はじまり
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英雄たちの戦いを間近に見ていたある天使が、きみにこの物語を綴った。
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それは、ある夏の日の出来事だった。その日、空は澄み渡り、海からは爽やかな潮風が運ばれてくる。遠く水平線の先には、大きな入道雲がもくもくと浮かんでいる。そんな晴れやかな日、ある王城の庭園に、五万を越える人々が集まり、ふたりの男女を見守っていた。その二人とは、ロードラン国王の娘セレスティアと、騎士ローウェンのことだ。今日ここ、この場所で、ふたりの結婚式が執り行われていたのだ。
さんさんと木漏れ日が降り注ぐ緑の庭園で、二人は誓いのキスを交わした。集まった国民たちは万雷の拍手を送り、父王もまた涙を浮かべ、娘の幸せを噛み締めていた。
ふと、セレスティアは何かの気配を感じ、空を見上げた。彼女がいつまでも空に目を凝らしているので、ローウェンはどうしたのと聞き、一緒になって空を見上げた。
突如、空が割れ、その裂け目から、まぶしい光が地上に向かって降り注いだ。そして、そのまばゆい光のカーテンの中を、なにか巨大な翼を持つ影が、ゆっくりと舞い降りて来た。
(イラスト 011 01)
ひとびとは、ひと目見て悟った。それは、ただびとに姿を見せることはない、位高き天使だった。その姿は見るに恐ろしい。その天使は、大きな体に六枚の翼を持っており、体の中心には、巨大な瞳が埋まっている。その体は城よりも大きく、広げた翼は雲よりも高くあった。
天使がその大きな瞳で地上を睥睨すると、人々は恐れおののき、地面にひれ伏した。静寂に沈む大地に、天使の声が響き渡った。
【 天使 】「人々よ、なにも案ずることはない。我は熾天使セラフィムなり。いま我は、神の言葉を伝えるため、ここにいる」
人々がおずおずと顔を上げると、天使は続けた。
【 天使 】「人々よ、聞け。王女セレスティアは神の御子を宿した。その御子は、やがて救い主をこの世界に復活させるものなり」
突然の託宣に、民衆のあいだにどよめきが広がった。王は、椅子を蹴って立ち上がり、口を開けて呆然と立ち尽くした。セレスティアは、おもわず自分の腹に手を当てる。このお腹の中に、すでに子が宿っている……?想像だにしない言葉に、彼女は指の腹で腹をさすり、何かのぬくもりを感じ取ろうとした。
【 天使 】「人々よ、聞け。ここよりはるか北の人知れぬ大地にて、この世界に新たなる悪魔が生まれ落ちた。その悪魔は、やがてこの世界を滅ぼすに至る力を持つ。私はその悪魔の名をここで語ることはできない。ひとたび私がその名を口にすれば、その恐怖を糧に、悪魔はより強大な力を得てしまうだろう。
悪魔はまだ荒れた大地を彷徨っている。彼はまだ、人とも悪魔とも出会っていない。しかしもし人が彼に出逢えば、その人は闇に染まり、悪魔が出逢えば、その悪魔は強大な力を得るだろう。やがて彼は闇の軍団を組織し、世界を覆い尽くす。そうなる前に、我々はこの悪魔を探し出し、殺さなければならない。
しかし人が直視するには、その悪魔の纏う闇はあまりにも暗い。その闇は救い主の光によってしか払うことはできない。我々はこの世界を救うため、まず救い主を復活させなければならない」
天使は続けた。
【 天使 】「セレスティアよ、聞け。東の果ての聖なる大地において、救い主はお眠りになられた。まことに救い主は、世界中に神の教えを伝え、人々を癒やした。そして、その旅の途上において、裏切られ、傷つき、ひとときのあいだお眠りになられたのだ。今や御方の傷は癒え、ふたたび世界に神の教えを広めんと、復活の時を待っている。
神は五人の使徒を地上に遣わすであろう。一人は、皇の宝剣に選ばれし勇者。一人は、消された歴史を生き抜いた覇者。一人は、無限の叡智を得た賢者。一人は、闇に生まれ光となった聖者。一人は、世界の終わりを見た預言者。汝の子は、彼らとともに、世界を旅する。そしていつの日か、救い主のもとへとたどりつき、この世界を悪魔の手から救い出すだろう」
