表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/8

第三話

誤字脱字等、ご容赦ください。

 これは、つい最近の出来事です。私が仕事に向かう途中大きなマンションがあるのですが、そこの五階の端の部屋。その部屋のベランダに小さな子供が立っているんです。時刻は出勤中なので大体八時前ぐらいなんですが、そんな時間から小さな子供がベランダに出て何をしているのか不思議でした。仕事が終わって帰る時、大体六時程度なんですがその時にもいるんです。つい気になって眺めてみたんです。その子は何をするわけでもなく、ただ立っているだけでした。もう日は暮れ始めているのに、それを気にすることなくずっと立ったままです。十分ほど眺めていたんですが、その子はその間全く動かず、直立不動のままでした。私はなんだか不気味に思ってそそくさとその場を逃げ出したんです。

 次の日、仕事へと行く途中、気になってみてみたんです。すると、やはりその子はいました。遠目から見たせいで確信は出来ませんでしたが、服も昨日と同じように見えて。もしや昨日からずっとベランダにいるのかと疑い始めました。もしそうなら親は何をしているのか、まさか虐待ではないか。しかし、確たる証拠はありません。その子が何着も同じ服を持っている可能性もありますし、私がそこを通るよりも早くベランダに出ているだけで、すぐに部屋に戻っているのかもしれません。それに、私はその時期、仕事に追われていたんです。いちいち警察に通報して時間を取られるということは避けたかったので、その時は通報しませんでした。ただ、その子のことはずっと仕事中も頭のどこかで気になっていました。

 その日の帰り、あの子はどうしているかとマンションを見上げました。やはりあの子はいます。ベランダに少しだけ身を乗り出して、遠くを見つめている。目線の先には公園がありました。ここで私は納得しました。あの子は病弱なんじゃないかと。体にいいからと日の光を浴びるため外に出て、公園で遊んでいる子供たちを羨まし気に眺めている、そうに違いないと思い込んでいました。帰宅中でもまだ子供たちの遊ぶ声は聞こえています。それと同時に母親と思しき「もう帰るわよ」という声も。もう一度マンションを見上げると、その子はまだ公園の方を見つめていました。

 翌日、仕事が佳境へと入り、早めに家を出なければならなくなりました。大体午前六時ごろだったかと思います。日が昇ってからあまり時間が経っておらず、まだ朝日がまぶしい時間帯でした。私はいつもの通勤路を早足で歩いていました。すると、あのマンションのあたりに差し掛かった途端、誰かに見られている気がしてきたんです。まだ朝早いため、周りには誰もいません。私は立ち止まって、視線がどこからきているか探り始めました。あたりをきょろきょろと見回していると、ようやく目線の主を見つけました。あのベランダの子だったんです。その子供はなぜかこっちをじっと見つめていました。そして私と目が合うと、何やら口を動かしているように見えるんです。

 遠くなので聞こえるはずもなく、読唇術を会得しているわけでもないので、その子供が何を言っているかはわかりませんでした。ただベランダに身を乗り出して必死に何かを伝えようとしている態度に、私は何かを感じました。……でも、その時は無視したんです。私は他所の子供よりも、自分の仕事を優先したんです。その子から視線を外し、何も見なかったふりをしてその場を後にしました。その時、後ろから「なんで知らんぷりするの」と聞こえた気がしました。急いで振り返っても誰もいません。マンションの方を見ても、あの子供すらいなくなっていました。

 その日は一日中、幻覚のようなものに悩まされました。会議室にあの子の姿が一瞬見えたり、休憩のため缶コーヒーを買いに行くと向かいのビルの窓にもその子の姿が見えました。パソコンに向かっているときでさえ、知らずのうちに「知らんぷりしないで」と画面に打ち込まれていました。……そのようなこともあり、全く仕事に集中できなくて。上司に「体調が悪いなら今日はもう帰ると良い。これにはまだ余裕がある」と気遣っていただいて、早めに帰ることにしました。帰る途中にも、何かの気配が自分に付きまとっているのを感じました。家へと帰る途中、あのマンションの前を通らなければならないことを思い出し、一個手前の十字路で曲がり少し遠回りすることにしたんです。時刻は三時ほどで、人の通りはそれなりに多かった時でした。あのマンションを避けるため通ったのは公園前の道路でした。そこには長く住んでいますが、公園あたりはあまり通らない上に、この時間に帰るのも珍しかったこともあり、少し新鮮な気持ちで公園を眺めていました。

