第10話 条件があります
将校会館でのあの騒ぎから2週間が過ぎた。
どのように口止めをさせたのかは知らないが、その日の騒動は陸軍と海軍の若い士官同士がお酒の勢いでつい殴り合いをした程度でお仕舞にされていた。世間は何日間、両方をまとめて笑いものにしてそれから早速忘れた。
しすて、その最中にクラウスミレの名前は全く出てこなかった。
もちろん、父にはものすごく怒られた。おそらく、政財界の情報通たちはある程度詳しい全容を把握しているようだった。しかし、少なくとも社交界のおしゃべりたちの話題になってないことだけでも、クラウスミレにとっては幸いなことであった。貴婦人たちの凄まじい口にその日の出来事が上がったら、おそらくマインデイ家の令嬢としてのクラウスミレはその日で終わりを告げたのであろう。
だから、今になってクラウスミレは安心して気持ちよく朝
を始める紅茶を味わうことができるのだ。
「今日ば特に、お茶の香りがとても良いですね。お母さま。 どこのお茶でしょうか?」
「あら、気づいたわね、スミレちゃん。オーガム王国から伝わってきたレシピで、ダージリンにベルガモットと木香をブレンドしたんだって。」
「さすが、紅茶に本気な国らしいですね。」
温かいパンと香ばしいお茶、そして平和な朝食の時間に交わす家族の大した意味のない雑談。 これ以上何が必要なのだろう。 まさに理想的な一日の始まりと言わざるを得なかった。
そうだった。マインデイ家の家主、カールス・マインデイが自分の娘、クラウスミレにかろうじて話を切り出すまでは。
「クラウスミレ。うむ… その、縁談が入ってきたんだ。」
「縁談ですって?」
これは何かの暗号や冗談なのでしょうか。
婚約者同然だったフリードリヒからいきなり別れの通知を受けてから1ヶ月も経っていないのに縁談だなんて。 しかし、カールスは冗談を楽しむ性格ではなかった。 ましてやその対象が自分の娘であったらなおさら。
「そうだ。」
「受け入れたくありませんが。」
「私もあなたがそう言うはずだと言ってたんだよ。」
「…とおしゃるってことは、お父さまにはカットできる人物ではないようですわね。」
「仲人がハイマー商工大臣だから。」
確かに。これなら勝てっこないな。企業家が商工大臣の仲立ちを蹴り飛ばすんだと? ハハハ、面白い冗談ですわね。
クラウスミレは深くため息をついた。
まさかあの人じゃないんだよね?ないと思うよ。ないと言って。お願い!
「とりあえず相手が誰なのか、聞いてみましょう。」
「陸軍参謀総長ハイネ·フォン·シューマン元帥。」
どうして嫌な予感は間違うことがないのだろう。
「お父さま、ご存じではないと思いますが、私はすでに彼の求婚を断ったことがあります。」
「何だと?」
クラウスミレは、2週間前に帝国軍首都病院であったことについて大まかに話した。 ’大まか’に話したのは、いくらクラウスミレとはいえ、「プロイライン」だの「破城槌みたいな美貌」だのという恥ずかしい言葉を両親の前で言うのは、どうしても気まずかったから。
しばらく眉間に手を当てたまま深く悩んでいたカールスがため息をついた。
「一応、少なくとも一度は彼に会いなさい。 元帥のプロポーズを断ってもいい。だが、せめてそれは正式なものでなければならない。いや。お断りだからむしろちゃんと手続きを踏めなければならない。そうしてこそまともに両家の顔を立たせるんだ。」
「時間の無駄です、お父さま。」
「知っている。私だって、この縁談を受けて嬉々として来たわけじゃない。今、うちの会社で進行中の一番大きいプロジェクトが何だか知ってはいるか。」
「正確には···」
クラウスミレはわざと言葉を濁した。 たまに趣味でカールスには内緒でマインデイ商会の企画書や報告書を盗み見するのがばれないように。
「軍需産業だ。 この状況で軍部の大物であるシューマン家と我々が血縁で結ばれたら……」
「癒着関係、だと叫ぶ声が高まるでしょうね。」
「そうだ。だから、どうせ断るつもりなら、世間に知られるように大々的に断る方がましだと言っているのだ。
ましてや、商工大臣を仲人として入ってきた縁談、それもシューマン家の誇りであり自慢であるあの元帥の縁談にお見合いもせず一気に断るなんて、それはシューマン家の体面を泥をぬるようなものだ。
そうなったら私は、あのローレライリバーがどれだけ温かいか己の体で試してみることになるだろう。この時期なら少なくとも凍え死ぬ心配はないだろうな。」
カールスは荒い息を落ち着かせるために水を飲み込んだ。
「私が今まであなたに、やりたい勉強があったら全部させてあげて、読みたい本や欲しい資料があったら読み放題にしてあげた。 その代わりだと言えばちょっとああなんだが……せめて家だけは潰れないようにしてくれ。」
「わかりました。では、お見合いはすることにします。 ただし、条件があります。」
「……は?」




