5、黒と白
「お帰りなさい、イグナルス。お友達はできた?」
「はい」
それ以上のことを答えないイグナルスのことを、侯爵夫人が困ったように笑う。申し訳なくなったイグナルスは目を逸らした。それでも、侯爵夫人は諦めずにイグナルスへ話しかける。
「それはよかったわね! なんていう子と仲良くなったの?」
「ラウローリエ・ジェーミオス嬢です」
「ああ、ジェーミオス家のよかったわね」
「はい」
手短に返事をすると、イグナルスは部屋に逃げ込むように戻った。素っ気ない態度をとった結果、心を覆うのは罪悪感だけだ。
ごめんなさい。口の中で小さくつぶやく。
誰にも届かない。知っている。届けるつもりもない。
早く自分を見限ってくれ。
◆
そんな風に変わらない日々を過ごしていたが、急に侯爵に呼び出された。
「イグナルス、ジェーミオス家のご令嬢と友人になったんだって?」
「はい」
侯爵夫人にきいたのだろうか。そう思っていると、侯爵は一通の手紙を取り出した。
「手紙が来ていたよ」
「え?」
要約すると、遊びに行きたいから、空いている日程を教えて、と書かれている。有無を言わせぬ内容に、イグナルスは口元を緩めた。
「……本当に仲良くなったんだね」
侯爵の驚いたような声に、イグナルスは瞬きをした。そんなイグナルスをみて、侯爵が笑みを浮かべた。
「イグナルスは優しいから、相手にあわせて疲れちゃうかと思ったけれど、ちゃんとイグナルスも友人だと思っているみたいで安心したよ」
「……大丈夫です」
困ったように笑う侯爵から逃げるように部屋へと戻る。手紙をもう一度開いた。目の前にラウローリエはいないのに、存在が深く感じられる手紙だ。
「僕は。君にも諦めてほしいんだけど」
イグナルスはラウローリエへ何も価値を提供できない。できるとすれば、彼女のいう「生きる目標」を達成するくらい。しかし、それに何の意味があるのかイグナルスは分からない。
それでも、ラウローリエの今日の様子から、意思は固そうだ。
手紙を一度机の上に置いてから、ソファに座った。返事を頭の中で考えるが、何も浮かんでこなかった。放置したら、彼女は諦めるのではないか、と一瞬思った。
それでも、アクワーリオ侯爵家の人々をただでさえ困らせているのに、さらに困らせる人を増やしてもいいのだろうか。
それに、他家からの手紙を無視したとなれば、アクワーリオ家の名を汚してしまうのではないか。
イグナルスはソファから立ち上がり、紙と羽根ペンが置いてある机まで向かった。真っ白な紙を引き出しの中から取り出す。眩しいくらいの白。それを黒で汚していく作業はあまり好きではない。
白の美しさは白のままで。黒の汚れは黒だけが背負えばいいのに。
そんなことを考えたところで無意味だ。紙に文字を書かなければ何も始まらない。
真っ直ぐに人と向き合えて、理不尽な世界にも抗おうとする。そんな清らかな純白さを持つのがラウローリエであろう。
そして、いるだけで周囲を不幸にする。そんな邪悪な存在が自分だ。
黒が白を汚すことは酷く怖い。
それでも、イグナルスはラウローリエからの誘いを断れない。せめてもの抵抗として、空いている日数を最小限にしようかと思ったが、もしそれをしてラウローリエが空いていない日をわざわざ開けたら申し訳ない。
結局、イグナルスは空いている日程をすべて送ることにした。
次の日に手紙を送ると、すぐに返事がくる。日程は1週間後、場所はジェーミオス公爵家。
ラウローリエの家は公爵家だったのか、とそこではじめて知った。それと同時に、ラウローリエの両親はどう思うだろう、と心配になる。
ラウローリエの家に行くまでの間に、ラウローリエについて少し調べてみた。
ラウローリエ・ジェーミオス。ジェーミオス公爵家の一人娘。王太子との婚約も噂される。儚げな見た目で、家からほとんど出ない大人しい令嬢。
その情報をきいたとき、イグナルスは首をかしげたものだ。ラウローリエの外見は確かに儚げであるが、口を開けば気の強そうな雰囲気を持つ。「ぜんせ」の記憶を思い出したからか、あるいは彼女がそう見えるように取り繕っていたか。
イグナルスにとって、そのどちらかを判断することは必要ない。どちらでも構わない。それでも、情報として集まるラウローリエは、イグナルスの情報とは全く違うというのは事実だ。
大人しい? ラウローリエが? 人違いじゃないか。あの物怖じしない彼女への評価とは思えない。
イグナルスがラウローリエに持った印象は、芯が強くて、自信があって、そして優しかった。
彼女はそのことをどう思っているのだろうか。イグナルスはぼんやりと考える。自分の噂をもし嫌がっていたとしたら。話をきくくらいはできるだろうか。それは何も変わらないし、イグナルスには何の力もないけれど。
ラウローリエが苦しんでいなければいいが。