 公園にはまだ小学生か、それ以下の子供たちが遊んでいました。鬼ごっこでもしているのか元気に走り回っていたんです。子供が遊んでいるところを見ると、穏やかな気持ちになれるんですが、いつまでもそうしていると不審者として通報されそうだったので、自宅へと足を向けました。その時、見覚えのある色が目に入りました。私はとっさに首を動かし、その色を追ったんです。目線の先には友達と遊ぶ子供がいました。見覚えがあったのは、私がマンションで見つけた子供と来ている服の色が同じだったからでした。私がその子のいる方に振り返ったとき、その子も私を見ていました。……その子は、あのマンションの子でした。

 その子は男の子でした。彼は私と目を合わせると、こちらにゆっくりと近づいてきます。いつの間にか周りに人はいなくなっており、公園には私とその子しかいませんでした。そして彼は私の目の前まで近づいてくると、こう言うんです。「なんで知らんぷりしたの?」って。私は答えられませんでした。彼は質問を続けます。「なんで?」「どうして?」……。その子供は質問するたび、私に近づいてきます。ついに、私の目の前どころか、もう少しで体が触れそうなほど近づいてきていました。私は混乱のあまり何も言えませんでした。彼は私のその態度を見てつまらないとでも思ったのか、離れて行ってくれました。彼はこちらに背を向け「許さないから」とだけ言って姿を消してしまいました。あたりを見渡してもその子の後ろ姿はありません。私が見ている目の前でいきなり煙のように消え失せてしまったんです。彼と出会った後、気づくといつの間にか日が暮れてあたりが暗くなっていました。おそらく一時間以上は立ち尽くしていたことになるのでしょうか。腕時計を見て時刻を確かめ、あれは何だったのか疑問を抱いたまま、帰路につきました。帰る途中、何やらパトカーのサイレンがうるさかったことを覚えています。

 翌日、少し早く休んだおかげで体調もそれなりに回復したので、いつも通り出勤することにしました。するとマンションの前に人だかりができていたんです。聞き耳を立てると、マンションに住んでいた夫婦が不審死を遂げたという話でした。妻の方の母親が近頃連絡が取れないことを不思議に思い、様子を見に来たところ発覚したらしいのです。どの部屋が問題の部屋かはすぐにわかりました。……五階の端です。……規制線が貼られていたので、一目瞭然でした。おそらく鑑識の人たちがベランダを調べて回っているのが下からでも見えます。一般人は立ち入りできないし、その部屋の住人であっても入るのは難しいはずなのですが、なぜかあの子供がまだベランダにいるんです。鑑識の人は見えていないのか気にする様子もなく、様々なところでしゃがんでは何かを集めています。その子は警察を意に介することもなく、両肘をベランダの柵に乗せ、暇そうにしています。どうしても気になった私は野次馬の一人に聞いてみたんです。「あの部屋で何があったんですか?」と。

 答えてくれた主婦は「部屋で二人とも首吊りですって」と教えてくれました。それだけではまだ不審死のようには思えません。ですが、主婦は続けて言いました。「しかも、二人とも手を縛られていたって話よ。これどう考えても殺人じゃない、怖いわよねえ」……。私は「そうですね」とうなずいて返しました。確かに、不審な死にざまではありましたが、今私が最も気にしていることはそれではありませんでした。私は意を決して聞いてみたんです。「あの子供は誰なんですか?」と。するとその主婦は不思議そうな顔をして「子供?どこにいるんですか?」と。……私は質問を変えました。「あの夫婦に子供はいたんですか?」と。返答は「いなかったらしいですよ。残される子供がいないのは不幸中の幸いでしょうね」でした。……では、あの子は一体誰なんでしょう。もう一度見上げても彼はまだ先ほど見つけた時のままの状態でこちらを見下ろしていました。今回ははっきりと彼が笑っているのが見えました。

