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30、入学式

 イグナルスは、馬車に乗って学校にたどり着いた。学校の門の前でその建物や敷地の大きさに目を見張った。


「うわあ……。広いな」


 学校では多くのことを学ぶことができるため、教室がたくさんあるという。迷子になるのが怖いから、しっかり道を覚えておかないと。


 イグナルスがキョロキョロと回りを見ていると、濃い紫色の美しい髪がふわりと視界に入ってきた。それを見てイグナルスは頬を緩めた。心の中にじんわりと温かい感覚が広がる。


「ラウローリエ。おはよう」

「おはよう、イグナルス。よく眠れた?」

「うん。ラウローリエは?」

「ちょっと寝付きは悪かったけれど、何とかなるわ」


 ラウローリエと話していると、周りから視線を感じた。美しいラウローリエに見惚れているのだろう。


 それでは、ラウローリエの隣にいる自分は、どう見えているのだろうか。ラウローリエに釣り合わない身の程知らずだと思われているのだろうか。そう考えると、足下に真っ暗な落とし穴が広がったかのように、血の気が引いた。


「イグナルス? どうしたの?」


 ラウローリエの言葉に、イグナルスははっと顔を上げた。


 変わろうと、決めたのに。自分の中に根づいていた感覚は、そう簡単に改善されることはない。


 それでも、ラウローリエが隣にいてくれるから。イグナルスは、自分を下げてばかりはいられない。


「何でもない。行こう」

「……ええ」


 イグナルスとラウローリエが、入学式の会場へ行こうとすると、少し離れた場所の空気がざわつき始めた。


「どうしたのかしら?」

「さあ?」


 イグナルスとラウローリエが顔を見合わせてから周囲に目を向けると、門の近くに立派な馬車が止まったのが見えた。その馬車が来たことにより、生徒達がざわついていたらしい。


 隣のラウローリエが小さな声で呟いた。


「王室の馬車、ね」


 ラウローリエの言う通り。王室の紋章がついた馬車だ。誰が乗っているかは、考えるまでもなく分かる。


 ヴェルス・アルバント。この国の王太子。ラウローリエとの婚約の話が持ち上がっていた男。


 ラウローリエはそこそこの気まずさを抱いているだろうし、イグナルスもどんな顔をして見ればいいか分からない。


 ヴェルスにとって、イグナルスは「自分と婚約する予定だった女性を奪った男」なのだから。


 イグナルスは立ち去ろうとしたが、周囲に人だかりができてしまっており、簡単に動けなくなってしまった。ラウローリエの表情をちらりと伺うと、彼女も困ったような顔をしていた。ヴェルスがイグナルスの顔を知っているとは思えないが、ラウローリエの顔は知っているだろう。


 このまま人混みの中でやり過ごすしかなさそうだ。イグナルスは、隣のラウローリエの手を握った。ラウローリエがぱっとこちらを見る。そして優しく微笑んだ。


「きっと、大丈夫よね」

「うん」


 ちょうど人が集まっていた時間だったからか、上手く紛れることができそうだ。そう信じて、イグナルスは他の生徒と同じように馬車に目を向ける。


 大勢の人に見守られる中、ヴェルスが馬車から降りてきた。金の髪が太陽の光によりきらりと光る。


 ヴェルスが、一瞬こちらに視線を向ける。ラウローリエの方を見て、僅かに固まった。猛烈な嫌な予感が、イグナルスの中を支配する。


 ヴェルスは、今。ラウローリエのことを見ながら何を考えているのだろう。彼の髪と同じような金の瞳が、じーっとラウローリエのことを捕らえている。


 不意に金の瞳がイグナルスの方を向く。はっきりと目が合ってしまい、イグナルスは固まった。その金の瞳に、負の感情が垣間見えてイグナルスは慌てて目を逸らした。


 王太子、ヴェルス・アルバントはイグナルスのことを嫌っているのだろうか。イグナルスの顔を知っていたということは不思議ではあるが、ラウローリエの婚約者の顔をわざわざ調べたのだろうか。


 そうだとすると。彼は、もしかして。政略ではなくラウローリエのことを好いていた?


「ラウローリエ、イグナルス様! おはよう!」


 後ろから元気に声をかけられ、イグナルスは思わずラウローリエの手を離してから振り向く。にこにこと微笑んでいる少女と、隣であまり表情を変えない少年を見て安心感が広がる。


「レーネ。アデルバート様。おはようございます」

「おはようございます」


 そこに立っていたのは友人のマグダレーネとアデルバートだ。ラウローリエ、イグナルスの順で返事をすると、アデルバートも軽く頷いた。


 満面の笑みだったマグダレーネが、不思議そうに首を傾げた。


「2人とも、何をしているの?」

「ええっと……」


 王太子のことを見ていただけなのだが、別に何かの意図があったわけではない。ただ、その場から離れられなかっただけ。しかし、それをそのまま伝えるのは不敬にならないだろうか。


 イグナルスが答えに困っているとちらりと周囲を見渡したアデルバートが軽く頷いた。


「ああ。なるほど」


 周囲の空気で状況を理解したようで、彼はマグダレーネに何かを囁いた。それにマグダレーネがアデルバートの方を見上げて頷いた。


 相変わらず絵になる2人をぼんやりと見ながら考える。自分も、2人のように周囲からお似合いだと思われるように努力しなければ。


「イグナルス。行きましょう」

「あ、うん」


 イグナルスが思考に入っている間に、入学式の会場へと向かう流れになっていたらしい。イグナルスも慌てて3人の後を追った。

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