31、王太子との対面
入学式は滞りなく終わり、イグナルスたちは教室へと移動した。
教室は入学試験時の成績で分けられている。イグナルスは何とかAクラスに入ることができ、イグナルスの友人もみんなAクラスとなった。
しかし、若干心が重くなっている。同じ教室に王太子、ヴェルス・アルバントがいるのだ。
しかも。さっきから睨まれている気がする。イグナルスはいかにして逃げるかを考えているが、王族から逃げると不敬にならないだろうか。
授業の説明や先生の自己紹介などは問題なく終わり、今日は解散となった。
イグナルスはラウローリエやマグダレーネ、アデルバートたちとお茶をするという約束をしている。ラウローリエとマグダレーネは、用事があるらしく今は教室にいない。
2人を待ちがてら荷物の整理をしていると、目の前に人が立っている気配がして、イグナルスは顔を上げる。そこにはヴェルス・アルバントが立っていた。どこか鋭さを含んだ金の瞳がこちらを見つめている。
「イグナルス・アクワーリオ。話がある」
「……えっと」
「ついてこい」
有無を言わせぬ口調に、イグナルスは固まった。いきなり声をかけてきたと思ったら、ついてこいとは。それも、どこについてこいというのか。
もし、正式な用事があれば、こんな場で呼び出さないだろう。家を通して、あるいは手紙などで連絡があるはずだ。
だから、ヴェルスの独断であり、私的な用事であるはず。そこまでの検討はつくが、ヴェルスについていって何を言われるのか。
友達になろう、などというような話ではないだろう。それなら、ここで言えば良い。ここでは言えない、イグナルスにだけ伝えたい話。それは、なにか。
イグナルスが悩んでいると、後ろから声がかかった。
「ヴェルス殿下。イグナルスに何か用事ですか? 先約があるのですが」
アデルバートが助け船を入れてくれた。アデルバートの銀の瞳が、安心させるようにこちらを向く。イグナルスはほっと息を零した。
「アデルバートか」
「はい」
アデルバートとヴェルスは互いに面識があるようだ。アデルバートが声をかけたことを、ヴェルスは普通に受け入れているのだから。
ヴェルスの金の瞳が、アデルバートをじろじろと見つめた。
「相変わらず女みたいな顔をしているな。お前が女だったら俺の婚約者にしてやったのに」
一瞬、ヴェルスの言葉を理解できなかった。イグナルスは、その言葉を理解して絶句した。アデルバートへの明白な侮辱。
ヴェルスからのアデルバートへの容姿を揶揄するような侮辱を咎めようと口を開きかけたところで、イグナルスの耳に声が届いた。
「……黙れくそガキが」
イグナルスはぎょっとしてアデルバートの方を見る。彼は涼しい顔をしてヴェルスには聞こえないように言ったようだ。イグナルスの視線に気づいたのか、にこりと微笑む。さきほど暴言を吐いたとは思えないほど美しく整っている。
ぽかんとしているイグナルスをよそに、何事もなかったかのようにアデルバートが言う。
「お戯れを。申し訳ありません。とにかく、用事がありますので」
「王太子よりも優先すべき用事か?」
いつまでもアデルバートにヴェルスの相手を任せてもいられない。イグナルスはアデルバートに囁いた。
「……アデル。ありがとう。でも、大丈夫」
「そう?」
イグナルスは真っ直ぐにヴェルスを見つめた。
兄の、グラキエスを思い出しながら。イグナルスは姿勢を正す。表情はできるだけ余裕を見せられるように。間違っても怯えていることは気づかれないように口を開く。
「王太子殿下。私にお声がけいただきありがとうございます。ですが、申し訳ありません。この後は用事がありまして。何かお手伝いが必要なことがあるのでしょうか?」
ラウローリエと婚約の話が上がっていたヴェルスだが、イグナルスに敵意があるとは限らない。純粋に人手を欲している可能性もある。そうだとしたら、なぜイグナルスに頼むのかは不明だが。
相手の意図が分からない以上、できるだけ丁寧に接した方が良い。そう思って対応したのだが、ヴェルスから睨まれた。
「……興が冷めた」
ぼそりと呟いて、さっさと教室から出て行ってしまった。残されたイグナルスは首を傾げる。
結局、何の用事だったのだろうか。ラウローリエと婚約の話が持ち上がっていたから警戒していたが、ただイグナルスに興味を持って声をかけただけかもしれない。
もっとも「イグナルス」に興味というよりは「ラウローリエの婚約者」に興味をもったのだろうが。
イグナルスは隣に立つアデルバートに向かって囁いた。
「ごめんね、アデル」
「なにが?」
「王太子殿下に……」
なんて言えば良いか分からず、言葉が出てこなくなったイグナルスに、アデルバートが微笑んだ。
「別に良いよ。あの男は前からあんな感じだし」
「そうなの?」
アデルバートに向かっていつもあんなことを言っているのは問題だと思うが。イグナルスが俯いていると、イグナルスにだけ聞こえる声でアデルバートが言う。
「同じクラスなのは面倒だね」
「……」
かわいい、とマグダレーネから連呼されているアデルバートではあるが、結構はっきりいうところがある。イグナルスは曖昧な笑みを浮かべた。
「これからも絡まれるかもしれないけれど、頑張って」
「……ええ?」
今日だけではないのか。アデルバートの不吉な予言にイグナルスが情けない声を出すと、アデルバートはくすくすと笑った。
そんな彼を見ながら、イグナルスは心配になって尋ねる。
「アデルは、大丈夫?」
ヴェルスから、また容姿のことを言われるのではないか。そうすると、アデルバートが傷ついてしまうのではないか。そう思って尋ねたが、彼は一瞬きょとんとしたあとで、優しく微笑んだ。
「え? 僕? 大丈夫だよ。レーネのがかわいいって言ってくれるから、王太子に何を言われたって別になんとも思わない」
その銀の瞳は、きっとイグナルスのことを見ていない。愛おしそうに細められた銀が映すのは、マグダレーネだろう。
「いいね」
「何が?」
イグナルスは考えたことを口にしてしまっていたようだ。アデルバートに聞かれ、イグナルスは素直に答えた。
「そのお互いに想い合っている感じがいいなって」
そう言うと、アデルバートは少し首を傾げたあとでイグナルスの方をじいっ見てきた。
「婚約をしている君に言われたくないんだけど」
「あ……」
確かに、これほど仲の良い2人だが、婚約はしていないのだ。アデルバートの少し拗ねたような口調にイグナルスに焦りが生じる。
余計なことを言っただろうか。イグナルスが俯くと、柔らかいアデルバートの笑みが聞こえた。
「冗談だよ」
そんな話をしていたところで、ラウローリエとマグダレーネが戻ってきたようだ。教室から移動することになった。




