っ越してきました。祖父は年を重ねたせいか少しボケてきているようで、昔話をする回数が増えました。私はそれが好きだったので、特に苦でもなく、聞いていたんです。すると、思い出したかのように祖父がカワナガレの話を始めました。「あれは、ついてくるんだ。どこまでも。……自分たちが殺された恨みを晴らすため。決して逃げられない、永遠に終わらない」と。……それから一週間後、散歩へ向かった祖父は川で溺死しているのが通行人によって発見されました。……葬式を済ませ、遺品整理を始めると物置に大きな箱がしまわれていました。祖父が引っ越しの際に持ってきていたものだろうと思われます。親戚の人たちは「高値がつくはずだ」と、誰が持って帰るかで揉め始めました。結果、祖父の長男であった、私の叔父にあたる人物がその箱を持って帰りました。……昨年、叔父が川でおぼれて死んだという訃報と、その箱が届きました。箱の中には、あの三味線が入っていました。添えられていた手紙には、自らの罪を懺悔する内容と共に、倉谷耕作という古い人物の名が記されていました。……ええ、そうです。私も、倉谷なんです。

読んで頂き、ありがとうございました。宜しければご感想のほど、よろしくお願いします。

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