第23話 正しい道
いつの間にか壁を伝い上がった炎が倉庫の梁と天井にまでその真っ赤な火の手を伸ばしていた。
「元帥閣下! マインデイ嬢はこちらです!」
「しっかりしろ、クラウスミレ!俺だ。分かるか?」
ハウアー少尉の助けを借りて,ハイネは意識が薄れていくクラウスミレを背中に担いだ。 耳元をかすかに掠るクラウスミレの浅い息づかいを感じてハイネが安堵のため息をついた瞬間…
「フリード...リヒ...」
かすかな意識の中でクラウスミレがつぶやく名前を聞いて、ハイネは眉をひそめた。
「そうか、まあ… 良い。昔の彼氏の名前を呼んだくらいで腹を立てるほどお子様じゃないからね、俺は。」
ハイネは上品で物柔らかな笑みを浮かべて……
「ハウアー… しょう…」
「……くっそ、むかつく!」
「元帥閣下、早く出てきてください。」
「うるさい!出たらお前から一発殴ってやるぞ。」
「いきなり!? どうしてですか!」
わけも分からず罵倒されて悔しがるハウアー少尉を先頭にして、三人は急いで倉庫から抜け出した。 ドアを出た途端、倉庫の天井が轟音を立てて崩れ落ちた。
「はぁ… もう少し遅れてたら間に合わないところでしたね。」
「ハァッ… ハァッ…… クラウスミレ、大丈夫か? しっかりしろ!」
「ハイ…… ネ… さん?」
「ああ、やっと名前を呼んでくれたね。 気がついたのか?」
「頭が痛いです… ありがとう。来て… くれて……」
今すぐにでも消えそうなクラウスミレの声にハイネは血を吐くように叫んだ。
「しっかりして、クラウスミレ! 頭が痛いのは呼吸が足りないからだ! 俺を置き去りにするな、スミレ!」
「勝手に殺さないでください。さりげなく愛称で呼ばないでください。 そして大声出さないでください。頭が響くから。」
「あ、気がついたな。」
「ええ、あまりにも閣下が騒がしくて。」
「……お二人とも大丈夫ですか?」
傍で聞いていると頭がおかしくなりそうな二人のテンションに、どうやらここで常識的な人は自分一人しかいないような寂しさを感じながら、ハウアー少尉はかろうじて二人のうわごとに割り込んだ。
「ええ、おかげさまで助かりましたわ。 ありがとうございます、ハウアー少尉。」
「いいえ、マインデイ嬢にお怪我が無くて何よりです。」
ようやく地面にちゃんと立ったクラウスミレは二人にお礼を表した。少なくとも外見上では、幸いにも三人とも大きな怪我はなかった。みんな煤まみれで顔も服もボロボロになっていたが。
「さあ、早く帰って洗って休みたいですね。 ここまでスリル溢れるデートは初めてでしたわ。」
「初印象っていうのは強烈であればあるほどいいものよ。 これでクラウスミレ嬢の記憶にはっきり残れるなら成功だぜ。 それに関して貴官にはお礼を言わないとな。 そうだろう、少尉?」
ずうずうしくハウアー少尉の胸元を叩きながら冗談を飛ばすハイネとは違って、ハウアー本人は苦しい表情で頭を下げた。
「今日のことは…… 本当に申し訳ありませんでした。 どんな罰が下されてもお受けいたします、 元帥閣下。」
そしてハウアー少尉はクラウスミレにも頭を下げた。
「マインデイ嬢。 私たちの間違った行動のせいで大変な目に遭わせてしまって… なんと謝罪をすればいいのか…」
「ねえ、少尉殿!」
クラウスミレは強い声を出して、ハウアー少尉の言葉を切った。
「今私たちが怒っているようにお見えですか?」
「で、ですが…」
「ハウアー少尉が私たちを襲撃した一味の仲間だったというのは紛れもないの事実です。 しかし、元々を言えば貴方は命令と位階に従っただけです。そうでしょう? さらに、少尉はその間違った行動を正すことができる岐路では正しい判断を下しました。
じゃあ、それくらいでいいんじゃないですか? エルンスト聡明帝もおっしゃいました。『道を99回間違えたとしても、神はいつも正しい道に戻れる近道を用意してくださる』と。」
少し前まで意識が吹き飛ぶところだった人とは思えないほど、ハウアー少尉を追い詰めた後、クラウスミレは胸を張って、にぱっと笑って見せた。
「あなたは今、正しい道にやっと戻ってきたんです。 そうじゃないですか、ハイネ?」
クラウスミレの視線を受けたハイネは肩をすくめた。
「うむ、俺? 俺は知らないぞ。」
「え?」
「俺が知っているマーク・ハウアー少尉は、´たまたま´クラウスミレの居場所の情報を俺に提供してくれた人に過ぎない。今日の昼間のことなら…… さあ、後ろから殴られたから、誰が馬車を走らせたのかなんて到底見えなかったぞ?」
「もうお分かりですか?ハウアー少尉。 貴方が犯した過ちは誰でもない貴方がよく知っています。そして、その罪滅ぼしのために頑張ったのは、神と、ここの元帥閣下と、何より私が知っていますわ。」
「マインデイ嬢…」
今にも泣き出しそうな表情になったハウアー少尉の首を、ハイネが腕で引っ張るように抱きしめた。
「け、けぇっ! 元帥閣…下?」
「さあ、さあ。話が終わったらとりあえず病院に行こう。 煙をたくさん吸ったんだから、家に帰る前にお医者さんに会わんとな。」
「もう、早くお家に帰って休みたいんですけど。」
しかし、クラウスミレのブツブツする口ぶりに返ってきた答えは、ハイネでもハウアー少尉でもない唐突な声だった 。
「いや、あなた方が行く所は家でも病院でもありませんよ。」
感情の一片も感じられない、冷たい口調。
もはや隠すつもりすらないのか、階級章まできちんとつけた制服姿のダフト中尉が三人の前に立ちはだかった。
「ハイネ・フォン・シューマン陸軍元帥。」
その後に当然続くべきの「閣下」の呼称がついてこないことに、ハイネの眉がうごめいた。
「申し訳ございませんが、ここで皆様にはお亡くなりになっていたたきます。」
「あら、最後の最後まで道を間違えた方々がついにいらっしゃったようですね。」