第28話 セピア色のモノクロ写真 (1)
結局その日、人生で2度目の帝国軍首都病院での夜を過ごしてまったクラウスミレは翌日、目が覚めるやいなや看護師たちから訳の分からないお祝いを受けることになった。
「婚約おめでとうございます、マインデイのお嬢様」
「婚…約…ですって?」
その中で幼い看護師から渡された朝刊を覗き込んだクラウスミレは、心臓が飛び出るほど驚いた。
『(戦略)本家は、当主の娘であるクラウスミレ·マインデイの意向により、二人の婚約が神の恵みの下で成立したことを…』
「ふざけないでよ、もう!」
さっそく乗用馬車を呼んで乗りあがったクラウスミレは、急いで家に駆けつけた。ちょうど朝食を終えたところだったクラウスミレの父、カールス·マインデイは、ダイニングルームのドアを蹴っ飛ばすように開けて入ってきた自分の娘をちらりと見て、淡々とティーカップを口元に持っていった。
「お父様、これは一体どういうことなんですか」
「もはや病院から家に退勤するのが日常になったようだな。いつから看護婦になったんだ?」
「話を逸らさないでください。 私はこの縁談に賛成したことありません。 シューマン元帥と私はただの仲良し親友でいることにしたんですよ」
「そうか、残念だな」
「何がですか?」
「目に入れても痛くない可愛い娘が、もうすぐクラウスミレ・マインデイからシューマン家の女主人になるというから、この親父は涙を流しながらも幸福を祈るしかないじゃないか」
「私にもわかるように説明していただけますか」
父親を見る娘の目とは思えないほど険しい眼差しで自分を見つめるクラウスミレの前に、カールスは数枚の写真を取り出した。 手のひらほどのサイズのセピア色のモノクロ写真が真っ白なリネンのテーブルクロスの上に散りばめられた。首をかしげながら写真を手にして見つめたクラウスミレの目が丸くなった。
「こ、これは…」
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同じ時間、ローレライリバーが見下ろせる閑静な喫茶店のとあるガーデンテーブルの上にも同じ写真たちが散らかしていた。
晴れやかな青空の下で川の水はダイヤモンドを散りばめたようにキラキラと輝き、鳥たちは声を上げて歌い、川辺を歩く恋人たちはこの上なく幸せそうな表情で愛を囁いていた。万物に公平な日差しは、喫茶店の主人が著名な庭師を招いて整備した庭園にもその恵み深い光のシャワーを惜しみなく施していたが、しかしこのテーブルに座って頭を抱えている男のために庭の片隅だけが暗雲に包まれているようだった。
「そんなに格好つけて頭を抱えていても、写真が変わることはないよ、ハイネ·フォン·シューマン」
「『元帥様』をつけろよ。 フリードリヒ·フォン·パズ」
「いまさら、何を」
カジュアルなスーツ姿のフリードリヒは、勝手に椅子を引きずってハイネの向い側に座った。 注文を取りに来るウェイターに手を振って帰らせたフリードリヒは、ハイネの前に散らばっている写真の一つを手に取った。
写真には、地面に倒れたハイネ·フォン·シューマン元帥とカットラスを手にしたダフト中尉、そして両腕を広げて彼の前に立ちはだかるクラウスミレの姿が明確に写っていた。
「皇室かな?」
「皇室だけだろう。こんな情報力を持っているのは」
今朝早く匿名で陸軍元帥府に届けられたこの写真が意図するところは非常に明確だった。
【お前たちの仕業は全部見通している。ろくでなしやり合いはいい加減にしてじっとしていろ。これ以上一線を越えたら両方ともぶち壊すぞ】
海軍にしては内部の管理もままならず、一部の派閥が敢えて他軍の元帥を殺そうとするとんでもない軍紀紊乱の状況、そして陸軍の立場からすれば、そんな海軍に参謀総長が殺害直前の危機に追い込まれ、一人のお嬢さんに命を救われる恥ずべき場面なのである。
陸軍と海軍の度重なる争いに見かねた皇室が送ったこの写真は、いつでもその気になれば両方とも一本食わせることができるという意味を込めた丁重な脅迫状であった。
フリードリヒは写真に重ねて皇帝が中指を立てる幻を見たような気分に感じながら、ズキズキする額に手を当てた。
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「でも、海軍と陸軍のもめごとを鎮める目的でこれを撒いたとすれば、我が家はただ巻き込まれただけではありませんか」
「おそらく皇室はこれが私たちにどんな迷惑になるかなどは考えもしてないかも、な。いくら経済系の新星だとか何とか言っても、皇室から見れば我々はただの成金に過ぎないだろう」
一瞬、ほんの一瞬、クラウスミレは共和主義者になることがとても魅力的な選択肢かもしれないと思った。もちろん、マインデイ家を丸ごと抹殺できるその言葉を口にしない程度の常識はあったんだが。