 私も少々野次馬に夢中になっていまして、気が付くとあわや遅刻という時間になっていました。私は話を聞かせてくれた主婦に礼を告げると、走って会社まで向かいました。いつもは余裕をもって会社へと着くのに、今日はぎりぎりだったせいか上司には「珍しいこともあるもんだな」と笑われました。その後、仕事を開始しましたが前日のように何かに見られていたり、気配を感じるというようなことはなく。昨日の体調不良が嘘のようでした。そのまま終業まで何事もなく、普段通りに仕事を終えられました。進捗も良く、これなら明日か明後日までには出来上がるだろうということで。少し熱が入ったせいもあり、帰るのが少し遅くなってしまいましたが、特に気にしていませんでした。そのせいもあり、今朝までの出来事をすっかり忘れていたんです。

 その時は七時ぐらいで、空に星が出ていました。普段はその時間、すでに家でくつろいでいる時間なので、たまにはいいかと思い星を眺めながら歩いていたんです。そうして歩いていると、地上に近いところで何か輝いているのが見えたんです。私はその時、だいぶ地球に近い星があるんだなと思って、あまり深くは考えていませんでした。そして、その星に興味を示したんです。目の端に映ったその星を中心にとらえようと視線を動かした時、自分がどこにいるか思い出しました。あのマンションの前だったんです。それなら、あれは……。

 まずいとは思いました。けれど、すでに動かした首をすぐに戻せるほど反射神経も良くなかったですし、仮に戻せたとしても好奇心の方が勝って、結局のところ顔をあげていたのではないかと思います。……そこにはあの子供がいました。規制線が街灯でかろうじて見えるほどの暗さの中で、明かりをつけていないあの部屋のベランダから、こちらを見下ろしていました。今度は間違いなどではありません。あの子は確実に私を見ていました。光っていたように見えたのは子供の目でした。星の光を反射して輝いていただけだったようです。彼はそのまま私を見つめます。私は動けませんでした。まるでアスファルトに縫い付けられたような、そんな気がして。彼はほの暗い夜の中で口を動かします。暗いのに、遠いのに。私には彼が何を言っているかよくわかりました。……「これからよろしくね」。

 あの日以来、私の生活は変わりました。他の人には見えていないであろう子供をかわいがる日々。機嫌を損ねれば命の危険がある。……私のこの足の怪我が何よりの証拠です。……仕事もやめました。あの子が駄々をこねるんです。「仕事に行かないで、もっと遊んで」って。食事の時間すらありませんし、寝る時間もありません。毎日彼の機嫌を窺って生活しています。……でも、最近はそうでもないんです。彼はなぜかベランダにでて、外を眺めてばかりで。久しぶりに、私も人らしい生活をする余裕ができたんです。……今日も、彼がベランダに夢中になっているおかげで、この場に来ることができています。……あの子は一体何なんでしょう。最近は常にそう考えています。一体なぜ私のもとに来たのか。何故私と遊ぼうとするのか。何故私を親のように思うのか。何故私はあの子供を追い出したりしないのか。……はい、私の話はここまでです。お聞きいただいてありがとうございました。それでは失礼いたします。


 翌日、伊藤正二が自宅内で首を吊り死んでいることが分かった。警察の調べでは彼は首吊りをしていたものの、両手を縛られているという不可解な状況であったため、誰かが彼の自殺をほう助または彼を殺害した可能性があるとしている。近所の人の話では、彼は一人暮らしだったという。

読んで頂きありがとうございました。宜しければご感想のほど、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