天使は続けた。
【 天使 】「ではセレスティアよ、そなたに今から四つの魔法を授ける。これらの魔法は、託宣を受けた者にしか扱うことはできない。いまから私に従い詠唱を繰り返せ。準備はよいか?」
セレスティアは頷いた。今や突然の邂逅の驚きは過ぎ去り、彼女は自らの子に託される使命を、一つとして漏らすことなく聞き漏らすまいとした。彼女が頷いたのを見ると、天使は、魔法の詠唱を諳んじた。
【 天使 】「まずはひとつ目の魔法だ。この魔法は、清めの魔法である。人にかけられた呪いを解き、身中の毒を消し去る魔法だ。
―――――――躯を穿つ咎人の槍 鏑を伝う贖いの血 盲を開く晴れの光 洗礼の奇跡」
【セレスティア】「―――――――躯を穿つ咎人の槍 鏑を伝う贖いの血 盲を開く晴れの光 洗礼の奇跡」
【 天使 】「よかろう。では、2つ目の魔法を授ける。この魔法は、道しるべの魔法だ。救い主の足跡を探し、それを追いかけるための魔法だ。
―――――――夜空を照らす満点の星 嵐の海の灯台の火 砂漠の夜の月明かり 主の道しるべを照らす魔法」
【セレスティア】「―――――――夜空を照らす満点の星 嵐の海の灯台の火 砂漠の夜の月明かり 主の道しるべを照らす魔法」
【 天使 】「よかろう。では、3つ目の魔法を授ける。この魔法は、闇を打ち払う魔法だ。闇の魔法をかき消し、悪魔の肉体を穿つ光の呪文だ。
―――――――荒野の夜の四十日 行方も知れぬ放浪の旅 風に聞こえる魔の誘い 堕天使が来た試練の日
打ち払われた偶像の石 夜霧に消えた幻想の国 はねつけられた星頂き 真実を語る神の口」
【セレスティア】「―――――――荒野の夜の四十日 行方も知れぬ放浪の旅 風に聞こえる魔の誘い 堕天使が来た試練の日
打ち払われた偶像の石 夜霧に消えた幻想の国 はねつけられた星頂き 真実を語る神の口」
【 天使 】「よかろう。では最後の魔法を授ける。この魔法は、癒やしの魔法である。あらゆる身体の傷を閉ざし、焼けただれた肌を癒やす。そしてこの魔法こそが、救い主をこの世界に目覚めさせる魔法でもあるのだ。
―――――――孤独に進む茨の道 背中に担ぐ神籬の木 石畳を擦る朱い裸足 丘の頂のどくろの地
輩を結う鉄の鎖 同胞を打つ罪過の楔 大地を覆う夜の帷 光が消えた十字架の死
視界を塞ぐ漆黒の闇 歩き疲れた迷える羊 わずかに晴れた薄暗がり 地平に見えた朝の兆し
開け放たれた岩の棺 解き放たれた稀人の火 世界を照らし映す光 復活の日」
【セレスティア】「―――――――孤独に進む茨の道 背中に担ぐ神籬の木 石畳を擦る朱い裸足 丘の頂のどくろの地
輩を結う鉄の鎖 同胞を打つ罪過の楔 大地を覆う夜の帷 光が消えた十字架の死
視界を塞ぐ漆黒の闇 歩き疲れた迷える羊 わずかに晴れた薄暗がり 地平に見えた朝の兆し
開け放たれた岩の棺 解き放たれた稀人の火 世界を照らし映す光 復活の日」
【 天使 】「よかろう。これで、私はすべて語った」
【セレスティア】「天使様、東の果ての聖なる大地とは、一体どこにあるのですか」
セレスティアは間髪入れず尋ねた。天使は、セレスティアが生まれたときから、彼女のことを見ていた。普段の彼女は物怖じしない性格で、大胆な物言いで時折王をどぎまぎさせてきたのだ。ようやくこの娘は、いつもの調子に戻ったらしい。天使は、しかし固い口調で答えた。
【 天使 】「それは話すことはできない」
【セレスティア】「なぜですか!聖なる大地がどこにあるか、それを知らなければ、救い主様を探すことができないではありませんか」
【 天使 】「言ったはずだ、救い主は裏切りにあったと。それがゆえ、使徒たちは救い主の行方を隠した。その行方を知ることができる者はただ一人、神の託宣を受けたお前の娘だけだ」
【セレスティア】「娘?わたしのお腹の中にいるのは、娘なのですか!?」
天使は言葉を返さなかった。すべてを語り終えた天使は、天上へと帰っていった。
この出来事は、やがて世界中に伝えられた。
人々には、果たして救い主がどこにいるのかわからなかった。それでもなお、数多の冒険者が、この世界の何処かにいる救い主を探すため、東の地へと旅立っていった。
