第16話 俺もバカなんだろう
「海軍ですね。」
「現時刻をもって、元帥府は非常態勢に移行する。」
頭に包帯を巻いたハイネが、戦闘服のシャツのボタンを掛けながらエルトマン大佐に命令を下した。
「全軍を動かすおつもりですか?」
「そうしたい気持ちはやまやまだが、戦争を終えてようやく安定し始めた国で内戦を起こすわけにはいかない。 しかも私的な感情で女性一人のためにそんなことをしたら、俺は歴史に残る大バカ野郎になるだろう。吟遊詩人や歌手たちを喜ばせるだけだ。」
「では、どうされますか?」
「君はどうしたいのかい? 何か言いたいことあるようだが。」
「そのままほっておくんです。忘れてください。」
ハイネはぼんやりとした目でエルトマン大佐を見つめた。
「(コイツは今何を言っているのだろう?)」
「閣下のおっしゃるとおり、今陸軍が動いて海軍と衝突するなら、それは紛れもなく内戦です。 首都ローレライのど真ん中で。 それだけはあってはならないことです。
いくら陸軍と海軍の反目が激しいんだとしても、超えてはならない一線があるんです。酒屋で殴り合いくらいならいくらでも問題ありません。でもこれは違います。
ですので、もし閣下から全軍出動の命令が下されたとしたら、自分はどんな手を使ってでも阻止するつもりでした。」
下克上。
その単語を口にしたわけではなかったが、すでに『どんな手を使ってでも』と言うのであれば、それはつまり下克上を意味していた。 忠誠心深くてまっすぐなエルトマンは、どうしてもその言葉だけは口にすることはできなかっただろう。
「じゃあ、クラウスミレ嬢はどうしろっと言うんだ?」
エルトマンは苦しそうな顔で頭をうつむいた。 彼もまた士官学校を卒業しながら騎士道の誓いをした身。 敬愛する上官と軍のための助言だったとはいえ、その誓いに反することを進言するのは流石に苦しかったのだろう。
「海軍参謀総長の… 恋人だった人です。 そのまま放っておいても大きな危害を加えることは… ないかと。」
しかい、ハイネは首を横に振った。
「いや、やつらは過激派だ。 そっちの総長の指示で動いた連中ではない。 もしそうだったら、もっと緻密に行動しただろう。あいつが…フリードリヒが真面目に俺を殺そうとしたのなら… おそらく今頃霊安室に横たわっていただろう。」
ハイネが死ぬところだったという言葉に、冷静を保っていたエルトマン大佐も結局、感情を爆発させた。
「そもそも、このことはマインデイ嬢の過ちです! 二人きりで会うとか、そういう条件なんかを付けるから…」
「それを言うのならば、その先に縁談を送った俺の責任もないとはいえない。」
「ですが…」
「だから、ゴチャゴチャ言うな、大佐!」
低くて強い声で、ハイネが怒鳴りつけた。
「君の言ったとおり、事態を大きくする気は微塵もない。 たが、クラウスミレ嬢の件は俺が解決せねばならないことだ。 これだけは誰にも譲れない。絶対返してもらうぜ。」
「しかし、その雑魚… 海軍が絡まっているのなら、それは閣下お一人の力でどうか出来ることではありません。 それに…」
「それに?」
「今日、閣下の公式スケジュールは騎兵隊の視察でした。 マインデイ嬢とプライベートな時間を過ごすことは、元帥府内でもごく一部の人間しか知らないことです。 なのに閣下の行き先が分かったってことは…」
「元帥府の中に稚魚が潜入しているということか…… それも過激派に繋がりがある… よし、俺は俺のやることをする。 そちらは大佐に任せよう。」
「本気でらっしゃるんですね。」
「ああ…」
ハイネは、初めてクラウスミレに溺愛し始めたあの時を思い出した。
【弱者を尊重し、彼らの守りてになることを躊躇しないようにとおっしゃった太祖のお言葉に栄光あり】
【今あのバカどもに槍を一本握らせてドラゴンに突撃しろと言ったら、よっしゃー!と馬に乗るんだろうな。 ハハハッ。】
「どうやら……俺も、バカなんだろうな。」
.
.
.
その時、ハイネとまったく同じ理由でクラウスミレもまた、怪漢たちの正体をすでに把握していた。 両腕をロープで縛られたままひざまずいている女性だとは思えないほど、物静かにクラウスミレは言った。
「ごきげんよう。フォルクスラントの誇らしい海軍将兵の皆様。」