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あくる年の夏至の日、この世界に二人の赤子が生まれ落ちた。
一人は、王女セレスティアの身体に宿った、神の御子である。
王族の子供は、取り違えを防ぐため、その出産は公開される習わしだった。セレスティアも、伝統にならい、大勢の王族が見守る中、子を生んだ。
しかし、その御子が身体から生まれ落ちた時、王族たちは思わず息を呑んだ。
生まれ落ちた御子の身体は、あたかも全身が赤黒い血に染まっているように見えたのだ。最初、貴族たちは、御子が死産したのかと恐れた。王は赤子を見ると、思わず椅子を蹴り立ち上り、呆然とした。ひとりの貴婦人などは、早とちりをして、慟哭の叫び声を上げた。しかし、産婆が焦ることなく慣れた手つきでその体を清めると、やがて彼女の身体を覆う赤いものの正体は明らかとなった。
それは決して血などではなかった。それは、赤子の背中を覆っている、赤く美しい六枚の羽根だったのだ。
赤子はゆっくりと目を見開いた。そして祖父の顔を見た。彼女はその眩しいほど鮮やかな赤い羽根が、そわそわと動いた。そして、次の瞬間には、彼女は赤子らしく、目を細めて、大きな大きな泣き声を上げ始めた。
産婆は彼女を白い布でくるむと、彼女を抱きかかえて王のそばに寄った。
【 産婆 】「素敵な女の子ですよ」
王は、御子を受け取り、その胸に抱いた。
そうして王が彼女の顔を覗き込んでいると、赤子の頭上に、段々と金色に輝く光の輪が浮かび上がってきた。それこそは、かつて数多の芸術に描かれてきた、神秘の証、天使の光輪だった。それは、間違いなく彼女が神の御子である証だった。
王は貴族たちを振り返り、言った。
【 王 】「この子は、アマンダと名付けます」
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王女の寝室は、いまや歓喜の叫びに満たされた。
神の御子生誕の知らせは、彼女の名前とともに、わずか一日で国中を駆け巡った。
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さて、アマンダが生まれた同じ日に、ロードランの東の辺境にて、ある下級騎士の家に一人の男子が生まれた。この者は、クロードと名付けられた。
クロードが二歳の時、弟が生まれた。弟はウィルと名付けられ、二人はすくすくと成長した。
彼が五歳になったとき、近くの村に危険な魔物が侵入した。騎士である父親は魔物と戦い、その片腕を失った。
父は教会にて治療を受け、長い間目を覚まさなかった。苦しむ父を見て、クロードは、やがて剣士になり、村を守ると己に誓いを立てた。一方ウィルは、父を癒やす神父の敬虔な姿を見て、聖職者となり人を癒やすと誓った。
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父はやがて目覚めた。彼は、残る片腕でクロードに剣術を教えたが、息子の上達ははやく、すぐに追い抜かれた。彼は騎士団の人間に頼み、息子を彼らとの模擬試合に参加させた。最初は彼の強さに半信半疑だった騎士団の戦士たちも、このわずか九つの少年に、あっという間に打ち倒されてしまった。
クロードの名前は評判となり、噂を聞きつけた流れの冒険者が彼に手ほどきを授けた。この冒険者の名はケイレブと言い、東の地にて、人知れず魔物を打ち倒している義の者だった。彼の鍛錬を受け、クロードはわずか十二歳の若さで、王都の剣術大会に出場した。
彼はその大会で、史上最年少の若さで、優勝を飾った。
クロードは、王に導かれて、歴代の王たちが眠る墓地に案内された。この王墓には、王族以外には立ち入ることは許されていない。王墓の荘厳な佇まいに、クロードは緊張しながら歩いた。
やがて彼らは、墓地の最奥にたどり着いた。そこには、ひときわ大きな墓石が鎮座している。それは、ロードランの開祖、ロキの墓だった。
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ロキの墓の手前には、ひとつの白い岩が露頭しており、その岩の天辺には、一本の古剣が突き刺さっていた。
その剣は、今から二千年前、かつて救い主とともに戦った十二人の英雄のために、天使ザビエルから地上に託された十二の皇の神器のうちのひとつ、”宝剣ドレッドノート”だった。
ロキは一つの遺言を遺していた。それは、この剣を抜くものは、かつての自分と同じように、世界を救う力を持つものであると。
歴代の王たちがこの剣の柄に手を掛け、引き抜こうとした。しかし誰一人として、岩から剣を抜くことができなかった。
クロードは石にまたがり、力を込めた。すると、剣は驚くほど簡単に岩から抜き放たれ、彼は勢い余って地面に尻餅をついた。彼が尻をさすりながら、改めて剣を見ると、その刀身はあたかも今磨かれたばかりかのように、白く光り輝いていた。
王たちは驚嘆した。彼らはクロードの強さに期待しつつも、やはり彼にも剣を抜くことはできないだろうと諦めていたのだ。それが今や、二千年もの間一度として抜かれることのなかった剣が、この年若い少年に簡単に抜かれてしまったのだ。
やがて、彼が王女と同じ日に生誕したことが知れると、王たちは沸き立った。クロードこそが、神が遣わすという五人の使徒の一人、皇の宝剣に選ばれし勇者に違いない。
この知らせもまた、王女生誕の知らせと同じく、一日で国中を駆け巡った。
クロードは、王族の学校に通うこととなった。彼はそこで、王女とその学友たちと親睦を深めた。彼は、護衛として、また騎士として、彼女につき従った。そうして月日が流れた。
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さて、これらのことが起こっている間にも、冒険者による東の海の探索は進んでいた。彼らは地図にない島を渡り、遥かなる大海を越え、ついには新たなる世界と邂逅を果たした。
この新しい世界はアストレアと言った。ロードランの属するシネア西のシネア大陸と、アストレア大陸とは、あまりにも海で隔てられていた。そこでふたつの大陸は、その中間に位置するイスガルデ諸島を拠点として交流した。
イスガルデを中心に、あまたの積み荷を積み込んだ貿易船が行き交った。また冒険者たちも、イスガルデを経てアストレアへと渡っていった。
こうして幾年の月日が経った。そしていまから三年前のこと、このイスガルデ諸島が、”贄の大悪魔”オラクスに襲撃されたのだ。
王子ローウェンのもと、オラクス討伐のために軍が組織された。この戦いに、あまたの冒険者が参加した。クロードや、高名な魔法使いであるオリオンも、この討伐軍に志願した。
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このイスガルデにおいて、二年に渡る長き戦いがあった。激しい戦いのさ中、多くの戦士たちが、悪魔たちと戦い、そして死んでいった。しかし、ローウェンたちは、戦いを続けた。そしてついに、彼らは悪魔の軍勢を打ち破った。
オラクスは、火山島の火口に立つ塔の中に逃げ込んだ。ローウェンたちは、ひるむことなく塔に突撃を敢行した。
激しい戦いの中、多くの戦士が死に、ローウェンもまた戦場に散った。しかし、クロードは残った仲間たちと共にオラクスを討ち、見事勝利を収めた。
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オラクス討伐の知らせは、すぐに国に届いた。多くの国民が、クロードの勇気を称え、祝福した。
三ヶ月の後、帰路についたクロードたちがローゼンハイムの港に入ると、多くの国民が彼を祝福するため港で出迎えた。彼がオラクスの頭蓋骨を高々と頭上に掲げると、群衆はさらなる歓声で応えた。
王もまた、アマンダとともに港に出向き、クロードを迎えた。王はその場で、クロードとアマンダの婚姻を宣言した。
明くる日、勇者たちの凱旋式が盛大に催されることとなった。街は花々で彩られ、人々は通りに出て、歓喜の歌声を上げていた……
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